第48話_教える番
空洞は、静かだった。
「λ」と、俺は言った。声が、思ったより普通に出た。「記録の識別情報を、読んでくれ」
「せんいき、しきべつ——」λが座標と識別符号を読み上げた。カレンが自分の端末で照合して、先に息を呑んだ。
「……この戦域、粒子翼のあった場所よ。あの、慰霊標の」
慰霊標の裏に、誰かが弔いの場所を選んで、翼を置いた。あの日に消えた機体の、部品を。
「きたい、とうろく——λけい、しきべつ、ふごう」とλは続けた。「きたいの、かくしょに、λの、きごうが、あります」
空中の記録に、機体の登録画像が出た。俺の機体ではない。もっと古い、正規の設計の機体。その肩と、翼と、頭部に、俺が毎日見ている記号があった。
「パイロットの、登録名は」
λは、答えるまでに、間を置かなかった。置かない答え方が、答えだった。
「——とうま」
灯真。
親父の、名前だった。
背嚢から、写真を出した。手袋の指が、一度だけ、留め具で滑った。顔の読めない一枚を、空中の登録画像の隣に、掲げた。
写真の機体の記号と、記録の機体の記号が、同じだった。同じ位置の、同じ一文字だった。
四年、顔の読めなかった写真が、今日、名前と、戦場と、最後の数分を持った。
俺の親父は、傭兵で、この機体に乗っていて、あの慰霊標の戦場で、渦に単機で向かって、勝って——消えた。
戦死ではなかった。公式の記録の、外側で。
誰かが何かを言うより先に、俺は、ガルムを見た。
ガルムは、機体の登録画像を見たまま、立ち尽くしていた。
半秒では、なかった。半秒で済んでいた何かが、済まなくなっていた。火のない煙草が、指の間で、忘れられていた。
「……この機体を、知っている」と、ガルムは言った。「一度だけ、一緒に戦った」
刻印を初めて見た日。慰霊標の戦場の名を聞いた日。読めない記録が同系統だと言われた日。木星に行くと決めた夜。あの人が半秒止まるたび、その半秒の中に、この機体がいた。
半秒の中身が、十三年ぶんの重さで、そこに立っていた。
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夜、岩棚の拠点の外で、ガルムと二人になった。
誘ったのは、ガルムの方だった。頭上の木星の下、機体の脚部に並んで腰を下ろした。ガルムは火のない煙草を咥えて、長い間、黙っていた。急かさなかった。十三年待った話だ。数分は、誤差だった。
「十三年前、俺は駆け出しの傭兵だった」と、ガルムは始めた。「あの戦域の端にいた。後退命令で下がる側の、有象無象の一機だ。渦ってやつを、計器越しに見た。世界の底が抜ける音がするようだった」
「……親父を、見たんですか」
「見た。逆走していく単機を、全員が見てた。正気じゃないと思った。次に、計器を見て——渦が静まっていくのを見た。単機がやったことだけは、分かった。何をやったのかは、誰にも分からなかった」
ガルムは、煙の出ない煙草を、一度だけ強く噛んだ。
「戦域が静まった後、その機体を回収しようって話になった。近づいた奴が、通信で言った。『誰も乗ってない』と。……装備も、服も、座席にそのまま残ってて、人だけがいない、と」
昨日の街と、同じ言葉だった。十三年前に、ガルムは一度、あの街の一室を見ていた。コックピットという名前の、一室を。
「彼は勝った。そして、いなくなった」と、ガルムは言った。「俺が見たのは、それが全部だ。報告書に書いたら、書き直せと言われた。戦死、と。……何度か言い張って、やめた。言い張るほど、俺の頭の方が疑われた。そのうち、傭兵の間の噂話だけが残った。消えたパイロットがいる、とな」
「噂の出所は、あんただったんですか」
「俺を含めた、あの日の端にいた連中だ。全員、同じものを見て、全員、公式には戦死と書いた」
ガルムは、そこで初めて、俺の方を向いた。
「刻印を見た日から、疑ってはいた。あの機体の記号は、忘れようがない。だが、確信じゃなかった。同じ記号の別物かもしれん。お前が息子だという証拠も、なかった。……確信は、少しずつだった。慰霊標で強くなって、読めない記録で強くなって——半分は、今日だ」
「言おうとは、思わなかったんですか」
「思った。何度もな」ガルムは煙草を指に挟んだ。「だが、考えてみろ。確信のない話だ。『お前の親父は戦死じゃなく、消えたのかもしれん』と、俺の口から言う。外れていたら、お前の持ってる数少ないものを、掻き回すだけだ」
火のない煙草の先を、ガルムはしばらく見ていた。
「当たっていたら——当たっていたら、だ。消えた男の息子だと知った組織が、この世には、いくつもある」
黙って、聞いていた。
「それにな」と、ガルムは言った。「昔、お前に言ったことがある。お前が何者かは、いつか教えてくれ、と」
覚えていた。最初の戦闘の夜だ。五十八秒の後の、格納庫で。
「あれから、ずっと待つつもりでいた。お前が自分で知って、自分で話す日を。……順番が、逆になった。先に、俺が教える番になった。それだけの話だ」
それだけの話だ、と言うのに、十三年かかった人が、隣にいた。
怒ろうと、した。
黙っていたことに。半秒の向こうに、これだけのものを置いたまま、何年も隣にいたことに。怒りの置き場を探して、順番に当たって——全部、違った。判断ミスではなかった。裏切りでもなかった。確信のない話を確信のないまま抱えて、外れた時と当たった時の両方から、俺を守ろうとした沈黙だった。
怒りの手順が、見つからなかった。見つからないまま、一つだけ、聞いた。
「木星に来ると決めた理由。報酬が過去最高、の続きは」
ガルムは、少しだけ笑った。半秒、置かずに答えた。
「あの機体の足跡が、この方角で終わってる。……終わりの先を、俺の目で見ておきたかった。半分は、それだ」
嘘は、もうどこにもなかった。
「報酬の話も、本当だぞ」と、ガルムは付け加えた。それから立ち上がって、俺の肩に、一度だけ手を置いた。置いて、何も言わずに、拠点へ歩いていった。
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コックピットに戻ると、λの光が、静かに明滅していた。
再生のあと、λはずっと静かだった。読み上げる声は正確で、正確さの奥で、何かをずっと抱えている静かさだった。
聞きたいことは、あった。お前は、いつから知っていた。先代のパイロットを、お前はどう呼んでいた。最後の二語は、何を頼まれた——
聞かなかった。
今日は、親父の日だ。λの日は、多分、この先にある。急かして開く扉じゃないことだけは、今日一日のλの静かさが、教えていた。
写真を、計器の脇に置いた。顔の読めない一枚を、λの光の届く場所に。
戦死が、消失になった。公式の記録が、一行、書き直された——俺の中でだけ。それで俺の十六年が書き直しになるかといえば、ならなかった。孤児院の飯も、ガルムに拾われた日も、墓場でλを見つけた朝も、全部そのままそこにある。変わったのは、写真の重さだけだった。同じ一枚が、今日から、少しだけ重い。
「λ。今日は、ありがとう」
「……いいえ」と、λは言った。それから、長い沈黙があった。三秒よりも、ずっと長い沈黙が。
「ぱいろっと。おねがいが、あります」
「言ってくれ」
「あした、もういちど、せつぞくを、ゆるして、ください」
λの光が、一度、大きくまたたいた。
「……つぎは、わたしの、ばん、です」
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