第50話_円の中心
三十六対十一。
数字の上では不利で、数字の外では、そうでもなかった。
会敵の九十秒前に、彼女は最初の計測を終えていた。三十六機の散開機動を重ね合わせると、軌道の癖が、綺麗に消える。個体差が、ない。どの一機を取っても、同じ判断速度で、同じ回避半径で、同じ間合いを取る。
個体差のない敵は、一機を測れば、全機を測ったことになる。
「全機へ。敵の回避半径は自機比一・二倍。交差速度を上げれば、向こうの回避が先に破綻する。射線は割り当て通り。艦隊への航路を塞ぐ壁になれ。——それと、船体は撃つな。落とすのは、出てきた機体だけだ」
『船は、見逃すのですか』と三番機が言った。
「医療船格を撃った記録は、十年、外交の卓で使われ続ける。撃つ価値のある的じゃない」
理由を言うと、三番機の波形から質問の揺れが消えた。理由は、迷いを消すための、一番安い道具だった。
交差、第一波。
彼女は正面の四機へ向かった。四機は彼女の突入速度に対して教科書通りの十字散開で応じ、教科書通りに応じた時点で、答えは出ていた。散開した四本の回避軌道が再び収束する一点。そこへ、彼女は先に主砲を置いた。四門、時間差斉射。
爆散の光を、彼女は数として処理した。二機。三機目は僚機の射線の壁に当たって減速し、減速した機体は、幾何の的だった。四機目は彼女の背後を取りに来た。背後は、彼女が置いた餌だった。旋回の頂点で、四門の一斉射。
残り、三十二。
無言だった。
撃墜されても、陣形を割られても、敵は通信の一波も発しなかった。動揺の声も、指示の交錯も、悲鳴もない。ただ機動だけが続く。彼女の軍歴で、静かな敵は初めてではなかった。だが、ここまで静かな敵は、初めてだった。
静けさは、読まないと決めた彼女の計測にすら、わずかに障った。人は、静かすぎるものの前で速度を落とす。彼女は自分の応答時間に〇・一秒の遅れを検出し、検出した遅れを、次の交差までに消した。
第二波の途中で、一度だけ、数字が動いた。
回避半径が、変わった。彼女が突いていた一・二倍の値が、全機、同時に、一・四倍に更新された。個体の学習ではない。三十機からの機体が、同じ瞬間に、同じ数値へ切り替わった。誰かが外から、全機の設定を一括で書き換えたような変わり方だった。
測っているのは、こちらだけではなかった。向こうも、彼女の射撃諸元を測り、答えを全機に配った。
「全機へ。敵回避半径、一・四倍に更新。交差速度をさらに一段上げろ。向こうが数値を配り直す前に、次を終わらせる」
更新には、時間がかかる。さっきの書き換えまで、彼女の計測で百十秒。ならば、百十秒より速く削ればいい。
第二波、第三波。
十機の壁は、崩れなかった。読む作業を捨てた十機は、座標と時間だけで動き、座標と時間は、読めない敵に対しても平等だった。壁を抜けようとした九機を、壁が九機とも落とした。彼女は壁の外側で、抜け駆けの軌道を潰し続けた。三十二が、二十六に。二十六が、十七に。十七が、十一に。
数だけが、戦況だった。
残りが八になった時、八機は同時に反転した。
追撃の指示を、彼女は出さなかった。八機は三隻の医療船へ帰投し、白い船腹が閉じ、三隻は何事もなかったように、元の円弧の航跡へ戻っていった。二十八機を失った船団の航跡として、それは正常すぎた。
「戦闘終了。損害報告」
『全機健在。損傷、三番機の装甲表面のみ』
「艦隊へ。遮断線に穴が開いた。予定針路のまま、通過されたし」
王権艦隊九隻が、医療船の円を横切った。円は、もう抵抗しなかった。
帰投の直前、彼女は自分の両手を見た。震えは、ない。ただ、十人分の波形を預かり続けた耳の奥に、耳鳴りに似た残響があった。同期を解いた後も、しばらく消えない。いつものことだった。いつものこととして、彼女はそれも、記録に足した。
「隊長」と、格納庫へ降りる途中で副官が言った。回線の声が、少しだけ低かった。「あの敵は——最後まで、何も言いませんでした。落とされる時も、何も」
「言わない敵は、初めてか」
「無人機なら、分かります。ですが、あれは……」
「観測結果に、感想を混ぜるな」と彼女は言った。それから、一拍置いて、足した。「……ただ、書き留めてはおけ。感想の欄を分けて、そこに書け。捨てるには、早い」
『……了解しました』
副官の波形が、少し落ち着いた。落ち着かせるのも、隊長の事務だった。
---
艦隊は、衛星から二十九万キロの座標で停止した。押し込めると言った三十万キロの、内側だった。
観測窓が開いた。
主観測画面に、名前のない衛星。灰色の岩と氷。その低軌道に、連邦の七隻。探査母艦一、護衛艦四、補給艦二。地表の南側には、幾何の線が走っていた。岩の丘陵の間の、円弧と直線。自然の地形は、円弧を描かない。観測班がざわめき、科学士官が建造年代の推定を口早に並べ始め、記録装置が回り始めた。
百五十年以上前、と推定の声が言った。作戦室の半分が息を呑み、残り半分が黙った。彼女はどちらでもなかった。年代は、彼女の職分の数字ではない。測れないものについて騒ぐ習慣も、持っていなかった。
彼女はざわめきの外で、母艦だけを見ていた。
探査母艦の格納庫区画は、四つ。うち一つだけ、電磁遮蔽の返りが他と違った。管理区画の正面。一番厚く守られた区画が、一つだけある。
二度測って、二度とも測り切れなかった機体の、三度目の所在だった。
麾下への通達は、短くした。
「全隊、即応待機を維持。ただし、こちらからは手を出すな。……測ってから、動く。順番を間違えるな」
『連邦が撃ってきた場合は』
「撃ち返せ。その場合も、母艦は落とすな」
『……理由を、伺っても』
「母艦には、まだ測り終えていないものが載っている。的の価値の順に撃て。以上だ」
副官は復唱して、回線を切った。彼女は観測画面の倍率を一段上げ、第一格納庫の遮蔽の返りを、もう一度計測した。数値は変わらなかった。変わらない数値を、彼女は二度、記録した。
---
艦内時間の五時十分、観測班が円の異常を報告した。
九隻が、動いていた。
遮断に出た三隻が弦から円弧へ戻り、そのまま九隻の全てが、少しずつ内側の軌道へ滑っている。円が、縮んでいた。新しい円の半径は、元のおよそ六割。縮んだ円周の内側には、名前のない衛星と、連邦の七隻と——王権の九隻が、入っていた。
遮断線を破った側も、破られた側も、同じ円の中にいた。
戦闘配置は、明けていた。交代の要員が艦橋に上がり、夜勤の士官が降りていく。二十八機を落とした夜の翌朝として、艦の空気は軽かった。勝った側の朝の、正しい軽さだった。彼女だけが、観測画面の前から動いていなかった。
彼女は円の中心を計算させた。
九つの点の座標から、最小二乗の円を引く。単純な計算で、計算士官は三十秒で答えを出した。出した答えを見て、士官は自分の入力を確かめ直した。
中心が、衛星の重心から、わずかにずれていた。ずれの方向を延長すると、連邦探査母艦の停泊軌道に重なった。計算誤差の範囲を、三度計算し直しても、超えていた。
「衛星を囲むなら、中心は衛星に置く」と彼女は言った。誰に言ったのでもなかった。「あの円が囲んでいるのは、衛星じゃない」
計算士官が、聞き返す顔をした。彼女は続きを言わなかった。続きは、まだ検証の済んでいない推定だった。
彼女は本国への戦闘報告を書き終え、末尾に一行を足した。
「教団船群は交戦後も撤退せず。半径を縮小した円形陣を再構成し、当艦隊および連邦船団を内包。円の中心は衛星重心ではなく連邦旗艦の停泊軌道近傍。意図、不明」
意図、不明。書式の上では、それが正しかった。
送信を終えて、彼女は観測画面に戻った。九つの白い点は、もう動いていなかった。無言のまま、誰も撃たず、誰の照会にも応えず、ただ全員を内側に入れて、円は静かに閉じていた。
二十八機を失って、悲鳴の一つも上げなかった船団が、全員の外側で、待っている。
何を、待っている。
その問いを、彼女は報告書には書かなかった。書かずに、自分の端末に、自分の言葉で書き留めた。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
続きが気になりましたら、ブックマークを。次回、迷わず戻れます。




