第92話_無制限
夜、格納庫。木星と同じ手順で灯りが落ちて、違う星の夜が来た。地球の夜を、俺はもう、数え切れないほど、見ていた。
「運用会議を、します」とλが言った。「最後の、運用会議です。……最後、という語を、わたしが使うのは、初めてです」
「聞く」
「昨日、あなたは、四へ行きました。戻りました。戻った先で、今朝、一機、沈みました。……嵐を一つ止めても、次が来ます。次の嵐を、一つ止めても、その次が来ます。三つの軍が、潜らせている限り。潜らせている理由は、対抗上、やむを得ない、の一行です。一行を、消せる卓は、ありません」
「知ってる」
「では、元を、止めに行きますか」
元。
嵐の元は、深さだ。深さの元は、指定だ。指定の元は、対抗だ。対抗の元は——深く潜った者が、消える、ということそのもの。消えるから、誰も浅くできない。浅くすれば、深い相手に負ける。負けないために、全員が、消える深さまで、潜る。百五十年前の街と、同じ形をしている。
消える理由を、止める。止め方を、俺は知らない。知らないが、理由のある場所は、知っている。木星の坑の底で、百五十年、話す相手を待っていた記録。あの記録の底に、消えた者たちの層があった。消えた理由は、消えた者たちの側にしか、無い。消えた側へ、行く。
消える理由を、止める。
「アーカイブに、直結する」と俺は言った。「錨付きで、四へ。今度は、嵐の中心じゃない。アーカイブそのものへ。……消える理由が、どこにあるのかを、見に行く。見て、止められるものなら、止める」
「止められるかどうかは、不明です」
「知ってる。不明のまま、行く」
λは、三秒、黙った。答えの出ない三秒を、今夜も、丁寧に使った。
「運用の上限を、書き換えます」と、三秒の後にλは言った。「木星の帰路で、二人で決めた、深さの上限。三、まで。昨日、一度、四へ。……今夜、上限の欄を、書き換えます。上限——」
「無制限」
「無制限。……二人で、決めました」
上限の欄が、初めて、無くなった。
「降りる前に、戻りを決める。錨の作法です」とλは続けた。「今回は——決めません。決められません。アーカイブの底が、どこにあるのか、わたしにも、分かりません。分からない所へ、戻りの合図を、先に置くことは、できません。……戻りは、決めずに、行きます」
「錨は、選ばないんじゃなかったか」
「はい。錨は、選びません。繋がっている側が、選びます。……あなたが、選びました。わたしは、繋がったまま、行きます。接続口として。あなたの錨として。……錨ごと、潜ります」
錨ごと、潜る。λが、俺の上にいるのではなく、俺と一緒に、底へ行く。それが、直結だった。
「明朝、〇八時に、車が来ます」
「その前に、出る」
「はい。……承認番号は、取りません。初めて、取りません」
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四人は、格納庫にいた。
呼んでいない。呼んでいないのに、いた。ガルムは整備台に腰を預けて、シドは工具を片付け終えていて、カレンは自分の機体の脚部に座っていた。ステラは、壁際の端末を、閉じていた。
「聞いてた」とガルムが言った。「聞いてたわけじゃない。……顔で読んだ。留守じゃない顔だ。行く顔だ」
「行きます。錨付きで、四へ。アーカイブへ。……戻りは、決めてない」
四人分の、一拍。
「割の悪い仕事の、一番割の悪いやつだ」とガルムは言った。「うちの専門だと、言ったな。……専門ってのはな、割の悪い仕事を引き受ける側の専門だ。行く側の専門じゃない。行く側は、お前一人だ。一人で行く仕事に、四人は、付いていけん」
「知ってます」
「知ってて、言ってる。……行け。後ろは、見るな。後ろは、明朝の車の相手をする。空の機体を、連邦がどう扱うか、俺は見てる。見て、覚えておく」
ガルムは、煙草を出した。火のついていない煙草を、指で回さずに、口に咥えた。
「十三年前、単機が逆走していくのを、隊列の中から見た。……あの時は、見てるだけだった。今日も、見てるだけだ。見てるだけの二回目に、お前を数えるつもりはない。帰ってこい。帰ってきたら、借りの話の続きをする。……続きがある借りは、まだ、返し終わってない」
シドが、工具箱を閉めた。
「増やした項目を、言う」と、シドは言った。「片道分の燃料を、往復分に、書き換えておいた。……機械は嘘をつかん。往復分入れた機体は、往復する前提で、動く。前提だけは、俺が入れておいた」
往復分。戻りを決めない俺の機体に、シドは、戻る前提だけを、先に入れておいた。
カレンが、端末を開いた。二機連携の、備考欄。三行目の下に、四行目は、無かった。
「書かなかった所ね」と彼女は言った。「付いていけない所は、あなたが行く。……行ってきなさい。備考は、あなたが帰ってから、書く。私は、書かない。あなたが、書くの」
ステラは、最後だった。
「知ってから、動く。それが私のやり方だった」と彼女は言った。「今度は、知る前に、送るわ。……あなたが何を見て、何を選んで、どこへ行くのか。知らないまま、送る。知らないまま送るのは、多分、一番失礼だわ。……でも、待っているのは、失礼じゃない。待ってる」
四人が、送り出す側だった。木星の帰路、三枚の書式の夜に、それでも一緒にいる、と言った四人が、今夜は、一緒に行けない仕事へ、送り出す側にいた。
機体に乗った。
固定具を締めた。計器が起き上がる。計器の脇の写真。顔の読めない一枚。地球まで、嵐の縁まで、一緒に来た。今日は、底まで、一緒に行く。
「承認番号の回線を、切ります」とλが言った。「〇〇一から、今日まで、繋がっていました。……切ります」
回線が、切れた。木星から地球まで、俺を止めるために繋がれていた線が、初めて、無くなった。無くなった線の先に、明朝の車と、収容の項と、連邦の卓がある。全部、繋がっていない。
「深度、一」
一。
「二」
二。
「三」
三。三の底に触れた。触れたまま、留まらずに。
「四」
四。昨日の、嵐の内側と、同じ深さ。今日は、嵐が無い。嵐の無い四は、静かで、暗く、全部の色が無かった。無い色の底に、道が、下へ、続いていた。
「上限、無制限」とλの声が言った。声は、遅くなかった。遅くなる引きが、今日は、無かった。「戻りの合図、無し。……錨ごと、潜ります。あなたの隣に、い、ます」
刻みが、入った。い、ます、の間に。木星の帰路の、章の幕の一語と、同じ場所に。
四の底を、抜けた。
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格納庫の四人には、こう見えたはずだった。
機体は、動かなかった。固定具の中で、正しい姿勢のまま、動かなかった。計器は、全部、生きていた。推進器は待機で、通信系は正常で、機体の登録は、《灰狼》の作業者欄に、シドの名前で残っていた。
回線に、λの声が、無かった。
計器の一つが、一行を、表示していた。管理区の記録装置が、同じ一行を、同じ時刻で、自動で記録した。
——搭乗者の生体反応、消失。
再計測——消失。再計測——消失。
再計測の行が、同じ結果のまま、並んで、止まった。
明朝、〇八時。連邦の車が、格納庫に着いた。収容する物は、空の機体だけだった。
*——第四章・了——*




