第73話_青い空
――第四章 λ戦争編
――Polemos
灰色の三隻は、地球圏の手前で離れた。
四十九日、同じ距離を保っていた灯りが、ある朝の当直で、針路を変えた。変え方に、前触れはなかった。減速もなく、通信もなく、放送の文面も最後まで同じだった。回収、または、処分。その一行を送り続けたまま、三隻は航路の外へ滑り出し、二時間で探知の縁を越えた。
「追跡、不能です」とλが言った。「離脱後の針路は、加速の向きから外縁方向と推定します。ただし推定です。残り六隻の位置は、依然、不明のままです」
「届け先まで、付いてきたわけか」
「そう読むのが、実測に一番近いと思います」
四十九日、三隻は撃ってこなかった。放送の文面も変えなかった。ただ後ろに付いて、俺たちがどこへ行くのかを見ていた。地球へ行くことが確かになった所で、見終わって、離れた。それが、届け先まで付いてくる、ということだった。俺たちが何をしに地球へ来たのかまで、多分、向こうは知らない。知る必要もないのだろう。行き先が分かれば、あとから来られる。
付いてくる敵は、眠りを削る。並走の初日に、そう思った。今朝分かったのは、その先だ。付いてくるのをやめた敵は、どこにいるか分からない。分からない敵の方が、後ろにいる敵より、もっと削る。
三隻の灯りが消えた画面の前に、俺はしばらく立っていた。
「見送りにしちゃ、無愛想だな」と、後ろでシドが言った。「四十九日いて、手も振らん」
「手を振る種類の相手じゃない」
「知ってる。……知ってて言ってる」
言ってから、シドは整備に戻った。俺は画面の前に、もう少しだけ立っていた。立っていても、何も出てこない。出てこないことを確かめてから、格納庫へ降りた。
減速が始まったのは、その日の午後だった。
四十九日、船は加速と巡航しか知らなかった。それが初めて、減速に入った。速度が落ちるほど、窓の外の目標が近づく。遠くでは点だったものが、近づくと丸くなり、丸いものが、窓を埋めるほど大きくなった。青かった。
地球を、俺は初めて見た。
写真なら知っている。教練の資料で、幾度も見た。見た通りの色をしていて、見た通りの色でしかなかったことに、少しだけ、拍子抜けした。拍子抜けの分だけ、多分、俺は何かを期待していたのだと思う。何をかは、分からない。分からないまま、青い面は窓の下で広がり、船団は降下軌道に入った。
管理区の滑走帯に降りた時、空は、俺の知っている色をしていなかった。
コロニーの空は天井だった。木星の空は、氷と嵐だった。この空は、上へ行くほど濃くなる青で、どこまで行っても天井に当たらなかった。目が、天井を探した。コロニーで育った目は、上を見ると勝手に端を探す。端が無かった。無い端を探し続けて、目の奥が、少し痛くなった。
空の色を見たのは、その一度だけだった。翌日から、見上げる暇が無くなった。
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連邦の地球管理区は、青い空の下に、灰色の壁で囲った町だった。
王権の星に、連邦が借りている土地。借地の条件も、期限も、俺は知らない。知っているのは、壁の内側では連邦の書式が通り、壁の外では王権の書式が通る、ということだけだ。壁が、境目だった。境目の厚みは、目測で二メートル。
司法審査の初日は、到着の翌朝に組まれていた。
卓は、長かった。奥に審査長。役職の名で呼ばれる、初めて見る人だった。その左右に事務官が三人。卓の手前、少し離れた席に、監査団の席があり、ステラがそこにいた。監査役の記章をつけて、書類の束を前に置いて、俺を一度も見なかった。監査役が対象の顔を見れば、審査の側は、そこに繋がりを読む。繋がりを読まれた監査役の申立ては、軽くなる。だから見ない。見ないことで、彼女は俺の側に立っていた。それが分かるまでに、俺は卓の上の水を一杯、空にした。
俺の席は、卓の脇だった。
証人の席ではない。対象の席だ。発言は求められた時のみ。求められない限り、黙って座っている。λは背中で、いつもの静かさだった。録音の申請は、今回は却下されなかった。管理区の書式では、対象の記録装置は「付属装置」として、記録を許可されていた。物として、許されていた。
審査長が、封緘の写しを読み上げた。
特別保護対象。保護管理措置。指定施設への収容。行動計画の政府管理。四十日前に艦長室で聞いた文面と、一字も違わなかった。文面は同じでも、読む人が違うと、聞こえ方が違った。艦長は、収容、の前で一拍黙った。黙ることで、自分と文面の間に、距離を一つ置いた。審査長は、どこでも黙らなかった。距離を置く場所を、最初から持っていない読み方だった。文面と同じ側に立って読む声は、同じ文面を、四十日前より重く落とした。
「監査団の申立て。手続きの瑕疵——現地運用実績の審査記録の欠落。添付、承認番号〇〇一以降の全運用記録」
審査長が、監査団の席を見た。
「監査役。申立ての趣旨は、措置の取り消しか」
「留保です」とステラは言った。「取り消しは、求めていません。決定の過程で、審査されるべき記録が審査されていない。順序を、戻してほしいの。審査してから、発効させてください」
「審査に、要する期間は」
「記録は四十九日分あります。一日で読める量ではありません」
審査長は、事務官の一人に目をやった。事務官が、卓の端末に何かを打った。
「暫定措置。審査終了まで、対象は現行の運用形態を維持する。運用は、承認番号による事前承認制を継続。管理区の外への移動は、都度、承認」
承認番号。木星から地球まで、船団の中で俺を追ってきた番号が、地球の土の上でも、そのまま続くことになった。収容はされない。代わりに、動く先の全部に、事前の承認が要る。船団では、承認の届く範囲は船の中だった。ここでは、管理区の中だ。檻は閉まらないまま、囲いの広さだけが、船から町に変わった。
「本日はここまで。次回は——」
審査長の言葉が、そこで切れた。
事務官の端末が、音を立てていた。音は小さく、卓の全員が、その小さな音の方を見た。事務官が、画面を審査長に向けた。審査長は、読んだ。読んで、姿勢を変えなかった。
「監査役。審査は継続する。日程は、追って通知する」
それだけ言って、審査長は立った。事務官が三人、続いて立った。卓の奥が空になるまで、十五秒。誰も、俺の方を見なかった。
ステラが、書類の束を抱えて立ち上がった。俺の脇を通り過ぎる時、彼女は歩調を変えずに、小さく言った。
「……始まったわ。何がかは、まだ言えない」
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何がかは、λが先に知っていた。
「読みます」と、格納庫に戻る廊下で、λが言った。「速度は、二つのうち、遅い方で。……時間は、あります」
根拠つきの方。戦闘の中で聞く、座標だけの速さではない方。廊下を歩く速さのまま、λは読み始めた。
「本日、地球標準時九時十二分。王権星団政府の艦隊が、連邦の外縁拠点一箇所を、強襲しました。拠点の種別は、補給と観測。守備兵力は、小規模。交戦は四十分で終了し、拠点は王権の管理下に入りました。連邦側の損害は、公表されていません」
「宣戦か」
「宣戦布告の文書は、ありません。代わりに、要求文が、全帯域に公示されました。……読みます」
一拍。
「『王権星団政府は、ヘリオス連邦に対し、以下を要求する。一。連邦が保持する最重要保全対象、および付属装置の、即時引き渡し。二。引き渡しの完了までの間、王権は連邦の外縁拠点に対する制圧を継続する。三。本要求は、領土、資源、航路のいずれにも関わらない。以上』」
廊下の途中で、俺は足を止めた。
「……領土でも、資源でも、航路でもない」
「はい。この戦争が何のためのものでないかを、王権が自分の要求文で、三つ、消しました。残ったのは、一つです」
最重要保全対象。付属装置。
四十日前、格納庫の整備灯の下で、λが三枚の書式を並べて読んだ。確保する、の書式。専属させる、の書式。消す、の書式。あの三枚のうちの一枚が、今朝、戦争の要求書になった。書式の文面は、四十日前と一字も変わっていない。変わったのは、通し方だ。今朝までは、紙の中で順番を待っていた要求を、今朝から王権は、砲で通し始めた。
「拠点の座標、送ります」とλが言った。速さが、変わった。「地球圏、外縁。管理区からの距離、光で四十秒。王権の艦隊は、拠点に停泊中です。連邦の応援が、動いています」
座標だけの速さ。時間がなくなった時の速さ。
「時間がなくなったのか」
「なくなりつつあります。連邦の管理区が、戦時の書式に切り替わりました。……あなたの承認番号の、発行元が、変わりました」
「変わった?」
「今朝までは、審査中の対象への、運用の承認でした。今は——防衛任務への、出動の承認です。番号は、続いています。〇〇一からの通し番号のまま。書かれている項目だけが、変わりました」
同じ番号のまま、平時の檻が、朝のうちに戦時の檻になった。
「連邦は、渡すのか」
聞いてから、聞き方が雑だと思った。λは、雑な聞き方に、正確に答えた。
「連邦の書式に、引き渡しの項目はありません。専属させる、の書式です。専属させる物を、外へ渡す書式は、まだ、書かれていません。……書かれていないことは、起こる前に、書かれます。書かれた時に、読みます」
書かれた時に、読む。それまでは、書かれていない。四十日前に三枚の書式を並べたのと同じ声で、λは、まだ無い四枚目の話をした。
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