第91話_十九時間
――Kathodos
承認番号、〇八七。
嵐の翌朝、王権は、来た。
来たのは、艦隊ではなかった。六割を失った艦隊は、艦隊の形をしていない。来たのは、外縁三拠点に残っていた、敗残の小隊だった。十一機。管理区の外周線の、南東。俺たちの受け持ちへ、まっすぐに。
「橙、十一」とλが言った。「……深いです。昨日と、同じ深さです」
同じ深さ。
嵐が止まった。旗艦の隊長は、個の反応に戻った。王権の艦隊は、六割を失った。それでも、指定深度の数字は、下がっていなかった。昨日の朝の指定が、今朝も、そのまま生きている。誰も、書き換えていない。書き換える卓が、今、どこにあるのかも、分からなかった。
「読みます。指定を、守っています。全機。……浅く飛んだ者は、報告の対象。その文面のままです」
俺は、橙を読んだ。硬い狙い。順序の変わらない狙い。十一機とも、同じ深さから、同じ硬さで来る。
「カレン、前。シド、後ろ。……いつも通りに」
『いつも通りね』とカレンの声。『昨日、あれだけのことがあって、いつも通り』
カレンが引いた。引き方は、近弾の日と同じで、間合いだけが、あの日より二百、遠かった。計算の外から撃たれた日の分を、彼女は、計算の内側に入れ直していた。入れ直した分だけ、四機の間隔が詰まり、岩の影を回った先で、一本の線に並んだ。並ぶ場所を、俺は先に知っている。
いつも通りに、止めた。一機目、推進部。二機目、砲口。三機目、推進部。硬い狙いは読みやすく、読みやすい分だけ、外しやすかった。止めるたびに、照準の中の色が沈んでいないことを、先に確かめた。確かめる癖は、三番機の日から、消えていない。
四機目で、確かめた時、沈んでいた。
橙が、沈んで——消えた。
推進器は生きている。機体は直進している。三秒前まであった生体信号が、無い。照準の中に、噴射口だけがある。
「共鳴、消失」とλが言った。「……昨日、嵐が止まって、十九時間です。十九時間後の、一件目です」
十九時間。嵐が止まった朝に、消える兵がいた。嵐は、一つだった。一つ止めた。止めた翌朝に、指定は下がらず、深さは同じで、一機、沈んだ。
『——四番、応答しろ。四番——』
王権の声を、俺は最後まで聞かなかった。聞かずに、残りの七機を、いつも通りに止めた。止めた七機は、生きている。生きている七機の指定深度は、明日も、同じ数字だ。
「三つの軍が、潜らせている限り、次の嵐は、来ます」と、帰投の途中で、λは言った。「嵐は、深さの、結果です。深さは、指定の、結果です。指定は——止まっていません。……昨夜、言いました。原因は、止まっていません。原因は、これです」
原因は、これ。
昨日、五人で嵐を止めた。止めた嵐の原因が、今朝、俺の照準の中で、一機、沈んだ。
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「後で、言います、と言いました」とλが言った。
帰投後の格納庫。固定具を外して、地面に立った。立った足が、一度、揺れた。揺れを、壁に手をついて、止めた。
「言ってくれ」
「四からの帰還、一回。増分——三・二。累計、十五・三」
三・二。実験の日の〇・三の、十倍以上。一回で。
「深度四の、記録は、二件しか、ありません。一件は、帰還なし。一件は、昨日の、あなたです。二件から、次の増分を、推定することは——できません。数字が、足りません。……足りない数字を、わたしは、言いません」
言わない。不嘘の、いつもの形だった。
「昨日、道の上で、俺は、入れなかった」
「はい。あなたは、五分間、線を引き続けました。入れませんでした。……入れなかった代わりに、線を引く力の分だけ、削れました。三・二の中に、その分が、入っています」
入れないことにも、代償があった。入れば、嵐の一部になる。入れなければ、削れる。どちらでも、減る。減り方が、違うだけだった。
「線を引く力は、まだ、あるか」
「あります。……減っています」
減っている。減る速さが、昨日、一段、上がった。上がった速さで、次に四へ行けば、どうなるかを、λは言わない。言える数字が無いからだ。無い数字の欄を、俺は、自分で埋めることになる。
「一つ、聞く。……十五・三は、どのくらいだ。百まで、あと、どのくらいだ」
「百は、消失の数字では、ありません」とλは言った。「百は、わたしが、計測できる、上限です。上限の手前で、何が起きるかは、記録にありません。……三つ目の症状が、十二で、出ました。四つ目が、いくつで出るかは、書かれていません」
四つ目。段階の全貌を、俺は聞いていない。聞いていないが、三つ目の次に、四つ目があることは、分かっていた。名前、味、境目。その次に、来るもの。
「書かれていないことは、言えません。……ただ、加速している、とは、言えます。実測です」
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再編は、報の形で来た。
王権。旗艦は、本国へ後退。第一精鋭隊、本国送還。隊長の消息は、その一行の中に、階級と役職だけで、畳まれていた。艦隊司令からの下問「保全対象の回収、期日は」——取り下げ。取り下げの理由は、書かれていなかった。書かれていない理由の分だけ、王権の卓には、空白ができていた。
教団。六隻と、回収体と、三十を超える空の機体。全部、地球圏の観測から、消えた。放送は、無い。通信も、無い。集めるものを集めて、去った。次にどこで何を集めるのかを、誰も知らない。
連邦。
「収容の項、発効日、変更なし」と、審査長は読んだ。「明朝、〇八時」
卓の外側で、運用局の者が、一度だけ言った。「対象の運用価値は、嵐の鎮圧で、さらに上がった。同等の相手は、消えた。……次の嵐が来た時、投入できる対象を、管理下に置いておく。それが、本国の結論です」
壁の中で、保管して、次の嵐へ投げる。昨日、檻は俺を嵐へ投げた。投げて、戻ってきたものを、明朝から、壁の中に置く。置いておいて、次に投げる。指定深度を下げる卓が無いのと同じで、俺を投げない卓も、どこにも無かった。
「法務から、一点」とステラが言った。
「述べよ」
「本審査の記録に、添付を一件。……私設護衛契約書。契約主体、対象本人。受託者、《灰狼》。署名、六名分。原本の写しです」
審査長が、初めて、顔を上げた。
「政府の書式ではない」
「はい。政府の書式ではありません。ですから、政府の決定で、無効にできません。……添付は、記録に残すためです。この対象には、対象ではなく主体として、自分の名前を書いた紙が、一枚ある。それを、本審査の記録の中に、置いておきます。日付と共に」
「……添付を、認める」
紙は、政府の記録に入った。入った紙は、消せない。工具棚の抽斗の一枚が、今日から、二枚になった。一枚は抽斗に、一枚は、連邦の記録の中に。
卓を出る廊下で、ステラが、歩調を変えずに言った。
「これで、明日、あなたが壁の中に入っても、あなたが頼む側だった記録は、消えないわ。……壁の中に入らなくても、同じ。どっちでも、消えない。それだけを、今日、やっておいたの」
「どっちでも、って」
「知ってから動く、と言ったでしょう。……知ってるわ。あなたの顔は、壁に入る顔じゃない」
すれ違って、それきりだった。それきりで、足りた。
卓が立った。明朝、〇八時。




