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λ:ASTRA 〜星の共鳴者〜  作者: Pemo


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第45話_最後の日

――Anamnesis(アナムネシス)


朝、シドが俺の機体から、λのユニットを外した。


外す手順は、λが自分で口頭で出した。「けーぶるは、みぎから、じゅんに、はずして、ください」。自分の外し方を、自分で言う。シドは手順の通りに手を動かしながら、一度だけ「妙な気分だぜ」と言った。


ユニットは、両腕で抱えられる大きさだった。背負い枠に固定して、俺が背負った。


「重い?」とカレンが聞いた。


「軽い。……軽いのが、変な感じだ」


いつもは機体という体でそこにいる相棒が、背中で、俺の歩幅に合わせて揺れている。回線試験で、λが言った。


「かんど、りょうこう、です。……せかいが、ひくい、です」


機体の目の高さから、人の背の高さへ。λの見る世界は、今日は俺と同じ高さにあった。


連邦の記録員には、ガルムが書類を出した。品目の欄には「解析補助の演算ユニット」とあった。昨日、ケースの型番を控えられている。今日は、こちらの書類が先に出た。控えられる前に差し出す紙は、控えよりも強い。記録員は頷いて、それ以上は聞かなかった。


ステラは、名簿の確認に来たついでのような顔で、俺の背中のケースを一度だけ見た。


「その子も、降りるのね」


「本人の希望です」


「そう」と彼女は言った。その子、と、本人。二つの言い方のどちらも、荷物の呼び方ではなかった。


第二次降下班は、前日と同じ顔ぶれで街を抜けた。無人の街は、昨日と同じ順番で照明を点けて、俺たちを中心部まで通した。街区の螺旋の底に、縦坑の縁があった。


縁に、昇降廊が生きていた。貨物用の大きな箱が、レールに掛かったまま、動力の灯を点けていた。シドが検分して、短く報告した。


「動力よし。制動よし。整備記録——なし。百五十年ぶんの、なし」


「乗るのか、これに」とカレンが言った。


「機械は嘘をつかん」とシドは言った。「つくとしたら、整備記録の方だ。記録がないなら、疑う相手もいない」


《灰狼》の四人と、ステラと、科学班の主任と、記録員。七人を乗せて、昇降機は、軋みもせずに降り始めた。


降下は、長かった。籠の速度は一定で、λが節目ごとに深度を読んだ。「せんメートル、です」。耳の奥で圧が動き、スーツが自動で釣り合いを取る。誰も、無駄口を叩かなかった。無駄口の得意なやつを、うちは一人、置いてきている。置いてきた席のことは、誰も言わなかった。


千メートルを過ぎたあたりで、ステラが手すりを持ったまま、言った。


「深くまで潜ってはだめ——祖母の言い伝え、私、ずっと共鳴の話だと思っていたの。深度の。……今、初めて思ったわ。あれは、ただの地理の話でも、あったのかもしれない」


二キロの縦坑を降りながら聞く言い伝えは、警句ではなく、標識の文言に聞こえた。


壁の記号列が、照明の輪の中を、上へ流れていった。λ。λ。λ。等間隔の同じ一文字が、深さの目盛りのように、数えても数えても続いた。深度計の数字を、俺は目で追った。千メートル。千五百。千八百——千九百で、箱は静かに止まった。


---


底は、大空洞だった。


昇降機の光が届く範囲の外まで、床が続いていた。足音が反響して、反響の返りの遅さが、空間の大きさを教えた。


そして、色があった。


地上から、街の底に見えていた遠い明るさ。その中に、俺は立っていた。空間の全部に、淡い、生きた色が満ちていた。灰色は、どこにもなかった。ここは、この衛星でいちばん深くて、いちばん生きている場所だった。


「λ。見えてるか、この色」


「いろは、けんしゅつ、できません」と、λは言った。「でも——しんごうの、みつどが、たかい、です。うえの、まちの、ひゃくばい、いじょう。ここが、みなもと、です」


見えている俺と、測れているλが、同じ場所を指していた。街を養う遠い明るさの、根元に、俺たちは立っている。


照明は、点かなかった。街と違って、この空間は、来訪者に反応しなかった。淡い色の明るさだけが、天井のない闇の中に、雪のように浮いていた。科学班の携行灯の輪が、床の上を進んだ。


中央に、柱があった。柱まで、歩いて二百歩あった。二百歩の間、誰も、何も言わなかった。


高さ十メートルほどの、継ぎ目のない柱。近づくにつれて、表面に光が走り出した。読めない文字列が、上から下へ、静かに流れていく。科学班が計器を向け、記録員が記録機を構えた。流れる文字列の中に、一字だけ、読める形があった。


λ。


背中で、λが何かを言いかけて、やめた。閉鎖回線に、吐息のようなノイズだけが残った。


柱の光が、変わった。


文字列が消えて、空間の中央に、映像が立ち上がった。誰も、何にも触れていなかった。接近を検知した端末の自動再生——科学班の一人は、後の報告書にそう書いた。俺には、そうは見えなかった。


待っていたものが、話し始めたように見えた。


---


最初に映ったのは、広場だった。


昨日、歩いた広場だった。中央に塔があって、植栽槽から緑が溢れて、そして、人がいた。


市場の台に、量り売りの器が並んでいた。器の中身を掬う手があり、値段を言い合う声があった。学び舎の小さな椅子に、小さな子供たちが座っていた。回廊を歩く人。表示板の、読めない書式の数字が、動いていた。


音声があった。街の音だった。人の声と、機械の作業音と、水の音。昨日、足りなかった音の、全部が、そこにあった。


切り替わる定点の中に、一瞬、見覚えのある部屋が過ぎた。四人分の皿の並んだ食卓。立ち上る湯気。四つとも、席の埋まった食卓だった。映像は、そこで止まってはくれなかった。


映像は、日付とともに進んだ。科学班の一人が、震える手で数字を書き写していた。


そして、ある日付で、記録の質が変わった。


管制の音声が入った。


『——深層接続班、定時応答なし。再呼び出しを』


『第三接続室、応答なし。第七、応答なし。……全室です。全室、応答がありません』


映像は、広場の定点記録に切り替わった。人々が歩いている。何人かが立ち止まり、床を——地下の方を——見る仕草をした。


一人が、消えた。


歩いていた人の輪郭が、一歩の途中で、ほどけた。悲鳴は、すぐには上がらなかった。隣を歩いていた人が立ち止まり、振り返り、そこにあるはずのものを探して——その人も、消えた。


衣服が、崩れ落ちた。重力のある街で、服は漂わない。人の形を一瞬だけ保って、床に落ちる。


広場のあちこちで、同じことが起きていた。走り出す人がいた。走った先で、走る理由の方が先に消えた。子供を抱き上げる人がいた。抱き上げた腕の中から、子供だけが——


順番も、選び方も、見えなかった。爆発なら、中心がある。病なら、広がり方がある。これには、どちらもなかった。


街の音が、穴の空き方で減っていった。


俺は、見ていた。目を逸らす選択肢を、最初から持っていなかった。


『管制より全区画。落ち着いて、屋内へ——』


呼びかけの声が、文の途中で絶えた。別の声が引き継いで、その声も絶えた。三人目は、いなかった。


映像は、街の外の受信記録に切り替わった。


地球圏の艦隊。エース機の翼が、僚機と並んで飛んでいた。『こちら——隊、針路を維持。次の会敵予測は——』。声が、途中で消えた。機体は無傷のまま、まっすぐ、飛び続けていた。誰も乗っていない機体の飛び方を、俺は初めて見た。


どこかの艦橋。操縦席の列に、誰もいない。計器は全部生きていて、生きたモニタの一つに、短い一行が点いていた。読めない書式の中に、λの記号を含む、一行が。


音声の、最後の層が来た。


『観測班、最終記録。深層の接続者は、還らない。覚醒者——百年に一人の深達者(イカロス)と呼ばれた者たちが、最初に消えた。続いて、深くに触れたことのある市民。今は——境目が、わからない』


『残っている者に、共通項は見つからない。深い者から、という傾向だけが、ある。……私に、接続の経歴はない。おそらく、それで、まだここにいる』


『これは、戦争ではない。攻撃の主体が、存在しない。防ぐ方法を、我々は——』


声は、最後まで続かなかった。


そこから先、映像は乾いていった。人のいない街の定点記録。照明が省電力に落ちて、街が薄暗くなる。市場の器が、そのままの位置で光を失っていく。表示板の数字が、ある日付で止まる。定点の連なりは、やがて早送りになった。灯りが落ち、数字が止まり、時間だけが、誰もいない街を、通り過ぎ続けた。


最後に、人の声ではない、合成の平坦な声が言った。


『管理者、不在。応答者、不在。環境維持系を——稼働のまま、保持します。帰還者の検出まで。記録を——公開状態で、保持します。閲覧者の来訪まで』


昨日、俺たちが吸えたはずの空気の理由が、そこにあった。開いたままの扉の理由も。機械は、ずっと、誰かが帰るか、誰かが読みに来るのを、灯りを点けたまま待っていた。


再生が、終わった。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。


続きが気になりましたら、ブックマークを。次回、迷わず戻れます。

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