27.恋は勘違いと月明かりの下で
「凄く、オシャレで落ち着いたお店ですねぇ……」
ロザーナ・ベルトランは、琥珀色の柔らかな照明に満ちた店内を見渡し、感嘆の息を漏らした。
「そう? 気に入ってもらえて嬉しいですよ……」
その隣、重厚なカウンター席に肘をつき、グラスの中で揺れる深紅の酒を見つめながら、ルイスは力なく微笑んだ。
「この路地裏に、こんな素敵なお店があるなんて、私、はじめて知りました」
ロザーナは繊細なカットグラスを手に取り、そこに満たされた蜂蜜酒をチビチビと舐めるように嗜んでいる。
「そう……いわゆる『隠れ家的な』ってやつですね……」
ルイスは流し目で凛とした女騎士の横顔を盗み見ながら、喉の奥で絶叫に近いツッコミを叩きつけていた。
(だってある意味では本当に『暗殺者の隠れ家』だからねっ!??)
そう――あろうことかルイスは、正義の守護者である現役の帝国憲兵騎士を、帝都の裏社会における最深部、暗殺者ギルドの直営酒場へと連れ込んでしまったのだ。
理由はシンプル極まりない。
帝都に流れ着いて日の浅いルイスが、「女性をお茶に誘うに相応しいオシャレな店」として思い浮かんだのが、ここしかなかったからである。
ちなみに二人の背後、それぞれのテーブルを囲んで静かに酒を呷っていた他の殺し屋たちの胸中は、気が気ではなかった。
息を殺し、背中に射抜くような視線を注ぎながら、ヒソヒソと狂乱の密談を交わす。
(お、おい……あの怪物、なんで憲兵騎士をこんな場所に連れてきてんだ……?)
(おいおいおい、しかもあの軽鎧……特別捜査局の《猟犬》じゃねーかよ!?)
(何考えてやがる……狂ってんのか……!?)
(ハッ!? まさか……証拠を握られる前に、ここで始末する気か……?)
(……なるほど。あいつならやりかねん……!)
「ん……?」
背後に漂う刺すような殺気を感じ取り、ルイスがふと振り返る。
だが、その瞬間にバッ! と全員が示し合わせたように視線を明後日の方向へと逸らした。
(う〜ん……気のせいかな……?)
首を傾げつつ、ルイスは再びロザーナへと視線を戻す。
女性にしては短く整えられた艶やかな髪。
細く切れ長の瞳は意思の強さを物語っているが、薄い唇は蜂蜜酒に濡れて微かに艶めいていた。
すると、視線に気づいたロザーナが頬を桜色に染め、恥ずかしそうに俯く。
「あ……あの……そんなに見つめられると、その……恥ずかしいです……」
「あっ! ご、ごめんなさい……!」
慌てて目を逸らすルイス。二人の間に、甘甘とした気まずい沈黙が流れた。
カウンターの内側では、ギルドマスターのヴィクター・アダムスが、珍しく面白がるような深い瞳でグラスを拭いている。
どうにかこの妙な空気感を打開すべく、ルイスは必死で会話の糸口を探した。
「あ、あの! ロザーナさんは、どうして憲兵騎士になられたんですか?」
問いかけると、ロザーナはパッと表情を明るくした。
「私、実は子爵家の生まれなんです。ですが上に姉が三人もおりますので、私一人くらいは自由に生きても構わないだろうと、家を飛び出してしまって……」
「へぇ~! それは思い切ったことを……。でも、失礼ですが女性で騎士になるのって、すごく難しかったんじゃないですか?」
「はい……並大抵ではありませんでした。ですが、私にはどうしても諦められない『夢』があったのです!」
会話が見事な滑らかさで回り始めた。
「どんな夢なんですか?」
「幼い頃に貪り読んだ『王国姫騎士物語』です!」
「……ん?」
聞き捨てならないタイトルが耳を叩き、ルイスは目を見開いた。
「あの本に描かれていた主人公、エリーゼ・バランタインの気高き勇姿……! 私は魂が焦がれるほどに憧れたのです!」
熱弁を振るい、小さく拳を握りしめるロザーナ。
それに、ルイスも身を乗り出した。
「騎竜に跨り、ランスを肩に担いで、伝説の巨竜に単身立ち向かった……!」
ルイスの言葉に、ロザーナの双眸が大きく見開かれた。
「ルイスさんも……! あの本をお読みになったことが!?」
「はい! もちろん!! 大好きな一冊です! 特にラスト直前の、あの……っ! あっ」
「あ……っ!」
共通のバイブルによって魂が共鳴した二人。
あまりの興奮に、気がつけば互いの手をガシッと力強く握りしめていた。
ふと正気に戻り、そっと手を離す二人。
次の瞬間、両者揃って顔を真っ赤に染め上げた。
カウンターの奥で、ヴィクターが「ふっ……」と小さく鼻腔を鳴らす。
「あ、いや……その、ルイスさんもお本がお好きだったなんて……」
「アハハ、いや~、小さい頃から本だけは無駄に読み耽ってきまして……アハ、アハハ……」
照れくさそうに頭を掻くルイス。
だがこの時、ロザーナの脳内では過大評価の二重奏が炸裂していた。
(……やっぱり。こうして平民の身なりを装ってはいるけれど、幼少期から高価な本を幾冊も買い与えられていたなんて……彼もまた、身分を隠した貴族の出……! どおりで、よく見ればどこか知性的で端正な横顔をしているわけだわ……)
当のルイスは間抜け面で笑っているだけなのだが、乙女心バイアスが女騎士の眼を完全に曇らせていた。
言わずもがな、ルイスの生家が蔵書の山で埋もれていたのは祖父の"異常さ"によるものであり、一般的な平民にとって本が超高級品であるという世間の常識を、ルイスはまるで理解していないのだった。
その後も談笑は弾み、テーマはもっぱら英雄譚と冒険譚へ。
共通の嗜好を持つ二人にとって時間は瞬く間に過ぎ去っていった。
――そして。
「いやぁ~、ごめんね! すっかり話し込んじゃって!」
「いえ、私も、楽しい時間でした。ぜひ……またお会いしましょう」
店の外、月明かりが照らす路地裏で名残惜しい別れの時間が訪れていた。
夜空には二つの月が清爽に輝いている。
「それじゃあ気をつけてね! 最近は何かと物騒だからさ。色々と……」
気遣うルイスの言葉に、ロザーナは腰のショートソードをカチャリと鳴らした。
「ふふ、一応これでも騎士の端くれですから。お気遣いは嬉しいですが、心配ご無用ですよ!」
凛としたカラカラとした笑い声を残し、女騎士は大通りへと去っていく。何度も何度も振り返っては手を振ってくるため、ルイスも(いつまで振ればいいんだこれ……)と腕を痛くしながら振り返し続けた。
やがて、そのしなやかな背中が角を曲がって見えなくなる。
ルイスはそそくさと店内に戻ると、カウンター席に倒れ込むように座り直し、「はぁぁぁぁ~……」と全魂を吐き出すような溜息をついた。
すると、ヴィクターがグラスを磨きながら忍び笑いを漏らした。
「クックック……ルイス君。彼女を引き込むつもりかい? 君専用の、憲兵騎士団の内部情報を抜くための『密偵』として……。おやおや……君も、なかなかに悪い男だねぇ」
(す、スパイっっ!!? どこをどう解釈したらそうなるのっ!?)
ルイスが口をパッカーンと開けて固まる中、背後のテーブル席にいた暗殺者たちは一斉に膝を打った。
(((((なるほどーーー!! そういう謀略だったのかぁぁぁ!!)))))
闇の世界の住人たちは、大いなる勘違いのもとで深く深く納得するのだった。




