25.果てなき焦燥と声なき絶叫
「金〜、金っ、金っ、金~♪ ウッヒッヒッヒ~!」
薄暗い裏路地に、身も蓋もない下品な鼻歌が響き渡る。
ルイスの両眼はすでに、まばゆく輝く金貨マークへと切り替わっていた。
いつもの隠れ酒場の重い木扉を軽快に押し開ける。
「お疲れ様で~す! ヴィクターさん!」
朗らかな挨拶もそこそこに、跳ねるようなステップで床板を鳴らした。
カウンターの奥で帳簿を繰っていたギルドマスターのヴィクターが、ゆっくりと振り返る。
「やあ、ルイス君。そろそろ来る頃だと思って用意しておいたよ」
「いや~、すみませんねぇ……グヘッ、グヘヘッ……」
緩みきったニヤニヤ顔を隠そうともしないルイスの前へ、ヴィクターがカウンター越しに重厚な物体を持ち上げた。
――ドチャリ。
前回の比ではない巨大な麻袋が、重厚な音を立てて鎮座する。
袋越しに聞こえるジャラリという重厚な金属音は、中に広がる黄金色の絶景を雄弁に物語っていた。
さらに、驚くべき事態が続く。
ヴィクターがもう一つ、全く同じ密度の麻袋をどっかと並べ置いたのだ。
「今回も素晴らしい手際だった。依頼人はいたく満足されていてね。またしても『特例報酬』が上乗せされたよ」
パンパンに膨れ上がった二つの麻袋を前に、ルイスは目と口を限界まで丸くした。
脳裏で、長年培われたオタク的刃物収集欲が激しい渦を巻く。
(ナイフ、ナイフ……。ナイフなら、いくらあってもいいしね! で、次はやっぱり最高級のアダマンタイト製ショートソード……それとも豪快なバトルアックスか……!?)
だが、ここで田舎育ちの貧相な金銭感覚を暴露するわけにはいかない。
ルイスは瞬時に咳払いすると、キラーンと効果音が聞こえそうなドヤ顔を貼り付けた。
またしても、主演:ルイス。三文芝居の、幕開けである!
「いや~、すまないねぇヴィクターさん。またいつでも、この僕にご用命を!」
「ん? そうか……なら、ちょうど入った新しい依頼を……」
ヴィクターがカウンターの棚へ手を伸ばしかけた瞬間、ルイスの顔面が引きつった。
「いえいえいえっ! 僕ばかり割の良い仕事を独占するのは忍びないですから! 他の皆さんにも稼がせてあげてください! ねっ!?」
必死の二重芝居である。
この物騒な暗殺者稼業から足を洗い、憧れの冒険者へ転職するという野望は一ミリもブレていない。何より、毎回都合よく悪党ばかりが標的になるとも限らないのだ。サクサクと人を殺し続けていては、自分の魂が取り返しのつかない場所へ堕ちていく予感がしていた。
「おや……他者を思いやる心を持つ者は、この業界には稀だ。それも、君の尊い美徳だよ」
(真っ黒な暗殺者ギルドで『思いやり』とか『美徳』って何なんだ……?)
ルイスは心の中で激しくツッコミを入れたが、無難に苦笑いを浮かべてスルーした。
「全額持ち帰るかね? 当ギルドの金庫で預金として管理することも可能だが」
「あ、そんなシステムがあるんですね!」
宿屋の自室に大金を置くのは、さすがに盗難リスクが跳ね上がる。リリィの営む宿は比較的安全とはいえ、万が一を考えれば、掟に厳格すぎるギルドの金庫へ預ける方が遥かに確実だ。
「じゃあ、十枚ほど手元に残して、残りは全部預金でお願いします!」
「承知した。……ただし一つ注意事項だ。もし君が憲兵に捕縛されるか、あるいは死亡した場合、その預金はすべて当ギルドの所有へと帰属する」
「……ッ!?」
ルイスは息を呑んだ。
この過激な稼業を続ける限り、死や捕縛のリスクは常に隣り合わせだ。
一刻も早く、円満に脱退する方法を模索しなければならない。何より、あの凶悪すぎる新型クロスボウが憲兵に見つかれば、火あぶりの刑か八つ裂き刑は免れないのだから。
そこで、ルイスの頭脳に一つの妙案が閃いた。
「あのぅ……お金を預かってもらえるなら、ついでに『道具』なんかもこちらで保管してもらえたり……?」
「ああ。保管料は頂くが、そういった魔導具や特殊兵器の保管サービスも存在するよ」
ヴィクターの返答に、ルイスは胸を撫でおろした。これで最悪の事態になっても、リリィの宿屋に迷惑がかかることはない。だが、「魔導具」という言葉が引き金となり、疑問が口をついて出た。
「あの……帝都で弓矢が厳禁なのは知ってますけど、魔導士なら魔法で遠距離攻撃ができますよね? 彼らは規制されないんですか?」
故郷の村で長年読み耽ってきた冒険譚――手から猛火を放ち、一瞬で魔獣を焼滅させる規格外の存在。
ヴィクターは無表情のままパイプに火をつけ、紫煙をゆったりと吐き出した。
「ずっと昔……先帝陛下の治世のことだ。魔導士たちが『賢者の塔』なる権威組織を結成し、政治へ介入しようとしたことがあってね」
「あ、それ……王国で最近できたっていう噂を、吟遊詩人の歌で聞いた気が……」
「ほう、よく知っているな。まさにそれだ。先帝陛下は彼らが政治の表舞台へ進出することを断じて許さなかった」
「それで、どうなったんですか……?」
「突出した魔導士は全員粛清され、魔導適性を持つ家系は一族郎党、帝国から追放された」
またしても語られる血生臭い歴史に、ルイスの表情が強張る。
「私の先代から聞いた話だがね……その粛清の時期は、当ギルドも大いに潤ったそうだ。羨ましい限りだよ」
遠い目をするヴィクターの口元が、微かに歪んだ。
国家の都合で罪もない人々を狩り尽くした歴史の陰に、このギルドが存在していたという事実。
無詠唱で不可視の攻撃を放つ魔導士の恐ろしさと、それを平然と暗殺してきた組織の底知れなさに、ルイスの背筋を冷たい汗が伝った。
「何か飲んでいくかね?」という誘いを引きつった笑顔で辞退し、ルイスはギルドを後にした。
大通りをトボトボと歩く。
懐は温かいはずなのに、脳内は鉛のように重い思考で塗りつぶされていた。
(う~ん……脱退する方法は未だに謎のまま。地道にスレンダー先輩やマスターから過去の例外を聞き出すしかないか……)
ウンウンと唸りながら歩いていると、ふと見覚えのある暗い裏路地が目に入った。
あの先へと進めば、犯行現場であるあの廃教会へと行き着く。
複雑な思いで路地を見つめていたその時――影の奥から、二人の人物が不意に姿を現した。
(うわっ……やっば!!)
心臓が跳ね上がり、ルイスは咄嗟に近くの屋台の影へ滑り込んだ。
肉を焼いていた店主が、驚愕の面持ちでうずくまるルイスを見下ろす。
「あ、あの……何やってるんだ……?」
偶然にも串焼きを売っていたのは、暗殺者ギルドの連絡員・ドルテオだった。
ルイスは「しぃぃぃぃっ!」と必死の顔で人差し指を口元に立てる。そして店舗の隙間からそっと顔を覗かせ、聴覚を研ぎ澄ませた。
(やっぱり……あの時の憲兵の二人組だ!)
見覚えのある男女の騎士。
ルイスの鋭敏な耳が、二人の会話を拾い上げる。
「廃教会の件は、俺が報告書をまとめておく。ロザーナ、お前はもう今日は上がっていいぞ」
「いえ、私も報告書の作成をお手伝いします」
「いいんだよ。上へのお伺いも立てなきゃならん。今日一日で終わる仕事じゃない」
(ヤバいヤバいヤバい! あの廃教会が発射地点だって、完璧にバレてるじゃん!!)
冷や汗が吹き出す。
あの場所に何か決定的な証拠を残してしまったのだろうか? 焦燥が波のように押し寄せる。
「ですが……」
「気にするな。お前も彼氏の一人や二人いるんだろ? たまにはデートでもしてこい」
「……では、お言葉に甘えて非番に入らせていただきます」
「おう。明日も昼からの出勤でいいぞ」
不躾な上司にムッとした表情を浮かべ、女騎士ロザーナは踵を返した。
しかし彼女はそのまま大通りへ向かわず、再び廃教会へと続く暗い路地へ歩みを進めていく。
(あれ……? 一人でまた現場に戻る気か……?)
ルイスは考えるより先に、音もなく動き出していた。
それを見たドルテオは、目玉が飛び出さんばかりに凝視する。
(なっ……なんだあの足捌き!? 気配も音も完全に消えてやがる……本当に人間かよ!)
ルイスは故郷の山で草食動物を追う時のように、息を殺し、間合いを保ちながら女騎士の背中を尾行した。
しかし――十数歩進んだところで、しなやかな女騎士の背中がピタリと静止した。
静寂の中、彼女が緩やかに振り向く。
「あの……私に、何かご用ですか?」
目が点になったルイスと、不審の念を宿した女騎士の透き通るような青い瞳が、至近距離でバッチリと噛み合ってしまった。
(バレたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?)
ルイスは口を固く結んで絶叫こそ耐え抜いたものの、心臓が爆発せんばかりの激しい脈動を打ち鳴らしていた。




