2.血の気配
ひたすら街道を歩き続け、時には親切な商人の荷馬車の荷台に揺られること、実に十日と半日。
ルイスはついに、目指す「都」の巨大な城門を潜り抜けた。
(……んん? 王都って、こんなに遠いって話だったっけか?)
道中、ふとそんな疑問が頭をよぎったことも、一度や二度ではない。
しかし――
(まあ、いいか! 無事に着いたんだし!)
持ち前の圧倒的な楽観主義がすべてを塗りつぶした。細かいことを気にしていては、立派な冒険者にはなれないのだ。
途中で通過した国境線――崩れ落ちた衛兵詰所や、雑草に埋もれて転がる錆びついた鎧、まるで戦場跡のような荒野の凄惨な光景すらも、
「あハ、アハハ〜! やっぱり冒険の旅って感じがするなぁ!」
と、脳内で都合よく「冒険譚の一幕」に変換し、ルイスは高鳴る胸を躍らせながら帝都の土を踏みしめたのだった。
最低限の必需品と夢だけが詰め込まれたパンパンの背嚢を揺らし、ルイスは「憧れの王都」――ではなく、敵国の『帝都』の街並みを見渡す。
「ん〜〜〜? なんだか……暗いし、人が少ないなぁ?」
首をかしげるルイス。
幼い頃、村にやってくる行商人の話や吟遊詩人の歌から聞いていた「王都」は、もっと華やかな色彩に溢れ、人々が賑やかに行き交う活気ある街のはずだった。
だが目の前に広がるのは、灰色の石造りの建物が重苦しく立ち並ぶ、どこか異様な静けさだった。
――しかし、ルイスのポジティブ思考は止まらない。
(まあ、爺ちゃんも『旅人の噂なんて話半分に聞いておけ』って言ってたしな! それに、吟遊詩人が歌ってたのは祭りの日のことかもしれないし!)
自分の中で完璧な言い訳を完成させると、ルイスは一人で納得の笑みを浮かべた。
折悪しく頭上を覆う重い曇天のせいだろう。都会の空気感なんて、お天気ひとつでガラリと変わるものなのだ。そうに違いない。
そう考えたまま、硬い石畳を踏みしめ、歩いていく。
通りを歩くにつれ、建物の影や路地裏にうずくまる浮浪者や、真昼間から安酒の瓶を煽って虚ろな目をしている男たちの姿が目につくようになった。
ふと横の暗い路地を覗き込むと――
「なんだとコラァ! ぶち殺すぞ。ヤっちまえ!」
「死ねやコラァッ! 臓物ブチ撒けろ!」
なにやら男たちが、血走った目で派手に殴り合っている最中だった。
「うわ〜、おっかねぇ……。都会の人は血気が多いな〜。ウチの村でも、畑の境界線がどうとかで隣のおっちゃん達が鍬を持って殴り合ってたっけ〜」
まるで故郷の平和な日常を思い出すかのように目を細め、ルイスは呑気にその横を通り過ぎていった。
そのまま目抜き通りをしばらく歩いていると、ふわりと香ばしい肉の焦げる匂いが鼻腔をくすぐった。
ジュージューと重厚な音を立てて煙を上げる、一軒の屋台が見える。
そういえば、朝から何も食べていなかった。
ぐう、と情けない音を立てて鳴る腹の虫を宥めながら、ルイスは足取りも軽く屋台へと向かった。
「すみませーん!」
とびきり元気で朗らかな笑顔で声をかけた――つもりだった。
だが、串焼きを焼いていた体幅のあるひげ面の大男は、ビクリッ! と全身を強張らせ、弾かれたように顔を上げた。
「……な、なんだ。貴様は……っ!?」
なぜか大男は、喉元に刃物を突きつけられたかのような引き攣った顔で、ルイスを激しく警戒している。
「ん? あ、あのぅ、それ売り物なんですよね?」
ルイスは、鉄板の上で弾ける肉厚な串焼きを無邪気に指差した。
「……あ、ああ。そうだ……」
大男は困惑と警戒を隠せない様子で、引きつった声を出した。
ルイスは(あ、そうか)と合点がいった。
(もしかして、都会じゃ大きな声で話すのはマナー違反なのかなぁ……)
田舎者だと思われないよう、ルイスは速やかに態度を改めることにした。
「一本、下さいな」
今度は殺気を一切感じさせないよう(ルイスなりの配慮で)、ヒソヒソと囁くような小さな声で伝えた。
「あ、ああ……ほら、受け取れ……」
なぜか大男は、額に大量の冷や汗を浮かべ、震える手で出来立ての串焼きを差し出してきた。
「ありがとうございます!」
ルイスは腰のポーチから、大事に保管していた銅貨を二枚手渡した。
故郷の村を訪れる行商人に、自分で狩った鹿肉を買い取ってもらってコツコツ貯めた、ルイスにとって大切な財産だ。
「んんん〜〜〜! 美味いっっ!」
一口かぶりついた瞬間、ルイスの瞳が輝いた。
村で食べていたのは、せいぜい岩塩を振っただけの鹿肉か、臭み消しの香草と一緒に煮込んだ熊肉くらいだ。目の前の串焼きは、口の中に広がる油脂の旨味と、ピリリと舌を刺激する複雑なスパイスが絶妙に絡み合っていた。
(これが噂に聞く『香辛料』っていうヤツか……! 都会ってすごいなぁ!)
ムシャムシャと夢中で頬張りながら、ルイスはその滋味深さに幸福感いっぱいで顔を綻ばせる。
ふと見やると、屋台の背後には解体途中の大きな肉の塊が吊り下げられていた。肉屋が兼業でやっている屋台なのかもしれない、とルイスは一人納得した。
残りあと二口というところで、ルイスは串を咥えたまま口を開いた。
「ムシャムシャ……ひょっほ、ひひたいほろがあふんですけど……」
「……なに言ってるのか分からん……こともないが。飲み込んでから話しな」
大男に正論で注意を受け、ルイスは「ムシャムシャ、ゴクン!」と豪快に飲み込んで口内を空にした。
そして、改めて尋ねる。
「お聞きしたいんですが。ギルドって、どこにありますか?」
「……ギルド、だと?」
店主の大男の目が、急激に鋭く光った。
「はい! ギルドです。僕、今日から加入したくて!」
ルイスが満面の笑みで答えると、大男はルイスの全身をじろりと品定めるように見つめた。
「お前さん……見る限り丸腰にしか見えねぇが。……得物はどうした?」
「あ、得物ですか? コレです!」
ルイスは「えっへん」と胸を張り、使い古したのローブの胸元から、大きな一振りのナイフをシャッと引き抜いて見せた。
――カシャンッ!!
乾いた金属音が石畳に響いた。
大男の手元にあった、厚みのある肉切り包丁が手から滑り落ちた音だった。
「あ、大丈夫ですか? 包丁、落ちましたよ?」
「い、いや……すまねぇ、大丈夫だ。しかしお前さん……こんな白昼堂々、こんな場所で、そんな代物を迂闊に見せるもんじゃねぇ……!」
大男は焦ったように足元から包丁を拾い上げると、周囲をチラチラと気にしながら慌てて言った。
ルイスは、自分の軽率さを反省した。
(あー、そ、そうかぁ。街中で突然、刃物を取り出すなんて、怒られちゃうよなぁ。都会のルールを勉強しないと……)
明当違いな反省をするルイスに対し、店主の一転した態度は迅速だった。
彼はそれ以上何も追及せず、非常に親切かつ丁寧に「ギルド」への道順を教えてくれた。どうやら表通りには面しておらず、人通りの少ない裏路地の奥深くに存在するらしい。
「すっごく美味しかったです! おじさん、ごちそうさまでした!」
ルイスは元気に手を振ると、教えられた裏路地に向かって軽やかな足取りで去っていった。
遠ざかっていくルイスの笑みを、店主の大男は呆然と見送っていた。
その目には、純真無垢で、花のような笑顔を咲かせる、ごく普通の青年の姿しか映らない。
だが――それこそが、何よりも恐ろしかった。
足音も、呼吸音すらもない。世界と同化したかのような静まり返った気配のまま、いつの間にか己の眼前に立ち、声をかけてきたあの身のこなし。
そして、何よりあのナイフだ。
肉屋のドルテオ――その裏の顔である"暗殺者ギルド"の連絡員としての鋭い嗅覚が、あの青年の異常性を痛烈に理解していた。
「あの刃……ミスリル合金か……。それに、なんて……なんて血の気配だよ……っ!」
一体どれだけの人間を屠れば、刃にあれほどの禍々しさと血の臭いが染みつくというのか。
ドルテオの背筋を、冷たい汗が流れ落ちる
――とんでもない化け物が、新入りとしてこの街にやってきた。
……もちろん、当の本人にそんな自覚など微塵もない。
教えられた通り、薄暗く人目のない路地裏をてくてくと歩いていたルイスはというと――
「クンクン……うぉぇぇぇぇぇ、臭っ! そういえばこの前、熊を捌いたあと、ちゃんと洗わなかったっけなぁ……」
愛用ナイフの柄に染みついた「血と獣脂の腐敗臭」に、一人で本気で顔をしかめていたのだった。




