18.晴れ渡る空の影
粛清依頼が発せられた翌朝。
ルイスは狭い部屋の中を、まるで檻の中の熊のようにぐるぐると歩き回っていた。
一歩、二歩、三歩、ターン。そしてまた一歩——。床板を無駄に踏み鳴らす焦燥感の永久機関。
ちなみに階下にいるリリィは、
(うるっせぇなぁ! 朝っぱらから何してんのよ!! アイツはっ!!)
と、静かにブチ切れていた。
しばらくして、ルイスは悟る。このウォーキングが、なんの生産性もない徒労だと。
そして、とりあえず出掛けることにした。
特に、あてもないまま、すがるような思いで暗殺者ギルドの重いドアを押し開けていた。
燻る煙草の臭いと静寂が満ちる店内。
カウンターの奥では、いつものようにマスターのヴィクター・アダムスが背を向けたまま、クロスでグラスを磨いている。
客の姿はなく、静まり返った店内にルイスの踏みしめる床板の軋みだけが鈍く響いた。
すると——。
「ルイス君か、ちょうどよかった……」
「あひっ!?」
背を向けたまま投げかけられた声に、ルイスは情けない声を上げて自分の舌を盛大に噛んだ。
ヴィクターはゆっくりと振り返ると、呆れ果てたように深く肩をすくめてみせる。
「君は、本当に足音がしないねぇ。気配も、ドアを開ける音すらも殺している……。まあ、床板が古びて軋んでくれるお陰で、ここで"だけ"は私が不意を突かれずに、済んでいるのかもしれないねぇ?」
本気とも冗談ともつかない言葉に、ルイスはひきつった笑みを浮かべるのが精一杯だった。
「あ、あのぅ、その……ちょうどよかった、というのは?」
「新しい依頼だよ。ぜひとも、君にお願いしたいと思ってね」
ヴィクターはカウンターの上に、黒い蝋で封された一通の封書を滑らせた。
(うっわ〜……また物騒なお仕事かぁ。正直、今はそれどころじゃないんだけどなぁ……)
恐る恐るその封書に手を伸ばしたルイスだったが、開封する直前でふと動きを止めた。
胸を押し潰しそうな、疑問に耐えかね、意を決して尋ねる。
「あの……昨日の粛清依頼。ブロウさんの件って、どうなりました……?」
ヴィクターはパイプを咥えたまま、珍しく呆気にとられたように少しだけ目を見開いた。
「……なんだ、知らないのか?」
「えっ? なにを、ですか?」
「今日の午前中に"処理"は完了したと報告があった。滞りなく、ね」
ルイスの思考がピタリと停止した。
「……ん? え? え? かん……りょう……?」
喉の奥が痙攣し、掠れた声が漏れ出る。
「なんだ。君も奴を――粛清報酬を狙っていたのか? 残念だったね。……今、ブロウ・ガスリー『だったモノ』なら、南門の広場に転がっているよ」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ルイスは依頼書をむんずと掴んで懐に突っ込むと、弾かれたようにギルドを飛び出した。
帝都の石畳を、風を切るような凄まじい速度で疾走する。
目的地である南門に近づくにつれ、人だかりのざわめきと、嫌な匂いが鼻をついた。
「す、すみません! ちょっと、ちょっと通してください!」
「なんだよ急に!? 押すんじゃねぇ!」
人々の非難や怒号を全身で受け流しながら、憲兵騎士団が規制線を張る最前線へと必死で割り込む。
そして、ルイスの視界に、とび込んできたものは——。
膝の力が抜け、足元がガタガタと激しく震え出す。
顔面からサーッと血の気が引き、ルイスは耐えかね、人ごみから必死で脱すると、近くの汚いドブへ倒れ込むように這い寄った。
「ゔぉえぇぇぇぇ! うげぇぇぇっ!!」
猛烈な吐き気が胃を突き上げてきたものの、持ち前の無駄に強靭な消化器官と頑丈な体が威力を発揮し、胃の内容物の逆流を完璧に押し留めてしまった。
「うわ、きったねぇな……」
「ああいうのが苦手なら、見るなよ……」
周囲の見物人たちから冷ややかな侮蔑の視線が突き刺さるが、それどころではない。
ルイスは口元を手で押さえ、涙目でじっと群衆の背中を凝視した。
(……バラバラじゃん! ええっ!? バラバラにされてんじゃんッ!!)
目にしたのは、人の尊厳とは何ぞや? と、問いたくなるような、視界の九割が真っ赤っかに染まった惨劇だった。
どれが四肢で、どれが胴体だったのかすら判別不能な肉塊が、広範囲の血の海の上に無造作に散らばっている。
(え……ダメじゃん!?)
心の中にだけ留めておくはずだった絶望の叫びが、ついに抑えきれずに爆発した。
「えっ! ダメじゃーーーーーーんッ?!!」
晴れ渡る空に、ブロウ先輩の爽やかな笑顔が、虚しく透過して、浮かんで見えた気がした。
またしても、見物人たちがヒソヒソと囁き交わす。
「なんだ、アイツ……?」
「やめとけ、目を合わせるなって……」
憐れみと不気味がる視線が注がれるが、当のルイスはそれどころではない。
(えっ!? ブロウさん、脱退してもいけるって言ったよね!? ドヤ顔で言ってたよね!! ええっ!? バラバラにされてんじゃんっ!!)
ひとときでも、優しく接してくれた先輩が無惨に始末された悲しみなど微塵もない。
今、ルイスの胸を占めているのは——純度百パーセントの「恐怖」だった。
やはり、暗殺者ギルドの鉄の掟から逃れる術など、どこにも存在しないのだ。
恐怖のあまり頭を抱え、地面にうずくまってプルプルと震えるルイス。
——だが、その時。
涙で滲む視界の端を、見覚えのある"二人組"の影が不自然に横切った。
(ん……? アレって……あの時の……?)
今しがたの死の恐怖もどこへやら、ルイスの底抜けな好奇心と関心は、瞬時にそちらへと上書きされたのだった。




