第85話_六割
――Rhegma
承認番号、〇八三。
その朝の任務は、飛ばないことだった。管理区の外周線を、機体の中で、待つ。連邦の応援は、この一週で組み上がりを終えていた。終えた艦隊が、朝の六時に、外縁へ向けて発った。三つの拠点を、三方向から。管理区に残るのは、外周線の守りと、艦隊の抜けた分だけ広くなった空だった。
「反攻です」とλが言った。「連邦の主力、外縁三拠点へ。……わたしたちの受け持ちは、変わりません。外周線、南東」
「出番は無いのか」
「今のところ、ありません。管理区の守りが、承認された範囲です。範囲の外へは、番号が要ります。……番号は、まだ、出ていません」
檻の中で、待つ。二十日以上、番号の下で飛んできた。今日は、番号の下で、飛ばずにいる。飛ばないことも、承認の範囲だった。
壁際に、シドとカレンの機体が並んでいる。ガルムは外周線の指揮所で、連邦の管制と回線を繋いだまま、煙草を回しているはずだった。四人とも、今日は待つ側だった。待つ側の四人が、待つ側で一番よく働くのは、目だった。目は、空の高い場所を、朝から見ていた。
戦いは、遠かった。
光秒の先。外縁の三拠点は、管理区から見て、空の高い場所にある。高い場所で、朝の九時過ぎから、光が散り始めた。散る光は、音を持たない。持たない光が、いくつも、瞬いて、消える。消えた一つ一つが、艦か、機体か、砲火か。ここからは、区別が付かない。付かないまま、光の数だけを、数えた。数えても、何も分からなかった。分からない数を、それでも数えるのは、この二年で身に付いた、悪い癖だった。
報は、λの声で来た。
「読みます。……速度は、遅い方で。時間は、あります」
根拠つきの方。
「十時二十分。王権の主力艦隊が、外縁の第二拠点の外側で、連邦の主力と接触しました。王権は、三拠点を一つに束ねて、受けました。連邦は、三方向から、束ねた一つを叩きました。……十一時四十分の時点で、王権の主力艦隊は、艦の六割を失っています。残りは、後退中。追撃は、続いています」
六割。
王権の主力艦隊の艦の数を、俺は知らない。知らないが、六割という数字は、艦の数を知らなくても読める。半分より多い。半分より多く失った艦隊は、艦隊の形を保てない。形を保てない艦隊は、次の戦いに、出てこられない。
「壊滅、と読んでいいのか」
「連邦の管制は、その語を、まだ使っていません。使う前の数字です。……使う前の数字で、六割です」
戦争が始まって二十日で、王権の主力が、六割、消えた。光の散った空を、俺はもう一度見た。散る光は、減っていた。減った分だけ、決まっていた。
「第一精鋭隊は」
「報に、ありません」とλは言った。「参加した記録も、していない記録も、報の中には、ありません。……無い、としか、言えません」
無い。彼女の隊が、この決戦に、いない。いない理由は、報の外にある。
俺は、自分の受け持ちの、岩の多い一角を見た。今日ここに来る敵は、いなかった。来ない敵を待ちながら、俺を巡る戦争の勝敗が、俺のいない場所で決まっていく。決まっていく音は、しなかった。光だけが、減っていった。
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報告は、艦隊司令室の卓に、十一時五十五分に載った。
艦隊司令は、報告を、いつもの順序で読んだ。老いた分だけ動かない手が、一枚目を取り、一行ずつ、飛ばさずに読む。主力艦隊、艦の六割を喪失。残存、後退中。連邦の追撃、継続。第一精鋭隊、艦隊防空の予備として旗艦に残留、無傷。読み終えて、一枚目を、卓の左に置いた。
卓には、他に二枚があった。
二枚目は、情報網からの報告書の写しだった。八日前の日付。連邦地球管理区、監査団の一名が辞任し、保全対象側の法務として届け出。氏名、以下の通り。報告書の末尾に、第一精鋭隊隊長の返信が添付されていた。観測、継続。対象側法務の管理区外への移動があれば、即報。艦隊司令は、写しを一度で読み、卓の中央に置いた。
三枚目は、申請書だった。
王権軍共鳴者運用規定、付則。深層共鳴・単独接続試験申請。申請者、第一精鋭隊隊長。申請区分、単独。目標深度、計測上限値。想定リスク、三行。副署の欄に、艦隊司令の役職名が印字され、その下が、八日間、空いていた。
八日、留めた。留める理由は、規程のどこにもなく、留めない理由も、規程のどこにもなかった。留めている間、下問を一つ、隊長に出していた。保全対象の回収、期日は。返答は、四度、繰り越されていた。繰り越しの回数を、司令は数えていた。数えている間に、一枚目が来た。
艦隊司令は、三枚を、左から順に、もう一度見た。艦の六割。妹の届け出。申請書。三枚は、互いを参照していない。参照していない三枚が、同じ卓の上に、同じ日に、並んでいた。
副署の欄に、判を押した。
時刻、十二時〇三分。備考の欄は、空けたままにした。本国への送信は、規程の通り、即時。往復は、最短で四時間。四時間の後に、本国が承認すれば、申請は生きる。承認しなければ、死ぬ。どちらも、艦隊司令の判断ではなかった。判断でない欄は、埋めない。それは、隊長の規律で、隊長の規律を、司令は、この八日で一つだけ、借りていた。
本国の承認は、十五時四十分に、届いた。
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紙の方の決壊は、翌朝だった。
審査の卓。初日と同じ形で、初日より、人が多かった。審査長の左右に、事務官が三人。その外側に、初めて見る役職が二人。運用局の者と、聞いたことのない部署の者。ステラは、俺の側の壁際に立っていた。法務として、卓に立つのは、今日が初めてだった。
「戦時特例、第二段」と審査長は読んだ。「主力艦隊の決戦の結果を受け、本国政府は、保護管理措置の全項の即時発効を決定する。収容の項、発効日は、三日後。……根拠資料は、配布の通り」
配布された資料を、λが背中で、俺より速く読んだ。
「読みます。……根拠の一。管理区内の深度制御検証の計測結果。往復の所要、摩耗度の増分、呼び戻しの手順。わたしたちの実験の、数字です。全部、あります」
俺の実験が、俺の檻の床になった。ガルムの言った通りだった。向こうが二つ返事で通す申請は、向こうの得になる申請だ。
「根拠の二。……王権軍共鳴者運用記録、参照番号、三件。単独接続の記録、四件、全件、帰還記録なし。抹消理由、消失」
λの声が、そこで、一度止まった。
「これは、王権の内部記録です。王権軍の、運用局の、内側の番号です。……連邦の卓に、王権の内側の紙が、あります」
王権の内側の紙が、連邦の卓にある。
木星からの帰路、王権の声明に「アーカイブ資料の解析に基づき」とあった。連邦の内側の紙が、王権の卓にあった。あの時、λは言った。持つ者は、この船団しか、いない、と。穴は、味方の中にあった。探さない、と決めた。
今日は、逆だった。王権の内側の紙が、連邦の卓にある。穴は、王権の中にもある。両方にある。両方にあるものは、片方だけ塞いでも、塞いだことにならない。
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