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λ:ASTRA 〜星の共鳴者〜  作者: Pemo


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第42話_理由のない速さ

二十日目の夜、第一格納庫にガルムが来た。


火のついていない煙草を咥えていた。艦内は全域が火気厳禁で、ガルムは規則を守る男だった。守った上で、咥えるのはやめなかった。


「眠れんのか」


「機体の点検です。……ガルムさんこそ」


「見回りだ。傭兵の頭ってのは、雇い主の艦でも見回りをする」


ガルムはしばらく、俺の機体を見上げていた。墓場のフレームと、闇市場のアンテナと、慰霊標の翼。寄せ集めの一機を、下から順に、目でなぞっていた。


「……寄せ集めにしちゃ、様になってきたな」


「フレームは墓場、アンテナは闇市場、翼は慰霊標です」


「知ってる。全部、俺が金を出したか、隣で見てた」と、ガルムは言った。「寄せ集めってのはな、集めた奴の目が良けりゃ、一枚板より強くなる。……お前のこれは、いい寄せ集めだ」


「ガルムさん。聞きそびれてたことが、一つあります」


「なんだ」


「あんたは、即答しなかった。三日の猶予を切ったのも、あんただ。……なのに、なぜ行くと決めたんですか」


ガルムの返事まで、半秒あった。


「傭兵は仕事で動く。報酬が過去最高だ。それだけだ」


連邦の情報士官に使った煙の巻き方を、ガルムは俺にも使った。使ったことに、本人も気づいていた。気づいた上で、それ以上は足さなかった。


「……そうですか」


「それだけだ」と、ガルムはもう一度言った。それから、火のない煙草を指に挟んで、格納庫の出口へ歩き出した。「四十九日は長い。着くまでに体を鈍らせるな。着いてからは——多分、鈍ってる暇がない」


聞き返されるかと、思っていた。お前はなぜ行く、と。ガルムは、聞かなかった。俺の理由の半分は契約の夜に話していて、残りの半分は——多分、聞かないでいてくれている。


足音が消えてから、λが言った。


「はつげんまで、れいてん、ご、びょう、でした」


「ああ。……知ってる」


俺も、数えていた。三秒の沈黙は、λの「言えない」の印だ。なら、半秒は、何の印なのか。答えはまだ持っていない。ただ、半秒止まる時のガルムは、いつも同じ目をしていた。遠い何かを、見る目だった。


「λ。今のも、記録するのか」


「けんしょうが、ひつような、データでは、ありません」と、λは言った。「でも、ほぞんします。はんびょうは、これまで、なんども、はっせいして、います」


何度も、発生している。λも、数えていた。


---


時間を、少し戻す。ステラが船団に合流したのは、出航から七日目のことだった。


監査団の連絡艇が母艦に接舷して、監査官が三人、降りてきた。その先頭に、彼女がいた。公式の顔だった。艦長への挨拶の場で、彼女は俺たちを「灰狼の皆さん」と呼んだ。医務室で聞いた呼び方とは、別の呼び方だった。


その夜、食堂で、彼女は俺たちのテーブルに盆を置いた。


「ここ、いいかしら」


「監査役が、監査対象と同じテーブルで食っていいのか」とシドが聞いた。


「監査対象と食事を共にしてはいけない規則は、ないの。調べたわ」


「ないことを調べたのね」とカレンが言った。


「ええ。ないと知って座る方が、気持ちがいいもの」


「それで、監査役どのは、何を監査しに来たの」とカレンが聞いた。


「共鳴者の運用実態。……建前はね」


「本音は」


「建前と同じよ。ただし、運用する側からじゃなくて、される側から見た実態」


匙が一瞬止まったのは、シドだった。「……あんた、いい役人だな」


「役人に、いいも悪いもあるかしら」と彼女は言った。言いながら、少しだけ笑っていた。


彼女は公式の場では「灰狼の皆さん」と言い、食堂では名前で呼んだ。二つの距離を、間違えたことは一度もなかった。距離の使い分けは監査役の技術で、使い分けた上でこちらの側に盆を置くのは、多分、技術ではなかった。


航行の日々には、戦争がなかった。


体の方が、それに慣れなかった。最初の数日、俺は朝起きるたびに、λへ熱源走査を頼んだ。何もない。翌朝も頼んだ。何もない。六日目の朝、走査を頼む前に、λが言った。


「ねつげん、なしです。……きょうも、なしです」


先回りされて、少し笑った。走査を頼むのは、それでやめた。眠りが深くなったのは、その後だった。戦争は、離れてから体を出ていくまでに、時差があった。


シドは母艦の整備班に混ざって、手を動かしていた。「傭兵の整備を盗みに来る若いのがいてな。教えるのは、嫌いじゃない」。カレンは規律を航行用に組み直して、昼は射撃シミュレータ、夜は読書。クロムは補給艦の部品庫で、四ヶ月分の帳尻を合わせていた。


俺は、ガルムの言いつけ通りにした。第一格納庫の隅で、毎日、機体の起動と模擬機動を繰り返した。八基の監視カメラが、その全部を記録していた。見られながら訓練するのは、見られずに戦うより、少しだけ疲れた。疲れたが、やめる理由にはならなかった。


食堂の俺たちのテーブルには、椅子が六つあった。五人で座ると、一つ空く。ステラが加わって六人になった夜、シドが黙って隣のテーブルから椅子を一つ足した。同じ位置が、空いたままになった。誰が決めたことでもなかった。船が変わっても、席は続いた。


ステラは監査の書類仕事が主で、時々、展望区画で一人、進行方向の暗がりを見ていた。声はかけなかった。かけない方がいい背中というものが、ある。


夜は、λと木星圏の公開データを繰るのが日課になった。衛星の軌道要素、放射線帯の分布、過去の探査記録。答えの出る資料は一つもなかったが、読まずにいるよりは、よかった。


二十五日目の定例報告に、小さな注記が載った。目標座標の周辺に、分類未了の反射源が一点。観測部門は「岩体の可能性が高い」と付記し、次の報告からその一行は消えた。消えた一行を、λは覚えていた。


気づいたのは、何度目かの夜だった。


「λ。木星のデータの時だけ、お前、返事が速いな」


「……そう、でしょうか」


「速い。他のデータより、半拍」


λは沈黙した。処理落ちの沈黙ではない。自分の応答記録を、照合している沈黙だった。


「かくにん、しました。もくせいけん、かんれんの、しょり——おうとうが、へいきんより、れいてん、さん、びょう、はやいです。……じかくして、いません、でした」


「理由は」


「ふめい、です」


不明です、の言い方に、迷いがなかった。自分の速さに、自分で、追いついていない。


「λ。それも保存するのか」


「けんしょうが、ひつような、データとして、ほぞんします」と、λは言った。それから、少しだけ間を置いて、続けた。「……わたしの、なかの、データを、そのばしょに、いれるのは、はじめて、です」


自分自身を、検証待ちの棚に入れる。λはそれを正確にやって、正確にやったことを、少しだけ持て余しているように聞こえた。


---


小惑星帯の上部を抜けるのに、三週間かかった。その間に、船団は二度、航路を変えた。一度は浮遊物の回避で、もう一度は、理由が公表されなかった。


四十日目、木星が、計器の中の数字ではなくなった。


展望区画の窓の向こうに、肉眼で見える光点が生まれていた。恒星とは違う、静かで重い光り方だった。誰かが「あれだ」と言い、次の日から、展望区画に人が増えた。千二百人の船団が、同じ一点を見る日々が続いた。


四十五日目、観測部門の定例報告が更新された。


ブリーフィングの投影に、目標座標周辺の長距離観測画像が映った。衛星軌道の、一点。拡大の段が進むたびに画素は粗くなり、粗くなった画素の中心に、影が残った。


「自然地形との照合を継続しています」と、観測士官は言った。「……現時点で、一致する地形パターンは、ありません。人工構造物の可能性を、排除できません」


会議室が、ざわめいた。科学班は前のめりになり、軍側は静かになった。二つの職業の、二つの正しい反応だった。


ステラは投影を最後まで見て、何も言わずに退出した。言い伝えの家の者の、背中だった。


ガルムは腕を組んだまま、動かなかった。俺は、影を見ていた。この距離では、俺の目にも色は見えない。ただの、暗い画素の塊だった。それでも、投影が切り替わるまで、目を離せなかった。


散会の後、ガルムが《灰狼》だけに短く言った。


「四日で着く。着く前に、寝られるだけ寝ておけ」


寝ておけ、が号令になる程度には、艦の空気は変わっていた。廊下の足音が速くなり、展望区画の人が減って、そのぶん配置に就く人が増えた。船が、目的地の重さを思い出した数日だった。


その夜、格納庫でλに聞いた。


「到着まで、あと何日だ」


「よんにち、です。……ぱいろっと」


「なんだ」


「わたしの、おうとうそくどを、けいそくし、つづけています。もくせいに、ちかづくほど、はやく、なっています。げんざい、へいきんより、れいてん、はち、びょう。……しゅっこうじの、にばい、いじょうです」


「理由は、まだ不明か」


「ふめい、です」とλは言った。


それから、三秒の沈黙があった。言えない時の、あの長さの沈黙が。


「……はやく、つきたい、です」


理由のわからない速さと、理由の言えない沈黙と、初めて聞く、急ぐ気持ち。三つを抱えた青白い光が、いつもの周期で明滅していた。


窓の外で、木星の光点が、昨日より少しだけ、大きくなっていた。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。


続きが気になりましたら、ブックマークを。次回、迷わず戻れます。

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