23.地下の商談
その日、帝都の歴史は音を立てて軋んだ。
帝国諸侯議会議員オズワルド・ブコナー、白昼堂々の射殺――。
衆人環視の最中で起きた前代未聞の暗殺劇は、瞬く間に中央政治を恐慌状態へと叩き落とした。
犯人は影すら残さず逃亡。
現場に残された遺留品は、帝都の法で固く禁じられ、その概念すら存在しなかった未知なる「金属製の短い矢」のみ。
貴族街では即座に緊急議会が召集されたものの、自らの喉元に突きつけられた見えない刃に怯え、邸宅の奥深くに引きこもる議員が続出する。
非番の憲兵騎士団まで総動員されて貴族街は完全に封鎖され、帝都の空気は「支配する者」と「支配される者」との間に決して埋まらぬ深い断層を刻み込んだ。
この惨劇は、後に編纂される帝国史書において『フォー・アロウズ事件』と記され、永く語り継がれることになる。
一方、帝都の最底辺に蠢く裏社会においても、その衝撃は疾風のごとき速さで流言飛語となって伝播していた。
「おい……聞いたか? あの新入り、本当にやりやがったぞ」
「白昼堂々、憲兵がぎっしり詰まった広場のど真ん中だろ? 正気じゃねぇ……」
「暗殺ってのは夜陰に紛れてこっそりやるのが道理だろうが。奴は最初から、裏をかいたんだ」
「裏だと?」
「帝都に存在するはずのない遠距離兵器で、油断しきった警護の隙を突いたのさ。それに……あの新入り、ナイフ一本の近接型かと思いきや、まさか狙撃まで超一流だったとはな」
「近距離から超遠距離まで隙なし、か。とんでもない怪物をギルドは拾ってきたぜ……」
「けっ、なんだか知らんが。面白くなってきたぜ……」
影に生きる者たちは、街に流れ着いた謎の青年がもたらした狂乱の余波に、恐怖と奇妙な高揚感を募らせていた。
――だがその頃。当の「怪物」本人はというと。
「うわぁ~! こっちの隠し部屋にも、目移りしそうなものがたくさんありますね~!」
闇の武器商人ユーリー・バウトが所有する地下の秘密ギャラリーで、少年のように目を輝かせていた。
「お気に召す品はございましたか?」
上質な眼鏡の奥で、ユーリーは誇らしげに目を細める。
「あっ! これなんてすっごくオシャレですねー!」
ルイスの手にあるのは、極上に研ぎ澄まされた黒銀の刃。
(小ぶりで絶妙に湾曲してて、果物の皮を剥くのにピッタリじゃん! リングがついてるのも、キッチンで引っ掛けて収納するのに最高~♪)
「そちらも当店の特一級品になります」
(ほう……カランビットナイフとは。扱いが極めて難しいこれを迷わず選ぶとは……やはり彼は、あらゆる局面に即応するオールラウンダーの仕事人か……)
言っていることと腹の中の思惑が、致命的かつ完璧にすれ違ったまま、穏やかな商談は進む。
「うわ~、こっちのもシンプルなのに洗練されててカッコいい~!」
(持ち手の部分まで金属で出来てて、都会的でスタイリッシュなペティナイフだな~♪)
「特殊なアダマンタイト合金で鍛え上げた品です。どうぞ、そちらもお手に取ってお確かめください」
(ほほう……投擲ナイフか……。なるほど、先の狙撃に続き、中距離での無音殺傷手段も確保するつもりだな。なんというスキのなさ……)
すれ違いと過大評価の二重奏は、どこまでも続いていく。
「ええ~、どうしようかな~♪」
ルイスは二本の凶器を並べ、それぞれの「キッチングッズとしての美しさ」を真剣な目つきで吟味していた。
「まとめ買いしていただけるのでしたら、勉強させていただきますよ?」
「えっ、マジっすか!? いいんですかユーリーさん!」
「ええ。ルイスさんだからこその、特別割引です」
そう言って微笑むユーリーは、ルイスの目には知識豊富で気前の良い「親切な金物屋のおじさん」にしか映っていなかった。泣く子も黙る、武器商人なのだが……。
「じゃあ買います! 二本ともお願いします!」
ルイスが快諾すると、ユーリーはスツールを勧め、手際よく温かい紅茶を淹れ始めた。
「あれ? そういえば今日は、マリアさん……でしたっけ? あのスタイル抜群のメイドさんはいらっしゃらないんですか?」
「マリアなら、暗殺者ギルドへ行っておりますよ」
「……ん?」
ルイスの動作が、ぴたりと凍りつく。
「週に一回の定期報告ですよ。そういう形で、マスターのヴィクター氏と出向契約を結んでおりますので」
ユーリーは澄ました顔で、美しいソーサーに乗せたカップを差し出した。
湯気が立ち上る紅茶を見つめ、ルイスの脳内でいくつかのピースが音を立てて結びつく。
(あ、あの無表情でスタイル抜群のメイドさんも……暗殺者っ!?)
驚愕に引きつるルイスを余所に、ユーリーは静かに紅茶の香りを愉しむ。
「彼女は優秀な用心棒ですよ。肥えた豚議員一人守りきれずに狼狽える、どこかの間抜けな憲兵騎士団とは大違いです」
「ぶぐむぅっ!?」
危うく口に含んだ紅茶を吹き出しそうになり、ルイスは死に物狂いで口を押さえた。喉を鳴らして必死に飲み込み、袖で口元を拭う。
「あ……あはは、そうっすね……」
「聞いておりますよ。今回も実に見事な、鮮やかな手際だったと……」
ユーリーの細められた瞳の奥に、一瞬だけ深い闇が宿った。
「胸がすく思いです。あのブコナー議員もまた、私の姪を死に追いやった『プエルト商会』と深く繋がっておりましたからね。ルイス君はまたしても、私に仇なす連なりを葬ってくれた。とびきり惨めで、極めて残虐な形でね……」
佇んだまま静かに紅茶を啜るユーリー。
その背後に揺れる深い執念の影に、ルイスの首筋を冷や汗が伝い落ちる。
(……まあ、なんかよく分かんないけど、すごく喜んでくれてるみたいだし……結果オーライかな!)
汚れ仕事とはいえ、誰かの救いになれたのなら悪くない――持ち前の超楽観主義で納得する。
「お支払いはどうなさいますか? 分割払いにも対応しておりますが」
「男なら、一括払いでっ!!」
大金持ちの顔をして堂々と宣言する。
前回の依頼で得た大金はまだまだ手元にある、今回の狙撃任務でも多額の報酬が約束されているのだ。
この程度の買い物、痛くも痒くもない。
「ありがとうございます。専用のケースもお付けできますが……ルイスさんのことだ、実用派としてそのままお持ちになりますか?」
そこでルイスは、ふと素晴らしいアイデアを思いつき、手をぽんと叩いた。
「あ、そうだユーリーさん! ……これ、綺麗にラッピングとかってできたりします?」
「…………」
ユーリーの動作が完全に止まった。
静寂が支配する地下ギャラリーで、鈍く光る暗殺兵器を手に、満面の笑みを浮かべる青年。
そして、その手に握られた殺傷能力の"作品"を見つめる闇の商人。
「あ……贈答品……でしたか……」
ユーリーの眼鏡の奥の瞳に、そこはかとない切なさと戸惑いの色が浮かび、地下室にはなんとも言えない空気が流れるのだった。




