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λ:ASTRA 〜星の共鳴者〜  作者: Pemo


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第47話_頼んだ

――Pater(パテール)


朝の食卓で、ガルムが全員の顔を見た。


「λの言った、個人の記録の層。開けるかどうかだ。全員の意見を聞く」


「開けない、っていう選択肢は、選べるの?」とカレンが言った。「選べるなら、一応、並べておくべきだと思うけど」


「選べる」とガルムは言った。「選べるが、勧めん」


「俺も勧めんな」とシドが言った。「開けない箱ってのはな、開けるまで、重くなる一方だ。背負って帰る羽目になるくらいなら、ここで開ける方がいい」


ステラは何も言わなかった。言わずに、小さく頷いた。彼女の家は、開けない箱を三代、背負ってきた家だった。


「燈」とガルムが言った。「お前は」


「開けます」


短く答えた。長く答える用意もあったが、要らなかった。


降下の枠は、ガルムが組んだ。連邦は昨日の報せで上を下への騒ぎになっていて、本国との通信と方針会議で、丸一日、動けない。その一日の隙に、「縦坑周辺の警備巡回」の名目で《灰狼》の四人の降下が通り、ステラは「共鳴者運用の現地監査」の書式で、彼女の紙を自分で通してきた。書類の名目と実態の距離は、この契約が始まってから、ずっと同じ幅で保たれていた。


出発の前に、俺は自室の棚から、写真を出した。


顔の読めない、機体の記号だけが鮮明な、一枚の写真。院長から渡された、傭兵だったという親父の、唯一の遺品。渡された日のことは、少しだけ覚えている。院長は説明の言葉を持っていなかった。「傭兵だったそうだ」と「これしか残っていない」の二つを、順番に言った。俺は十二で、写真の中の顔が読めないことを、まだ不思議に思う年齢だった。


背嚢の内側に入れた。入れたことは、誰にも言わなかった。言えば、持っていく理由を言葉にすることになる。言葉にできる自信が、なかった。


---


底の空洞は、昨日と同じ淡さで光っていた。


柱の前に立つと、光の文字が、昨日と同じように流れ始めた。背中のケースから、λが言った。


「どうきを、かいし、します。……きょかは、きのう、もらって、います」


「ああ。頼む」


同期は、音もなく始まった。


λの光の周期が、初めて、崩れた。速くなり、遅くなり、それから——柱の光の流れと、同じ周期になった。二つの明滅が、揃った。揃った数秒間、俺は自分が息を止めていたことに、後から気づいた。


「どうき、かんりょう、です」と、λは言った。声は、いつものλだった。「こじん、きろくそうの、もくろくを、ひらきます」


空中に、名前の列が立ち上がった。


読めない文字の名前が、柱を囲むように、何千、何万と並んだ。一つの名前が、一人の記録だった。この街の、全員ぶんの。学び舎の小さな椅子の数も、市場の器の数も、この列のどこかに、持ち主の名前で立っている。俺たちは、名簿の中に立っていた。


「……全部、人なのね」とステラが小さく言った。


彼女は名前の列を、長い間、見上げていた。読めない文字を、読もうとする目の動きだった。何を探しているのかは、聞かなかった。多分、彼女自身も、探していることに気づいていなかった。


名前の列の、その中で。


一つの層だけが、光り方を変えた。λの明滅と、同じ周期で、応えるように。


「ほうこく、します」と、λが言った。「この、そうは——わたしの、うんよう、きろく、です。この、λユニットの。けいしきが、いっち、しました」


λの、運用記録。この街の名簿の中に、λの層がある。


「最終の書き込みは、いつだ」


「さいしゅう、かきこみ——」λは一拍、置いた。「じゅうさんねん、まえ、です」


十三年前。


百五十年前に止まった街の記録の中で、その層だけが、十三年前まで生きていた。


「さいせい、しますか」


背嚢の内側の、写真の角が、背中に当たっている気がした。当たるはずのない薄さのものが。


「……頼む」


---


再生は、計器の記録から始まった。


映像は少なかった。λの運用記録は、機体の目で見た戦域と、数値の列と、通信の音声でできていた。空中に、十三年前の戦域が組み上がっていく。


座標。戦域識別。日付。


記録の冒頭は、ただの護衛任務だった。輸送船団と、傭兵の編隊と、『進路よし』『次の中継点まで六時間』の決まりきった交信。あの日が、最初から特別だったわけではなかった。それが、かえって、こたえた。


異変は、計測値から始まった。


「これは……」とカレンが数値の列を見上げた。「共鳴の、計測値? こんな数字、あるの」


戦域の外れの一点で、共鳴の計測値が膨らみ始めていた。最初は計器の隅の異常値だった。数分で、隅に収まらなくなった。針という針が、目盛りの外で振り切れていく。映像では、よく見えない。計器の上でだけ、渦は、はっきりと見えた。空間の一点で、何かが際限なく深くなっていく。渦の正体を、記録は特定していなかった。特定できる計器が、この世になかった。


通信が、悲鳴に変わるまでは早かった。


『——全機、後退。繰り返す、全機後退。観測限界を超えている。近づくな——』


『輸送船団、退避進路へ。護衛は殿を——おい、殿はいい、全機下がれ!』


後退していく識別信号の群れの中で、一つだけ、逆へ動く点があった。


単機。渦へ、まっすぐ。


記録の視点が、その機体自身のものだと、そこで分かった。これは、λの目だ。λを載せた機体が、渦へ向かっている。


『そこの単機! 何をしている、戻れ! 命令系統は——』


『傭兵です』と、男の声が答えた。


短い声だった。低くも高くもない、仕事の声だった。それきり、管制への応答はなかった。


計器の列が、深度の記録に切り替わった。


沈んでいく。一段。もう一段。俺の知っている沈み方の、ずっと先へ。当時のλの警告ログが、等間隔に打たれていた。生体反応、警戒。生体反応、限界。同じ書式の警告が、深くなるごとに言葉を強めて、そして、ある深さから——警告が、止まった。止めたのは、多分、操縦者の側だった。


渦が、近い。


計測値の壁が、画面の全部を埋めた。その真ん中へ、機体は入っていった。


最後の交信が、残っていた。管制へでも、僚軍へでもない。機内の、記録にだけ残る声だった。


『——λ、頼んだ』


二語だった。


何を頼んだのかは、記録のどこにもなかった。


そこから先、数値の列は、俺には読めない速さで流れた。λだけが読める速さで、何かが行われていた。長かったのか、一瞬だったのか。記録の時刻は数分を示し、その数分の間、外の回線では僚軍の声が飛び交っていた。『まだ中にいるのか』『計測は』『駄目だ、何も読めん——』。誰にも読めない数分の底で、一人ぶんの仕事が、続いていた。


そして——渦の計測値が、落ち始めた。


膨らみ続けていた数字が、頂点を過ぎて、下がっていく。振り切れていた針が、一本ずつ、目盛りの中へ帰ってくる。渦が、静まっていく。


勝った。誰が見ても、そうとしか読めない数値の列だった。


その、直後だった。


『搭乗者の生体反応——消失』


施設の受信記録の、平坦な一行だった。


『機体、損傷なし。搭乗者の生体反応、消失。再計測——消失。再計測——』


再計測の行が、同じ結果のまま、並んで、止まった。


機体は、無傷のまま、静まった戦域を漂っていた。昨日、映像で見た、誰も乗っていない機体の飛び方で。記録は、そのまま回り続けた。漂う機体と、戻ってくる僚軍の信号と、誰かの『……嘘だろう』という声を最後に、音声の層が終わった。


再生が、終わった。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。


続きが気になりましたら、ブックマークを。次回、迷わず戻れます。

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