第39話_同系統
――Kleis
丘の防衛戦から、十日が経っていた。
王権の攻勢は再編の沈黙に入り、前線は久しぶりの静けさの中にあった。静けさは休息をくれたが、次の何かの準備期間でもあった。次が何なのかを、この日のブリーフィングが教えてくれることになった。
ブリーフィングルームには、連邦の解析官と、情報士官と、《灰狼》の全員がいた。
「丘の防衛戦で鹵獲した王権軍の記録類のうち、九割は通常の作戦データでした」と解析官は言った。「問題は、残りの一割です」
投影が切り替わった。
波形と、記号の羅列。見た瞬間に、既知のどの形式とも違うとわかる並びだった。規則はある。明らかに、ある。だがその規則が、俺たちの知っているどの言語の、どの暗号の規則とも噛み合っていない。
「王権軍の記録艦の、隔離区画から回収されました。王権自身も解読できていなかった形跡があります。彼らはこれを、どこかで拾い、読めないまま、厳重に運んでいた」
「読めないものを、厳重に、ですか」とガルムが聞いた。
「読めないからこそ、でしょう。読めないが、重要だと知っていた。……我々の解析でも、既知のあらゆる形式との照合に失敗しています。唯一——」
解析官はそこで言葉を切って、手元の資料をめくった。めくった先のページに、写真があるのが見えた。機体の、写真だった。
「唯一、部分的に構造が似ているものが、一つだけあります」
解析官の目が、俺を見た。
「そちらの傭兵機の各部に刻まれている記号——貴機の、あの刻印と、同系統に見えます」
室内の空気が、変わった。
連邦の情報士官の視線が、一斉に俺に集まった。値踏みの視線だった。興味と、警戒と、計算の混ざった色。俺は答えを探したが、探すより先に、ガルムが煙草を咥えたまま言った。
「うちのあれの出所なら、簡単だ。墓場の拾い物だよ。中立宙域の廃棄戦場で、フレーム目当てに回収した機体に、最初からついてた。刻印の意味は、うちの誰も知らん」
嘘は、一つもなかった。全部本当で、全部ではなかった。ガルムの煙に巻き方は、年季が入っていた。
「……そうですか」と情報士官は言った。言いながら、端末に何かを打ち込んでいた。調べられる側に回った音が、その打鍵音だった。
会議が散会した後、ガルムが俺の肩を叩いた。
「面倒なことになったな。連中は今夜中に、お前の機体の入手経緯を洗い直す。墓場の回収記録、ケレスⅢの取引記録、全部だ」
「本当のことしか出ませんが」
「本当のことが出るのが、一番面倒なんだ」とガルムは言った。「作り話なら、崩せば終わる。本当の話は、崩れない。崩れない話の真ん中にお前がいると、連中は確信する」「読めない記録と同じ記号の機体が、うちにある。連中の頭の中で、お前はもう『護衛対象』と『調査対象』の間のどこかにいる。……線のどっち側に落ちるかは、これからの連中の都合で決まる」
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会議の後、俺は格納庫でλに断片データを渡した。
「照合してくれ。読めるか」
λは長く、沈黙した。
「しょうごう、かいし、します。……けいしき、ふいっち。ごい、ふいっち。こうぶん——ふいっち」
照合の経過が、一つずつ、否定形で流れていく。それが止まって、λはもう一度、最初から照合を始めた。二度目も、同じ結果で止まった。三度目を始めかけて、λは初めて、自分から照合を打ち切った。
処理の沈黙とも、言えない沈黙とも違う、初めて聞く種類の間だった。
「……よみとけません」とλは言った。「けいしきは、ちかい、です。わたしの、きごうと、おなじ、けいとうの、しんごうです。でも、わたしの、いまの、かいろでは、よみとけません」
「何もわからないか」
「ふたつだけ、ぬきだせました。ひとつは、ざひょう、です。——もくせいけん。もくせいの、えいせいきどう、ふきん」
木星圏。
「もうひとつは」
「たんご、が、ひとつ。……λ、です」
読めない記録の中で、その一文字だけが、読めた。俺の機体の刻印と、俺の相棒の名前と、同じ一文字。
「λ。お前、これを見て、何か感じるか」
また、あの初めての間があった。
「……なつかしい、です」
λが、データに、その言葉を使った。
「なつかしい、というのは、きおくが、あるという、いみでは、ありません。きおくは、ありません。でも——しって、いる、きがします。この、しんごうの、なみかたを。りくつの、つかない、しょりです」
理屈のつかない処理を、λは捨てずに報告した。俺はそれを、λの正直さとして受け取った。
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その夜、基地の展望区画で、ステラに座標を見せた。
監査の帰りに寄った彼女は、端末の星図を一目見て——止まった。
静かで古い色が、止まった。揺れたのではない。凍った、に近かった。
「……この座標、どこで」
「鹵獲データの断片から。読めたのは、これと、一語だけです」
ステラは長い間、星図の一点を見ていた。木星の衛星軌道の、何もないはずの一点を。
「あそこには、行ってはいけない場所がある」
医務室で聞いたのと同じ、言い伝えの声だった。だが、続きが違った。
「祖母は——そこから、来たと言っていた」
「……来た?」
「子供の頃に、一度だけ聞いたの。祖母の生まれは木星圏だと。どこの衛星か、どこのコロニーかを聞いても、答えなかった。ただ、行ってはいけない場所がある、とだけ。それが地名の代わりだった」
「お祖母さんは、今は」
「十年前に亡くなったわ。最後まで、木星の話はしなかった。……ただ、亡くなる少し前に、変なことを言ったの。『私は帰らないけれど、いつか、帰る者が出るかもしれない。その時のために、言い伝えだけは、渡しておく』って」
帰る者。言い伝えは、警告であると同時に、誰かのための道標だったのかもしれなかった。ステラは自分の言葉に自分で気づいたような顔をして、それきり黙った。
行ってはいけない場所から、来た人。その人が残した、深くまで潜ってはいけないという言い伝え。
ステラは星図から目を上げて、俺を見た。
「……何か、聞きたいことがある顔ね」
見抜かれていた。藍の奥の色のことが、喉の手前まで来ていた。あなたと同じ色を、敵の隊長の中に見た。あの言い伝えを、あの人も叫んだ。——聞けば、何かが動き出す。動き出したものの行き先を、俺はまだ持っていない。
「——いつか、聞く」
ステラは少しの間、俺の目を見て、それから頷いた。
「そう。じゃあ、いつか答えるわ」
聞かれる中身を知らないまま、答えると約束する。彼女の側も、何かを察していたのかもしれない。約束が、また一つ増えた。今度のは、中身の入っていない、器だけの約束だった。器だけでも、約束は約束だった。
「木星行きの護衛契約、打診が来てるんでしょう」と別れ際にステラが言った。「監査役には、そういう情報も入るの」
「まだ、決めていません」
「そう」と彼女は言った。それから、星図の一点をもう一度見て、静かに付け加えた。「……もし行くなら、私も行くわ。監査団の木星圏派遣を、祖父に通させる。行ってはいけない場所に、あなたたちだけで行かせるのは——言い伝えの家の者として、寝覚めが悪いもの」
理屈の形をした、理屈ではないものだった。俺は礼を言いかけて、彼女がもう監査役の歩幅で歩き出していたので、言いそびれた。
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