20.新たな依頼
「ああ、ブロウ・ガスリー。元は王国の冒険者だったが、随分"派手に遊び回った"あげく、ここへ流れてきたらしい……」
「……へっ!?」
カウンターの奥、大きめの寸胴鍋の中身をレードルでゆったりと混ぜながら、事も無げにヴィクターが放った言葉に、ルイスは目を丸くした。
「絵に描いたようなクズだったようだぞ。経験の浅い新人冒険者に言葉巧みに近づき、パーティーを組んでダンジョンへ潜ろうと誘い出す……」
「く、クズっ……!?」
ルイスの脳裏に、あの爽やかで柔和なブロウの笑顔が浮かぶ。とてもそんな悪名に彩られた人物とは思えなかったが、ヴィクターの淡々とした口調は続く。
「ああ。相手が男なら背後から突き刺して装備や武器を奪い取る。女なら……まあ、言わずとも、分かるだろう?」
ごくり、とルイスの喉が重く鳴った。
「で……で、どうなったんですか?」
先を促す声が震える。
結末なら、先ほど南門の広場でその惨烈すぎる姿を目撃してきたばかりだ。だが、どのような経緯であの「肉塊」へと成り果てたのか、聞かずにはいられなかった。
「悪行が明るみに出ると、王国のギルドと騎士団が彼を捕縛しようと動いた。だが、妙に勘の鋭い奴でね。包囲網が完成する頃には、まんまと国境線を越えていたのさ」
「で、でもっ! なんで今度はこの暗殺者ギルドを抜けようとしたんですか!? よりにもよって、こんなに急に……」
ルイスの至極当然な疑問に、ヴィクターは魔導コンロの青い炎を消し、真っ赤に熱した火箸の先端をパイプの煙草葉へ押し当てた。紫煙をゆるりと吐き出す。
「奴は、標的に対して『暗殺ギルドに依頼が出されている』ことを密かにリークし、高額で逃走を手助けする『逃がし屋』を兼業していたのだよ」
「逃がし屋っ!?」
「ふぅー……。最近、特定の依頼達成率がわずかに低下していてね。違和感を覚えて内部調査を進めていたんだ。奴は持ち前の悪知恵でそれを察知し、再び国外への逃亡を企てた……というわけだ」
ルイスはもう、魂が口から抜け出たような心地で事の顛末を聞いていた。
ふと見上げた天井では、魔導灯の淡い光の中に揺らめく煙が、儚く溶けて消えていく。
(……爺ちゃん。僕、すっかり忘れていたみたい。けど、爺ちゃんの言っていたこと、全部正しかったよ……!)
故郷の村で、今も健やかに薪でも割っているであろう育ての親の顔が浮かぶ。
あれは――いつのことだったか……。
『ルイス——いいか? 世の中にはな、息を吐くように嘘をつき、人を平然と騙す奴がいる。そういう奴に限って、絹のように耳ざわりの良い言葉と、飼い犬のように馴れ馴れしい笑顔で近づいてくるものだ……』
(……えっ!? 待って、僕、めちゃくちゃ危なかったんじゃないッ!?!?)
脳裏に鮮明に浮かび上がる、ダンジョンの奥深くの階層、闇の中、放置され、風化していく、自分の、白骨化死体……。
「うがぁぁぁぁぁぁっ!?」
悔しさと恐怖、そして自分の単純さに対するやり切れなさが爆発し、ルイスは頭を抱えて叫び声を上げた。
静かに酒を傾けていた店内の同業者たちが、一斉にビクッと肩を跳ね上がらせる。
(や、ヤバいぞ……! 急に叫び出した……! 殺人衝動が抑えられなくなったのか!?)
(やっぱり狂ってやがる……! 笑顔の裏に凶暴性を隠した、筋金入りの精神異常者だ……!)
ひそひそと殺気立った戦慄の囁きが飛び交う中、当のギルドマスターはといえば。
「クックック……。手柄を横取りされて悔しい気持ちはわかるがね。君にはすでに、別の新たな依頼があるだろう?」
面白そうに口元を歪めるヴィクター。致命的なまでに何かを勘違いしているようだが、ルイスの意識は別の混乱へと向けられた。
「……ン? 依頼、ですか……?」
ヴィクターは煙管の吸い口を、指揮棒のようにルイスの胸元へ向けた。
「その懐にある、依頼書だよ」
ルイスは慌てて胸元を探り、一通の封書を取り出す。黒い蝋で封された、あの羊皮紙だ。
「…………ぇ」
思考が氷結する。
「その依頼の難易度も最高峰——“ハード・ターゲット”だ。大いに期待しているよ、ルイス君」
ニヤリと浮かべられたマスターの笑みに、ルイスの額からだらだらと嫌な汗が噴き出した。
(しまっ……たぁぁぁぁぁぁっ! 内容も確認しないまま、流れで受け取っちゃったぁぁぁぁぁぁっ……!)
冷や汗で服が背中に貼りつくのを感じながら、ルイスは何とかキャンセルできないかと口を開く。
「あ、あのぅ〜……この依頼って、その……」
「すでに依頼人へも、受注の旨を伝えておいたぞ。大変喜んでおられたよ。……当ギルド、期待の新人が引き受けてくれた、とな」
過剰な発汗による脱水症状で、ルイスの顔面は一瞬にして土気色へと変わった。
その時——ポンッ! と背後から重々しく肩を叩く感触があった。
「ゲーゲッゲッ! よう兄弟、どうした? えらい青い顔をして」
振り返れば、そこにいたのはスレンダー・エッヂだった。病的な蒼白さという意味では人のことを言えないはずの男だが、今のルイスの青ざめようは明らかにそれを上回っていた。
「あ……ども、スレンダー先輩……」
ギギギ、と首を軋ませて振り返るルイスに、スレンダーは満足げに細い顎を鳴らした。
「不調の時こそ肉を食え、肉を! ああそうだ、ここは俺が奢ってやるぜ! マスター、この新入りに精のつく一番の、特製料理を出してやってくれ!」
「い、いえ、そんな悪いですよ……」
青ざめたまま固辞しようとするルイスに、スレンダーはギョロリとした目を細めて胸を張った。
「心配すんな! この俺が! ブロウ・ガスリーの居場所を真っ先に見つけ出して、美しく切り刻んでやったからな! 粛清報酬が手元にたんまりあるんだよ! ゲッゲっ!」
——ビシッ!!
ルイスは完全に石化した。
まさか。
仲良くなったと思っていた先輩が。
仲良くなったと思っていたもう一人の先輩を。
バラバラに解体していたとは——。
その完璧すぎる絶望のタイミングで。
「さあルイス君。私の自信作、新鮮な牛のレバーと心臓、そして第二胃袋をじっくり煮込んだ『特製トマト煮込み』だ。味わいたまえ!」
ヴィクターがいつもよりどこか滑らかな手つきで、一皿の料理をルイスの前に差し出した。
ルイスの視線が、ゆっくりと皿へ落ちる。
ドロッと赤く波打つ濃密なトマトソース。
その深みの中にゴロゴロと沈む、異形なる臓物の数々——。
瞬時に、昼間の南門広場に広げられていた「前衛芸術」のような光景が鮮烈にフラッシュバックした。
「うっ……っぶっ!?」
ルイスは口元を固く手で押さえると、弾かれたように奥のトイレへ向かって激走していった。
その後ろ姿を見送りながら、スレンダー・エッヂがぽつりと首を傾げる。
「なんだアイツ……? 酒の飲み過ぎか?」
ヴィクター・アダムスは、トントンとパイプの灰を落とすと、静かに、そして淡々と告げた。
「いや……今日、彼はまだ水しか口にしていないよ」
確かに、残されたカウンターの上には、真っ赤な臓物の煮込み皿の隣で、透明なグラスの水だけが寂しげに揺れていた。




