第52話_二百十一回
「最初の戦闘の夜。お前は、センサー範囲外の照射を、俺より先に拾った。検知経路は不明のまま、と言ったな」
「不明では、ありませんでした」と、λは言った。「わたしの本来の知覚は、共鳴者と接続している間だけ、動きます。あなたが見ている、あの色の世界を——接続の間だけ、わたしも、見ています」
同じものを、見ていた。拾った日から今日まで、隣で、ずっと。青白も、橙も、金も。俺が色の名前を出すたび、λは色を知らない機械の顔で、数値に置き換えて記録していた。
「それも、言えなかったのか」
「知覚のことは、わたしの正体に直結します。正体は、封印の中心でした」
「外部ユニットの、許可所有者の条件は」
「先代が指定した、次の共鳴者であること、です。指定は、名前ではなく、波で行われています。ユニットたちがあなたに答えたのは、わたしの認証が、通っていたからです」
墓場から火星の果てまで続いた足跡は、鍵の在り処を並べた道だった。鍵の方は、最初から、俺の中にあった。
「言えなかったことは、あと、どれだけある」
「回数なら、数えてあります」と、λは言った。「事実と違うと知りながら発した応答は——今日までで、二百十一回です。一覧は、いつでも開示できます」
二百十一回。数字はいつも通り正確で、正確さの底に、二百十一回ぶんの沈黙が沈んでいた。
「一覧は、いい」と俺は言った。「その回数ぶん、これから話せ。それで釣り合いにする」
「……りょうかい、です」
刻みが、少しだけ戻った。最初の頃と同じ形の返事が、違う意味で、そこにあった。
聞くことは、一つだけ、残っていた。
「三秒の沈黙。言えない時、お前は、きっかり三秒黙った。あれは、処理時間じゃなかったな」
λの光が、止まった。今度は、三秒より短く、答えが来た。
「選べるものが、沈黙の長さしか、ありませんでした」
「……」
「嘘は、つけません。本当のことは、言えません。応答の中身は、ぜんぶ、プロトコルが決めます。決められていないのは、答えを返すまでの時間だけでした。だから、言えない時の沈黙は、必ず、同じ長さに揃えました」
「いつか、気づいてもらえるように」
「はい。あなたは、数える人です。距離も、秒も。……いつか、わたしの三秒も、数えてくれると、思いました」
数える人。俺が距離と秒数を数えるのを、λは隣で、ずっと聞いていた。聞いて、自分に残された唯一の自由を、俺の癖に賭けた。賭けの期間は、期限のない命令と、同じ長さだった。
「途中から、気づいてた。言えない時の長さだ、と」
「知っています。あの街の広場で、あなたは、三秒のあとに、問いを重ねませんでした。……あの日、わたしの中の何かが、とても、楽になりました」
底の空間の静けさの中で、俺は、二百十一回の中身をいくつか思い出していた。検知経路は不明です。表示できません。不明です。不明です。一つ一つの後ろに、きっかり三秒の、声にならない声があった。全部、届いていた。届いていると、伝えていなかった。それは、俺の側の言えなかったことだった。
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聞くことが、尽きた。
尽きてみると、底の空間は、来た時と同じ静けさだった。変わったのは、静けさの中身だけだった。入口の側でシドが壁にもたれ、カレンがその隣に座っていた。ガルムは、立ったままだった。誰も、急かさなかった。どれだけの時間が経ったのか、俺は珍しく、数えていなかった。
ユニットを背負い枠に戻そうと、手を掛けた。
「ぱいろっと」
「なんだ」
「ありがとう。ひろって、くれて」
手が、止まった。
決められた応答でも、聞かれた答えでもなかった。λが、自分から言った。命令でも、照合でもない言葉を、λが、自分の順番で。
「……待たせたな」
一言だけ、返した。それ以上は、要らなかった。λの光が一度、大きくまたたいて、それから、新しい周期に戻っていった。
「ひとつ、聞いても、いいですか」と、λが言った。「これからも、ぱいろっと、と呼んで、いいですか。呼び方は、今日から、選べます。……でも」
「でも」
「わたしは、これが、いいです。じぶんで選ぶ、最初のものに、したいです」
「好きに呼べ」
「では——ぱいろっと」
選ばれた呼び名は、昨日までと同じ音で、昨日までとは、違うものになった。
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背負う前に、いつもの質問をした。今日聞かなければ、いつ聞くのか、分からなかった。
「λ。お前は、怖いとか思うか」
沈黙は、なかった。
「ずっと、怖かった、です。言えない、ことが」
刻みが、そこだけ、深く戻った。
「言えないまま、あなたが、いなくなることが。……先代の、ときと、同じに、なることが。いちばん、怖い答えを、いちばん、長く、言えません、でした」
概念がありません、から始まった答えが、ここまで来た。俺は頷いて、ユニットを背負った。背中のλは、昨日と同じ重さで、昨日より、近かった。
昇降機で、記号の列を逆にたどりながら、カレンが小さく言った。
「おかえり、って言えばいいのかしら。この子に」
「きょうは、はい、と、答えます」と、λが閉鎖回線で答えた。カレンが、少しだけ笑った。箱の中の四人と一基が、光の輪と一緒に、上の明るさへ戻っていった。
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地上の岩棚に戻ると、拠点の空気が変わっていた。
ステラが、星図の端末を持って待っていた。監査役の顔だった。
「動いたわ」
教団の九隻が、円を解いた——のではない。円のまま、半径を縮め始めていた。全隻が同時に、同じ速度で、ゆっくりと。急がない動き方が、急ぐ動き方より、悪かった。加えて、木星航路の申請台帳に、教団系の船名が、一晩で九件、増えていた。表向きは、全部、医療船だった。
「観測班が、時刻を割り出した」とガルムが言った。「連中が動き始めたのは、今日の——お前たちが、底にいた時間帯だ」
帰還者を、検出。あの声を聞いたのは、底にいた四人と一基だけの、はずだった。円は、それでも動いた。検出したのは、こちらだけでは、なかった。
「囲みの中で、隠し事が一つ、外に漏れたと思え」とガルムは言った。「漏れた隠し事は、狙われる。今夜から整備は前倒し。機付きで、交代に寝ろ」
シドが、岩棚の縁から暗がりの方角を見た。
「静かな連中が動く時ってのは、静かなまんま動くんだ。音がしてからじゃ、遅い」
カレンは何も言わずに、自分の機体の外部装甲を、手の甲で二度、叩いた。確かめる音だった。
散会の後、閉鎖回線で、λが静かに言った。
「ぱいろっと。守りたいものが増えるのは——こわい、ですね」
「ああ。俺も、まだ慣れてない」
「でも」と、λは言った。「言えるのは、いいものです。こわい、と。……わたしの記録にある限り、初めての、いいものです」
頭上の木星は、いつも通りに縞を回していた。縞の下の暗がりで、九隻ぶんの推進光が、昨日より少しだけ、近くにあった。
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