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λ:ASTRA 〜星の共鳴者〜  作者: Pemo


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第72話_お前の戦争

「三つの文書を、並べます」とλが言った。


夜の格納庫。整備灯の下で、λは事実だけを読んだ。


「王権——最重要保全対象。確保する、の書式です。連邦——特別保護対象。専属させる、の書式です。教団——回収または処分の対象。消す、の書式です」


確保。専属。消去。


「同じ一人を指して、三つの政府書式が、三つの別々の動詞を使っています。三つの書式は、互いを参照していません。それぞれが、それぞれの政府の台帳の中で、あなたを別の棚に置いています。……あなたの名前が、三つの書式で、別々の物になっています」


確保される物と、専属させられる物と、処分される物。同じ体で三つの棚に置かれる感覚を、言葉にする語彙を、俺は持っていなかった。持っていないことが、多分、正しかった。物にされる感覚に慣れた語彙なんて、持つべきじゃない。


λは、そこで一度、言葉を切った。


「訂正します。……二つの名前が、です。全ての書式に、わたしも、載っています。回収知性一基。付属装置。管理番号。——呼び方は三つとも違いますが、三つとも、物の欄です」


読み終えて、λは付け加えなかった。感想も、慰めも、次の対策も。三つの書式を並べて見せることが、今夜のλの選んだ誠実さだった。事実の正確な並びは、どんな慰めより、腹の据わる材料になる。据わるまでの数分を、λは黙って待っていた。


値札が、二人分、完成していた。


守るために木星へ行って、守り切って、帰ってきたら、俺と俺の相棒は、三つの勢力の台帳の上で、それぞれ別の値段のついた物になっていた。


---


格納庫の整備灯は、夜は半分に落とされる。半分の灯りの中で、俺の機体と、シドの機体と、カレンの機体と、ガルムの機体が、同じ向きに並んでいた。並び方は契約の初日から変わっていない。変わっていないものを、俺は久しぶりに、数えるように見た。


「読み終わったか」と、格納庫の入口からガルムの声がした。


いつからいたのか、隊長は整備台に腰を預けて、火のついていない煙草を指で回していた。


「なら、俺からも一つ、読み上げる。書式はない。口伝えだ」


ガルムは煙草をしまい、まっすぐこちらを見た。


「争いの的が、変わった。資源でも、航路でも、星でもない。三つの勢力が今欲しがってるのは——お前と、そいつだ。ここから先の戦争は、傭兵の戦争じゃない。守る側と獲る側の、市場の戦争でもない。……お前の戦争だ」


お前の戦争。


その言葉は、突き放しの形をしていなかった。診断の形をしていた。正確な診断だけが持つ、冷たさと、誠実さで。


「聞いた上でだ」とガルムは続けた。「うちの契約はもうすぐ紙屑になるらしい。なら、次の仕事を選ぶ段になる。……傭兵は仕事を選べる。それが傭兵の、唯一の贅沢だ」


一拍。


「うちは昔から、割の悪い仕事が好きでな」


割の悪い仕事。ジンを拾ったのも、俺を拾ったのも、身元の知れない機械を背負った餓鬼と契約したのも、この人の言い方を借りれば、全部その系譜だった。系譜の一番新しい頁に、三つの政府を敵に回す仕事が載ろうとしている。


「言っとくが、決めるのはまだ先だ」とガルムは付け足した。「地球に着いて、審査の卓を見て、値段と条件を全部並べてからだ。傭兵の返事ってのは、そういう順序でするもんだ。……ただ、好みの話だけ、先にしておいた」


好みの話。返事の前に好みを言っておく隊長の順序が、今夜は、どんな契約書より重かった。


それだけ言って、ガルムは格納庫を出ていった。


「λ」


「はい」


「お前は、どうする」


聞いてから、間の抜けた質問だと思った。λには契約がない。去就の書式もない。それでも、聞いておきたかった。物の欄に載せられた日だからこそ、書式の外で、本人の言葉で。


「質問の意図を、確認します」とλは言った。「わたしに、選択肢がある前提の、質問ですか」


「ある前提だ。ずっと、ある前提だった」


「……はい。確認、できました」


「わたしは、書式の上では、物です」とλは言った。「物には、契約も、去就も、ありません。……ですから、わたしの残り方には、誰の承認も、要りません」


それから、λの声が、少しだけ揺れた。


「わたしはただ——あなたの隣に、い、ます。書式の、外で」


刻みが、一語だけ、章の終わりに戻った。


---


翌朝、二つのものを見つけた。


一つは、俺の機体の側面。狙撃連携用の反射標識が、増設されていた。シドの観測系と直結する型——つまり、これからの戦場で、シドの長距離射撃は俺の機体の位置を〇・一秒速く掴む。掴んだ分だけ、俺を挟む射線が一本増える。守る、と一言も書かずに、守る仕組みだけが機体に足されていた。


整備記録の作業者欄は、空欄だった。空欄の書き方に、見覚えがあった。機械は嘘をつかん、と言う男は、記録の方には、たまに嘘をつかせる。


もう一つは、翌週の訓練予定表。二機連携枠の欄に、勝手に組まれた一行——カレン/燈。承認欄には、もうガルムの判が押してあった。備考欄に、彼女の字で一言だけ。


「守られる側は、飽きたの」


医務室の寝台で並んで聞いた戦場を、今度は隣で撃つ、という意味だった。意味を本人に確かめには行かなかった。確かめたら、彼女は多分「深い意味はないわ」と言う。言うと分かっていることは、確かめないでおくのが、この隊の作法だった。


言葉で残ると言った者が二人。黙って配置で残った者が二人。それと、書式の外が一人ぶん。数えて、俺は予定表を閉じた。数えることが、今日は、怖くなかった。


章の終わりのような一日、という言い方を、俺はしない。日々に章はない。ただ、名前の変わり目はある。木星へ発つ前、俺は戦争の中の一人の傭兵だった。地球への直線の上で、俺は戦争の的になった。的になった俺の周りに、それでも同じ向きに機体を並べる人たちがいて、書式の外に、一人ぶんの声がいる。


夜、観測画面の前に立った。


前方に、並走する灰色の三隻。後方に、王権の艦隊の影。艦内に、留保付きの紙の束。そのぜんぶの真ん中を、船団は地球への長い直線で飛んでいる。


並走する三隻の灯りは、今夜も規則正しかった。規則正しさが不気味なのは変わらない。変わらないものを不気味と思う感覚も、多分、じきに日常に均される。均されないように、時々こうして画面の前に立つことにした。慣れは便利で、便利なものから順に、人は感覚を明け渡していく。明け渡さない訓練を、俺は俺の持ち場で続ける。


「λ。戦争の名前が、変わった」


「はい」とλは言った。「名前が変わっても——わたしの役割は、変わりません。深さの上限を決めて、記録を読んで、警報を出して、隣にいます。……明日も、同じです」


明日も、同じ。


同じ、をこれだけ強い言葉として聞く日が来るとは、木星へ発った日の俺は、思っていなかった。変わっていく世界の中で、変わらないものを一つずつ数えられること。深さの上限と、朗読と、警報と、隣。数えることが、今夜も、怖くなかった。


値札のついた男と、書式の外の相棒が、値札の届かない場所を一つだけ持ったまま、地球への直線を飛んでいた。


*——第三章・了——*


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。

続きが気になりましたら、ブックマークを。次回、迷わず戻れます。

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