第38話_忘れろ
『収容、完了』と彼女の副官の声が流れ、第一精鋭隊が撤退の陣形に移った。
殿軍の任務は終わりだった。追う理由も、追う気力も、俺の側にはなかった。頭の中は、藍の奥の色で一杯だった。
去り際、彼女の声が、もう一度だけ開放回線に乗った。
『……今のは、忘れろ』
「忘れられると思うか」
『思わない』と彼女は言った。即答だった。『だから、命令の形で言った。……次に会うまでに、私も、自分に説明をつけておく』
自分に説明をつける。計測者の、精一杯の撤収だった。
命令の形をしていた。だが、命令の声ではなかった。計測者が、計測できない自分に出会った時の声だった。彼女らしくない言葉を最後に、藍の編隊は撤退航路の向こうへ消えた。
忘れろ、と言われたものを、俺は忘れられなかった。
掃討の残りは、なかった。回収座標に座り込んだ連中は連邦の収容艇が拾い、俺がまだ触れていなかった残りを、彼女の殿軍が収容していった。負けた側の指揮官が、置いていかれた兵を拾って帰る。それが彼女の言う秩序の、多分、一番ましな顔だった。
空になった戦域で、俺はしばらく、藍の消えた方角を見ていた。
盤を用意した誰かへの怒りは、まだ胸のどこかにある。ただ、それは潜る理由の芯には、なっていなかった。
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帰投の航路で、λに照合を頼んだ。
「λ。さっきの、藍の奥の色。記録できていたか」
「はい。いっしゅん、ですが、そくてい、できました」
「ステラの色と、比べてくれ」
λの処理の間は、短かった。答えは、もう出ていたのだろう。
「——どういつ、けいとう、です。はちょうの、こうせいが、きわめて、ちかい。……ぐうぜんの、いっち、では、ない、すいじゅん、です」
同一系統。偶然ではない水準。
ステラと、アステリア。静かで古い色が、二人。片方は連邦の政治家の孫娘で、片方は王権の第一精鋭隊隊長で、そして片方は俺の知っている言い伝えを、戦場で叫んだ。
「ステラの、いろの、そくていちは、いりょうポッドの、きゅうじょの、ときの、ものです」とλは続けた。「じょうけんの、ちがう、そくてい、どうしの、ひかくですが——それでも、この、いっちりつは、せつめいが、つきません」
条件の違う測定同士でも、説明のつかない一致率。λの慎重な言い方が、かえって数字の異常さを際立たせた。
「λ。これは、何なんだ」
「わかりません。……ただ、かせつの、こうほが、すくなくとも、ひとつ、あります」
「言ってみろ」
「いいえ」とλは言った。「けんしょう、まえの、かせつを、いうのは、やめておきます。まちがって、いたとき、あなたの、みかたを、まげて、しまうので」
検証前の仮説は言わない。λの誠実さは、こういう時、少しもどかしかった。もどかしくて、正しかった。
ステラに、聞くべきなのだろうか。あなたの色と同じ色を、敵の隊長の中に見た、と。あの言い伝えを、あの人も知っていた、と。
ステラの顔を思い浮かべた。医務室で笑った顔と、施設で色を失った顔と、監査の報告書をどう書くかで腹を立てていた顔。あの人は、隠し事のできる人だ。だが、嘘の下手な人でもある。聞けば、あの静かな色がどう揺れるか——揺れた色を見てしまったら、俺はもう、知らなかった頃には戻れない。
聞き方を、まだ持っていなかった。聞けば何かが動き出す予感だけがあって、動き出したものがどこへ転がるのか、俺には見えなかった。見えないものに触る時は、慎重になる。それは墓場で覚えた、俺の古い癖だった。
「λ。今日の色の記録は」
「ほぞん、しました。——データとは、ちがう、ばしょに、では、なく。……けんしょうが、ひつような、データ、として、です」
保存先を、λは正確に使い分けた。大切なものの場所と、答えを待つものの場所。
格納庫で機体を降りると、体は重かったが、膝はつかなかった。今日の潜りは、途中で止めた分、浅く済んだ。名前も、出た。λが確認のために聞いて、俺は一秒未満で答えられた。
「もんだい、なし、です。……きょうは、いい、ひ、です」
死者ゼロで、名前が出て、そして頭の中に、答えの出ない色が一つ増えた日。いい日の定義は、λと俺とで、少しずつ違っていた。違っていて、どちらも間違っていなかった。
基地に戻ると、管制から通達が来ていた。丘の防衛戦の戦利データ——鹵獲した王権軍の記録類の解析が完了し、《灰狼》に共有される分があるという。明日、ブリーフィングが開かれる。
シドが通達を覗き込んで、眉を寄せた。
「鹵獲データの共有か。珍しいな、傭兵にまで回すのは」
「解析班の人手が足りないんでしょう」
「かもな。……それか、正規の解析班の手に負えない何かが、混ざってたかだ」
シドの勘は、当たる方だった。
解析班からの事前メモに、一行だけ、妙な注記があった。
《解読不能領域あり。既知のどの暗号形式とも一致せず》
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