26.恋愛劇は、突然に……
ルイスは静止したまま、軽装備を纏った女騎士と正面から視線を交わした。
首筋から背中にかけて、冷や汗が滝のような勢いで流れ落ちていく。
(やばいやばいやばい……! 詰んだ! 人生が、僕の人生がっ!?)
人類最速の妄想族……ルイスの爆走開始っ!!
――民衆から石を投げられ、断頭台へ、歩を進める自分。
『被告人ルイス! 楽に死ねると思うなよ? 貴様が命を奪ってきた者たちと同じ、いや、それ以上の苦痛と絶望に打ちひしがれ、無様に泣き叫ぶ姿を晒すがいい!』
『そうだっ! 殺っちまえー!』
『臓物を引きずり出せー!!』
『よくもお父さんを殺したなっ! 地獄へ堕ちろ、この悪魔っ!!』
脳内劇場、即終了……。
さすがに、これ以上は精神が保たないし、今はそれどころではない……。
そんな最悪の事態を打開するため、ルイスの無駄によく回る脳細胞と生存本能が、怒涛のフル回転を始める。
だが、先に口を開いたのは、不審そうに眉をひそめた騎士ロザーナ・ベルトランの方だった。
「おや……? どこかで、お会いしましたか?」
首を少しだけ傾げる彼女。
その瞳に確たる疑念の色の兆しはなく、純粋な既視感を辿っているような様子だ。
ルイスは必死で喉の奥を鳴らし、掠れそうな声を絞り出した。
「い、いえっ……! お初にお目にかかります、よ……?」
ごくりと生唾を飲み込む。
顔が引きつりそうになるのを、気合だけで押し留めた。
「そうでしたか。……で、改めてお聞きしますが。私にどんなご用でしょうか?」
凛とした佇まいでまっすぐに問い詰めてくるロザーナ。
その佇まいには、鍛え上げられた武人特有の隙のなさがあった。
(えっ!? ちょっと待って、なんでこの人、僕の気配に気づいたの!? 山の鹿よりも勘が鋭いんだけどっ!?)
女騎士の恐るべき潜在能力にルイスは戦慄した。
だが、ここで狼狽えていては「怪しい尾行者」として即座に身柄を拘束されてしまう。
追い詰められたルイスの頭脳が、土壇場でひとつの「生存戦略」を弾き出した。
(これしかない……! キザでウザい、軟派男を演じて嫌われ、拒絶させて退散する……っ!)
ルイスはふっと息を吐くと、前髪を指先でサラリとかき上げた。
「フッ……。実は、あまりにも君のことが気になってね。つい声をかけようと、追ってしまったんですよ」
「……は?」
ロザーナの表情が、さらに怪訝そうなものへと歪む。
だが、ルイスは必死だ。脳内の引き出しをひっくり返し、幼少期から読み込んできた無数の物語――その中の「恋愛小説」に登場する、典型的な噛ませ犬のナンパ男をトレースする。
――ルイス劇場、堂々の開幕である。
「君のように可憐で気高い女性を、僕は生まれて初めて目にしました……。できることなら、お近づきになりたい。なので……失礼を承知で、こうして声をかけさせていただいた次第です!」
大仰に両腕を広げ、ニヒルなドヤ顔を貼り付けるルイス。
白い前歯が、キラリーンと輝く。
しかし――。
「いや……先に声をかけたのは、私だが?」
「あ、そ、そうでした……ね……」
話の前提と順序を間違えるという痛恨のミスを犯したが、すぐさま気を取り直す。
どれほど不器用だろうと、ゲスな下心を秘めた不躾なナンパ野郎だと思われさえすれば、ルイスにとっては大勝利なのだ。
物語の定石通りなら、ここで『やめてください! 迷惑です!!』と叫ばれ、バシンッ! と激しい平手打ちが飛んでくるはずだ。
頬の痛みに耐えて打ちひしがれる振りをすれば、彼女は呆れ果てて立ち去るに違いない。
軟派よりも硬派な男に憧れてきたルイスだったが、今はプライドなどドブに捨て、生存戦略へと全自尊心をオール・ベットしていた。
(それに……爺ちゃんも言っていたしな)
脳裏に蘇るのは、故郷の山で狩りを教えてくれた祖父のありがたい金言だ。
『ルイスよ……女心は複雑怪奇……。儂ら男には一生理解できぬ深淵じゃ。だからな、去りゆく馬車と女は追うな……いつだって取り残されるのは男の方なんじゃから』
まさにその通りだ。
こんな胡散臭い手段で近づいてくる男など、まともな感覚を持った女性なら取り合うはずがない。
ましてや目の前の彼女は、清廉潔白を絵に描いたような帝国憲兵騎士なのだ。
この手の軽薄な誘いには、苛烈な拒絶を示して然るべきである。
よし、ここで一気に畳みかける!
「さあ、麗しき姫騎士様。……僕と、お茶でもいかがですか? 落ち着いた店で色々と語り合い、親睦を深めたいと思いまして!」
熱演を続けるルイスの心の中は、切実な悲鳴で満たされていた。
(さあ来い! これがトドメだ! 拒絶を! この頬を思いっきりひっ叩いて去ってくれぇぇぇぇ!!)
死刑宣告や拷問に比べれば、頬の一発や二発など蚊に刺されたようなもの。
ルイスは覚悟を決め、甘んじて衝撃を受け止める準備を整えていた。
怒声が飛ぶか。
侮蔑の視線で射抜かれるか。
あるいは、痛烈なビンタが炸裂するか。
――しかし。
目の前の女騎士はというと。
何故か、甲冑に包まれた両手をモジモジと組み替え、顔を深く俯かせ、耳の先端まで真っ赤に染め上げていたのだ。
「……へ?」
ルイスの口から、間抜けな声が漏れた。
「いや……その……やぶさかではないというか……。私も、このような経験は、ちょっと、その……初めてでして……。でも、私たち、会ったばかりでお互いのことをまだよく知らないと言いますか……っ」
「……ん?」
ルイスの引きつった顔が、じわじわとジト目へと変わっていく。
(……なんか……思ってた反応と、全然、違うんだけど……)
すると、意を決したようにロザーナがバッと勢いよく顔を上げた。
真っ赤な顔のまま、叫ぶように言い放つ。
「――あ、あのっ! ……お、おっ! おっっっ!」
「……お?」
吃るロザーナに引きずられ、ルイスも思わず身構える。
「お友達から、はじめませんかっっっっ!?」
路地に響き渡る切実な大声。
ルイスは引きつりそうになる表情筋を死ぬ気で固定しながら、内心では完全に呆気にとられていた。
(……爺ちゃん。女心がどうとか言ってた、アレ、一体なんだったの……?)
人生初のナンパが、まさかの「自分を捜査中の女騎士」という極めてヤバい立場の相手に大成功してしまった事実。
ルイスは、いつか故郷の祖父に向けて、最大級の文句と批難をしたためた手紙を送りつけてやろうと、心の中で固く誓うのだった。




