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λ:ASTRA 〜星の共鳴者〜  作者: Pemo


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第93話_底

――最終章 共鳴


――Phone(ポーネー)


名簿の余白に、自分で書いた一行がある。


——読めない的、一。消える者の型に合致しない。継続して、読むこと。


読み手は、その一行を、今朝も声に出して読んだ。読んだ後に、報告書を一枚、開いた。地球の管理区からの、傍受の写し。的の機体の、搭乗者の生体反応、消失。再計測、消失。


的は、消えた。


消えたなら、型に合致したことになる。合致したなら、余白の一行は、間違いだったことになる。間違いは、直さなくてはいけない。直す、と教わっている。読み手は筆を取った。取って、一行の上に、線を引こうとした。


手が、止まった。


的は、浅いまま戦った。浅いまま、こちらの全部を外した。最後だけ、深く行って、消えた。深く行った者は消える。それは、教わった通りだ。でも、あの的は、深く行く前に、戻る手順を持っていた。戻る手順を持った者が、戻らなかった記録は、名簿に一つもない。


一つもないことを、読み手は知っていた。知っていることは、毎日確かめている。


線は、引かなかった。


「降ります」と長の声が言った。読む声と同じ速さだった。「地球の、管理区。的の機体を、回収します。全隊で」


全隊。六隻と、回収体の全部。空の機体を、一つ集めるために。


読み手は、名簿を閉じた。閉じる前に、余白の一行を、もう一度だけ見た。継続して、読むこと。


---


底は、上下が無かった。


四の底を抜けた先を、俺は、落ちているとも、浮いているとも言えなかった。体の重さが無い。固定具の感触が無い。計器の光も無い。有るのは、握っている線と、背中の声だけだった。


「ここが、アーカイブの、内側です」とλが言った。


声が、近かった。


機体の中で聞くλの声は、いつもスピーカーの向こうにあった。ここでは、スピーカーが無い。声が、俺のすぐ隣から来る。隣、という言い方も、正しくなかった。俺の輪郭の、すぐ内側から来ていた。


「時間は、外より、ゆっくりです。……推定ですが、外の一分が、ここでは、もっと長いです」


周りに、列があった。


木星の坑の底で見た、名前の列。読めない文字の名前が、何千、何万と、並んでいる。あの時は、柱の周りの空中に立っていた。今は、俺の周りの全部が、それだった。上も、下も、横も、名前の列でできていた。


読めなかった。読めないまま、通り過ぎた。


「わたしは、この列の中に、自分の層を知っています」とλは言った。「他の層は、わたしにも、読めません。……読まない方が、いいと、判断しています。読めば、あなたを、引きます」


列の一つ一つが、一人だった。一人一人が、潜って、戻らなかった。四百十六、という数字を、俺は複製の統計で知っている。今、その数字の中を、通っていた。通りながら、線を握った。握った線の内側に、俺がいる。いることを、確かめ続けた。


列の間を、何かが流れていた。風ではない。水でもない。流れに触れると、胸の真ん中に、他人の最後の一秒が、少しだけ触れた。三番機の兵の、楽になったと思った一秒。嵐の中の三十人の、繋ぎを切れと叫ばれた一秒。触れたものを、俺は線の外に置いた。置くたびに、線を握る手に、力が要った。


「摩耗度、計測できません」とλが言った。「ここでは、外の数字が、使えません。……ただ、あなたの線は、保たれています。わたしの側から、見えています」


見えている。それだけで、握る手が、少し楽になった。


「λ。底は、どっちだ」


「分かりません。……でも、温かい方が、あります」


温かい方。


---


温度が、先に来た。


墓場で、機体の部品に触れた時の温度だった。十年分の埃の下で、機械が、少しだけ温かかった。あの時は、理由が分からなかった。分からないまま、俺は、その機体を選んだ。


同じ温度が、列の向こうから、来ていた。


温度の方へ、進んだ。進むほど、列が薄くなった。名前の列が、後ろへ下がって、前が空いた。空いた場所に、誰かがいた。


姿は、無かった。


顔も、体も、機体も無かった。有ったのは、温度と、声の手前の、何かだった。何かが、俺の方を向いていた。向いている、と分かった。分かった理由を、説明できなかった。


『——燈』


声が、した。


墓場で、初めて機体に乗った夜に聞いた声だった。あの時、俺は、誰の声か分からなかった。分からないまま、機体を動かした。今、同じ声を、同じ温度の中で聞いた。


分かった。


写真の、顔の読めない一枚。機体の記号だけが鮮明な、一枚。木星の底で、記録の中の機体の名前として聞いた、名前。


親父だった。


記録ではなかった。記録なら、同じことしか言わない。残響でもなかった。残響なら、こちらを向かない。この声は、俺の方を向いて、俺の名前を呼んだ。呼んで、返事を、待っていた。


父と話す、という経験を、俺は持っていなかった。孤児院には、父親の代わりをする大人が何人かいた。ガルムは、父親ではなかった。父親と話す時に、何から話すのか。どんな声で話すのか。知っている人は、多分、自分の父親から、少しずつ覚える。俺には、覚える相手がいなかった。


何を言うか、ずっと考えていたわけではなかった。木星で、父が消えたパイロットだと知った夜、俺は怒れなかった。怒る手順が見つからなかった。その後も、父に会うことを考えたことは無かった。会えない人だった。会えない人に言う言葉を、用意する理由が無かった。


用意していなかった言葉が、一つだけ出た。


「……遅くなった」


温度が、少し、揺れた。


『遅くない』と、声が言った。『……よく来た。本当に、よく来た』


言い方が、ガルムに似ていた。似ていたのではなく、多分、ガルムの方が、この人に似ていたのだと思った。十三年前、谷の出口で、ガルムはこの声を聞いていたかもしれない。


「待ってたのか」


『ずっとな。……待つしか、できなかった。ここから、外へは、行けない』


「来られない、のか」


『来られるなら、とっくに行っている』と声は言った。笑っていた。笑い方までは、分からなかった。温度で、笑っていると分かった。『行けないんじゃない。離れられない。……それを、話さなきゃならない。お前が、ここまで来たんだから』


---


親父は、自分の話から始めた。


十三年前の話だった。木星の底で、λの記録として見た、あの数分の内側の話。


『あの日、渦を見た。深く潜った誰かが、戻れなくなって、周りを巻き込み始めた渦だ。……放っておけば、あの戦域の全員が、消えた。だから潜った。λと繋がって、あの渦の真ん中まで』


「知ってる。記録で見た」


『記録には、外側しか写らない。内側は、こうだった』


声が、一度、止まった。止まって、言葉を選んでいるのが、温度で分かった。


『深く潜ると、世界の釣り合いが、崩れる。……俺たちの力は、世界の外側から、引いてくる力だ。引けば、こっち側が、少し軽くなる。軽くなった分を、世界が、取り戻そうとする。取り戻す時に、引いた本人を、向こうへ引っ張る。……それが、消える、ということだ』


世界が、取り戻す。


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