第81話_指定深度
――Semeion
指定深度は、出撃の三十分前に更新される。
第四小隊の三番機に乗る男は、更新の通知を、格納庫の壁の表示で読んだ。先週の指定より、一段深い。先週の指定は、その前の週より一段深かった。三週で、三段。上がった段の分だけ、帰投後の頭痛が長くなり、名前を呼ばれてから返事をするまでの間が、少しずつ伸びていた。伸びたことは、医務に言っていない。言えば飛べなくなり、飛べなくなれば、隊の誰かが自分の分まで深く潜る。先月、二番機がそれをやった。医務に言って、地上勤務に回されて、二番機の指定深度は、残りの三機に分けて足された。分けられた側は、二番機のことを悪く言わなかった。言わなかったが、誰も、二番機と同じことはしなかった。
管制の声が、格納庫に流れた。
『本日の指定深度、全機更新。前線の連邦共鳴者は、指定を上回る深度で運用されている。対抗上、やむを得ない。指定を守れ。指定より浅く飛んだ者は、報告の対象とする』
浅く飛べば、報告される。深く飛べば、頭痛が長くなる。どちらかしか、選べない。彼は指定を守る側の人間で、守る以外の手順を、王権の教練で習っていなかった。
隣の機体の隊員が、通知を読んで、短く息を吐いた。吐いただけで、何も言わなかった。言うことは、三週前に言い尽くしてある。言い尽くした先に、指定の数字だけが残った。
機体に乗り込む。ハッチを閉める。計器が起き上がり、共鳴の初期化が始まる。初期化の最後に、指定深度の数字が、目の高さに出る。数字を見て、彼は一度だけ、呼吸を整えた。整えてから、潜った。潜る感覚は、三週前より、ずいぶん楽になっていた。楽になるのは、慣れたからだと、彼は思っていた。
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承認番号、〇七四。
王権の攻勢は、朝の八時に、管理区の外周線へ来た。外縁三拠点のどれからでもなく、三つの拠点の中間から、艦隊を一つに束ねて。連邦の応援は、この一週で組み上がっていた。組み上がった線で受けるのは、今日が初めてだった。
外周線は、管理区の壁から二十キロの円だった。円の上に、連邦の艦載機と地上砲座と、傭兵の混成が、間隔を空けて並ぶ。間隔が空いているのは、まだ数が足りないからで、足りない分を、艦隊が円の内側から埋める。埋め方は木星の船団と同じで、規模だけが十倍だった。
《灰狼》の受け持ちは、外周線の南東、岩の多い一角だった。ガルムとカレンが前、シドが後ろ、俺とλが遊撃。木星から変わらない配置で、変わらない配置の中で、変わったものが一つあった。
「敵の色を、読みます」とλが言った。「王権の共鳴者、来ます。数、二十四。……深いです」
深い。俺の目にも、それは見えていた。
王権のビームは橙だ。橙の波は、木星で何度も読んだ。今日の橙は、木星の橙より、一段、奥から来ていた。波の色は同じで、色の出どころが深い。深いところから来る波は、揺れが少なく、揺れが少ない分、狙いが硬い。硬い狙いは、読みやすくもあり、避けにくくもある。
「王権の共鳴者の平均深度、この二週で、一段上がっています」とλが言った。木星で、あなたの深さを外から見る練習をしていた、とλは言った。練習は、あの日以来、敵の深さを外から測る仕事に転用されている。計測の精度は、λが自分で「概数です」と言う程度で、概数でも、傾きは読めた。「先週の交戦記録との比較です。個体差はありますが、平均が動いています。……指定が、上がっています」
指定。誰かが数字を決めて、誰かがその数字まで潜る。俺は自分の深さを、λと二人で決めてきた。決める相手が卓の向こうにいる兵は、卓の決めた深さまで潜る。潜った先で、どうなるかを、卓は知っているのか。知っていて上げているのか。どちらでも、来る橙は同じ硬さだった。
「連邦の共鳴者も、上がっています」とλが続けた。「指定の文面は、王権と同じです。対抗上、やむを得ない。……三つの軍が、全部、潜らせています。教団の分は、計測の外です」
三つの軍が、全部。
戦争が始まって二十日で、深さが、兵の性能になっていた。性能は、要求される。要求は、上がる。上がった要求の底で何が起きるかを、俺は木星の複製の、四百十六という数字で知っている。知っていることを、今日の橙に言う手段はなかった。
「来ます。一番深いの、右の三機目です」
右の三機目。橙の中で、一つだけ、出どころがさらに奥の波。あれは、指定より深い。指定より深く潜る奴は、命令に従うだけの兵ではない。従い続けて、深さに慣れて、慣れた分だけ、自分で奥へ行ってしまう兵だ。
「俺が取る」
「はい。……推進部を。いつも通りに」
いつも通りに。殺さない手順。
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橙の三機目は、硬かった。
射線が硬い。狙いが硬い。硬い狙いは、狙う先の順序が読める。読めたので、先に動いた。半秒。俺の機体が、奴の射線の次の位置から、外れる。外れた位置に、橙が来る。来た橙を、脇腹で見送る。三度、繰り返した。三度とも、奴は同じ順序で狙った。深く潜った狙いは硬く、硬い狙いは、順序を変えない。
四度目の前に、奴は一度だけ、順序を変えた。変えたのではなく、変わった。狙いが、俺から半機分、逸れた。逸れた狙いが、逸れたまま撃たれた。撃たれた橙は、誰にも当たらずに岩を削った。硬い狙いが、一射だけ、硬さを失った。理由は分からなかった。分からないまま、俺はその一射の隙を使った。
四度目で、俺は奴の後ろを取った。
推進部。照準の中に、噴射口が入る。距離、四百。二秒で届く。撃てば、奴は止まる。止まって、回収されて、生きて、次に乗る。木星の十機と同じだ。壊さない。止めるだけだ。
引き金に、指を——
橙が、沈んだ。
揺れたのでも、乱れたのでもない。あの色の変化を、俺は一度だけ見たことがある。木星で、藍が沈んだ時と、同じ変化だった。波の出どころが、一段、また一段、奥へ落ちていく。落ちながら、光量が減っていく。減った光量は、戻らない。
沈んで——消えた。
照準の中に、噴射口はまだあった。推進器は生きている。機体は、直進している。射線の硬さも、狙いの順序も、何も無くなっていた。撃つ相手が、照準の中に、いない。機体だけが、いる。
「λ」
「……共鳴、消失しました」とλが言った。声の間が、いつもより長かった。「機体の推進、正常。姿勢制御、正常。通信系、正常。搭乗者の生体信号——ありません。三秒前まで、ありました」
三秒前まで。
俺は引き金から指を外した。外した指が、少しだけ、動かなかった。撃つはずだった。撃って、止めて、生かすはずだった。手順の途中で、止める相手が、いなくなった。
無人の橙の機体は、隊列の中を、まっすぐ飛び続けた。針路も、速度も、三秒前と同じだった。同じまま、僚機の間を抜け、誰も狙わず、誰にも狙われず、燃料の続く方角へ、進み続けた。
「燈」とガルムの声が言った。「何があった。三番、止めたのか」
「……止めてない」と俺は言った。「消えた」
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