第86話_行けば
「経路は」と、審査長が聞いた。俺にではなく、外側の二人にだった。
「情報部の資料です」と、聞いたことのない部署の者が言った。「入手経路は、情報部の管轄で、本審査の対象外です」
対象外。穴は、卓の上で、対象外という言葉で覆われた。覆われたまま、根拠として使われる。使われた根拠の中身は、俺が単独で潜れば消える、という王権側の証明だった。証明を、連邦は、俺を壁の中に入れる理由に使った。壁の中なら、単独で潜らせずに済む。済むから、収容する。理屈は、通っていた。通っている理屈の材料が、どこから来たかだけが、誰の管轄でもなかった。
運用局の者が、一度だけ、口を開いた。「対象の運用価値は、決戦の結果で、上がりました。王権の主力が減れば、残る脅威は、教団と、王権の残存です。残存の中に、対象と同等の共鳴者が、少なくとも一名います。同等の相手には、同等の対象を、管理下で当てる。それが、本国の結論です」
同等の相手。王権の残存の中の、一名。卓の上で、俺は初めて、彼女の存在を、連邦の口から聞いた。名前は出なかった。出なくても、卓の全員が、誰のことかを知っている言い方だった。
「法務から、一点」と、ステラが言った。
卓が、彼女を見た。
「根拠の二の入手経路について、本審査で問わないことに、異議は述べません」
俺は、彼女を見た。彼女は、俺を見なかった。
「問えば、審査が止まります。止まっている間に、収容は発効します。……問わない代わりに、記録に残してください。連邦の卓に、王権の内側の文書があること。その経路を、本審査が、問わなかったこと。日付と共に」
「記録に残す」と審査長は言った。
「結構です」
それで終わりだった。彼女は壁際に戻り、端末に、短く何かを書いた。探さない。探す時間が無いからではなく、探しても、卓の上では覆われるからだ。覆われることを記録に残す。それが、今日の法務の、打てる手の全部だった。
卓が、立った。三日後。収容の発効日が、初めて、数字になった。
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格納庫で、ガルムは紙を出していた。
工具棚の抽斗から、私設護衛契約の一枚を。卓の上に広げて、六つの署名を、順に見ていた。
「この紙は、消えん」とガルムは言った。「政府の書式じゃない。政府の決定で、無効にはならん。三日後も、この紙は、この抽斗にある」
「……ある、だけですか」
「ある、だけだ」ガルムは紙を折らずに、抽斗に戻した。「護衛対象が壁の中に入れば、護衛の仕事は、壁の外に残る。紙を残して、人を取られる。……逆なら、まだ、やりようがあった。人が残って紙が消えるなら、紙はまた書ける。紙が残って人が消えたら、書き直す相手がいない」
書き直す相手がいない。
「三日だ」とガルムは言った。「三日の間に、何が起きるかは、知らん。知らんが、何も起きなければ、三日後の朝、連邦の車が来る。来た車に、お前を乗せる。乗せる時に、この紙を、どうするかは——その時に決める」
その時に決める。ガルムは、決めることを、三日後に置いた。
「三日で、何を決める」と、ガルムは俺に聞いた。「聞いておく。決める中身じゃない。決める数だ」
「……二つです」
「二つか」ガルムは、それ以上聞かなかった。「数だけ、覚えておく。三日後に、二つとも決まってるかどうか、俺は見てる。決まってなければ、決まってない、と言え。それも、答えだ」
俺は、三日で決めることを、二つ、持っていた。壁の中に入るか、入る前に何かをするか。それから——摩耗の三つ目を、四人に言うか、言わないか。二つの期限が、同じ日付になった。同じ日付にした覚えは無い。無いのに、そうなった。
シドは、何も言わずに、俺の機体の整備項目を、一つ増やした。増やした項目の名前を、俺は聞かなかった。カレンは、二機連携の備考欄を、端末で開いたまま、閉じていなかった。閉じない画面の前で、彼女は、何も書いていなかった。
三日。
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夜、格納庫の灯りが半分に落ちて、木星と同じ手順で、違う星の夜が来た。
コックピットで、俺は今日の三枚を思っていた。俺のいない場所で決まった艦隊の勝敗。俺の実験で作られた檻の床。王権の内側から来た、俺が消える証明。三枚とも、俺は読んだだけだった。読んで、何もできなかった。
「——割り込みます」
定時の声より、一段、張った声だった。木星の帰路で、九隻の放送が始まった夜と、同じ張り方。
「連邦の傍受記録の、共有回線から、拾いました。……あなたは、承認番号の回線に、常時、繋がれています。繋がれている回線の、先に、情報部の傍受記録が、流れています。読める位置に、わたしは、います」
檻の回線が、外を読める窓になった。二十日、俺を止めるために繋がれていた線が、今夜、一つだけ、逆に働いた。
「読みます。……王権軍、共鳴者運用規定、付則。深層共鳴・単独接続試験申請。申請区分、単独。目標深度、計測上限値。実施場所、旗艦、共鳴調整区画。随伴、無し。副署——艦隊司令。本国承認——昨日、十五時四十分。実施予定日——承認から、七日以内」
単独接続。四件、全件、帰還なし。今朝、連邦の卓で読んだ、王権の内側の数字。その四件目の次の欄に、今、五件目が書かれようとしていた。
「申請者は」
「第一精鋭隊の、隊長です」とλは言った。「……氏名の欄は、読みません。読まなくても、あなたは、分かっています」
分かっていた。
木星で、藍が沈んだ。沈んで、揺れも乱れもせずに、光量だけが減った。あの色の変化を、俺は一度だけ見た。四十日前のことだ。四十日の間に、彼女の隊は決戦に出ず、彼女の妹は卓の側を変え、彼女の艦隊は六割を失った。三つが揃った日に、判が押された。
「実施予定日は、七日以内。……三日後に、俺は壁の中だ」
「はい」
「間に合うか」
三秒。答えの出ない三秒を、λは、今夜も丁寧に使った。
「……行けば、間に合わせられるか、です」
行けば。壁の中からは、行けない。行くなら、三日より前で、承認番号の外だ。番号の外へ出た瞬間、二十日守ってきた檻の手順が、全部、破れる。破れた手順は、戻らない。戻らない手順の先で、連邦は俺を、保護対象ではなく、逃亡した兵器として扱う。私設護衛契約の紙は、その日から、俺を逃がした四人の罪状にもなる。
破った先で、彼女の申請の実施日は、まだ決まっていない。七日以内。今日かもしれず、六日後かもしれない。行っても、着いた時に、五件目の欄が既に埋まっていることは、ある。
「行かなければ」
「行かなければ、五件目が、書かれます。書かれた後の欄は、四件と同じです。……それを、わたしは、推定ではなく、実測として、言えます。木星から持ち帰った複製の、四百十六件が、その形でしたので」
俺は、計器の脇の写真を見た。顔の読めない一枚。ゼロの欄にも、全件の欄にも収まらない、一人。
「λ。三日で、決めることが、三つになった」
「はい。……三つとも、二人で決めます。上限は、二人で決める、と、あなたが言いました」
上限は、二人で。壁に入るまで、三日。彼女の実施日まで、七日以内。摩耗の累計、十二・一。三つの数字を、俺は、暗い格納庫の中で、初めて、一つの卓に並べた。並べたのは、俺だった。今日、初めて、俺が並べた三枚だった。
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