第37話_殿軍
――Didymoi
「掃討ってのは、後味の悪い仕事だ」
出撃前、ガルムは命令書を机に置いて言った。
「相手はもう負けてる。再編ラインまで下がりきれなかった、置いていかれた連中だ。それを排除しろというのが、この命令だ。……気は進まんが、放置すれば後背の脅威になるのも本当だ。行ってこい」
「一つ、確認です」と俺は言った。「やり方は、任せてもらえますか」
ガルムは俺の顔をしばらく見た。
「投降勧告を先に出すつもりか」
「はい」
「時間はかかるぞ。管制はいい顔をしない」
「それでも、です」
「……いいだろう。管制には俺から話を通す」とガルムは言った。「お前のやり方で行け」
出撃の準備中、シドが工具を貸しに来た。
「掃討か。……気をつけろよ。ああいう任務はな、こっちの気が緩む。相手が負けてるって、頭のどこかで思ってるからだ。負けてる相手の弾でも、当たれば死ぬ」
「はい」
「それと」とシドは声を落とした。「置き去りにされた兵ってのは、二種類いる。諦めた奴と、諦めてない奴だ。色で見分けられるんだろう、お前は。……諦めてない奴から先に、気をつけろ」
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掃討空域には、置き去りにされた部隊が点々と残っていた。
孤立した三機。補給の切れた五機。指揮系統を失って岩陰に潜む二機。俺は一群ずつ回って、先に全周波数で勧告を流した。
「王権軍残存部隊へ。貴隊の再編ラインへの復帰は不可能と判断される。武装の停止と、投降を勧告する。連邦は捕虜協定に基づき収容する」
最初の一群は、三機だった。勧告を流して、六十秒待った。長い六十秒だった。三機の色が、迷いの揺れから、諦めの沈みへ、ゆっくり変わっていく。三機が、武装を停止した。
「とうこう、しんごう。さんき、とも、です」
二群目は撃ってきた。補給の切れた射撃は、充填が細く、続かない。推進器だけ潰して、あとは回収に任せた。三群目は勧告の途中で撃ってきて、四群目はこちらが見える前に武装を捨てていた。
半分は、応じた。飢えの色をした機体が回収座標に座り込む。応じない半分は撃ってきて、俺は推進器と砲口だけを潰して回った。
考えて、いなかった。今日は、いい意味でだった。外すやり方が、考える前に手から出ていた。十四日の空白は、もうどこにもなかった。
五群目を片付けた時、λが言った。
「けいこく。ぜんぽう——だいいちせいえいたい。……オメガ・タイラント、です」
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藍色は、撤退航路の入り口に、壁のように展開していた。
第一精鋭隊、八機。その中央に、彼女。背後では王権の輸送艦が、下がりきれなかった部隊の収容作業を続けていた。殿軍だった。負けた側の、最後の仕事。
殿軍の八機は、綺麗だった。
負け戦の最後尾という、一番崩れやすい持ち場で、崩れの気配が一つもなかった。輸送艦を背にした扇形の陣。全機の色が、既に藍に揃っている。彼女の隊は、勝っている時と同じ顔で、負け戦の尻を守っていた。
開放回線が開いた。
『また会ったな、燈』
「アステリア」
『状況は見ての通りだ。収容が終わるまで、ここは通さない』と彼女は言った。『お前の任務は掃討、私の任務は殿軍。……交渉の余地のない配置だ。始めようか』
「一つだけ先に言う。収容中の輸送艦は撃たない」
短い間があった。
『……知っている』と彼女は言った。『今日のお前の勧告を、全部聞いていた。死者ゼロに、戻ったか』
帳簿が、更新された音がした。彼女は撃ち合う前に、まず今日の俺を測り終えていた。
「戻った」
『そうか』と彼女は言った。それから、少しだけ声の質が変わった。『……G-2の直後のお前と、今日のお前と、どちらが本当のお前なのか、私は判断を保留していた。今日ので、埋まった。戻れる者だった、と記録する』
「戻れたのは、区別をしてくれた人がいたからだ」
『いい観測者だと言ったはずだ』と彼女は言った。『さて——仕事だ』
それが開戦の合図だった。
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八機の整列は、前より速かった。
藍への同期が始まって完成するまで、F-9では十秒あった。今日は三秒だった。彼女の支配は、練度を上げていた。十人の中に十人がいない編隊が、完成された一つの生き物として、俺に向かってきた。
そして彼女自身も、前より深かった。
オメガ・タイラントの藍が、戦域を押してくる。俺は翼で泳ぎ、彼女は圧で押し、拮抗の底で、三つ目の声が来た。
最初の三分は、無言の計測だった。
彼女は俺の翼を測り、俺は彼女の同期の速さを測った。八機の斉射の網を三度抜け、三度目に彼女の主砲が俺の抜け道の先で待っていた。翼の急制動で、紙一枚の距離を空けた。読み合いは、前回より半歩、深いところで拮抗していた。
『三つ目の質問だ』
主砲の斉射を、翼で躱した。
『——お前は、すり減っている』
言葉が、弾より正確に当たった。
『F-9の時より、明確にだ。機動の切れは上がっているのに、判断の立ち上がりに、なかった遅れがある。〇コンマ二、三。お前の身体は、力の伸びに追いついていない。……測れば、わかる』
測れば、わかる。彼女の目は、俺の摩り減りまで測っていた。三秒になった名前のことを、この人は数字の側から知っている。
『それでも潜る理由は、何だ。すり減ると知っていて、潜り続ける理由は』
答えを、探した。
守るため。それは嘘ではないが、全部でもなかった。守るだけなら、浅い深度でも大抵は足りる。あの日届かなかったから。それも本当だが、それだけでもなかった。届いた今も、俺は潜るのをやめる気がない。
金のためでも、復讐でもなかった。
じゃあ、何だ。
俺は自分の中を探して、まだ形になっていない何かの縁に、指先だけが触れた。縁の感触だけがあって、掴んで引き上げるには、まだ深すぎる場所にあった。
「……まだ、言葉になっていない」
『なに?』
「理由は、ある。あるのは、わかる。でも、まだ言葉になっていない。——嘘の言葉で答えるよりは、これが正直だ」
彼女の弾が、一拍、止まった。
『答えになっていない』と彼女は言った。『……が、正直さだけは、記録する。言葉になったら、持って来い。それまで、答えは待つ。——この質問を、取り下げる気はない』
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彼女の圧が、一段深くなった。
質問の時間は終わり、計測の本番が来た。藍が戦域を満たして、俺の読みの半歩後ろまで迫る。凌ぐには、深さが要った。
俺は、潜った。
深度を下げた、その瞬間だった。
『深くまで潜るな——!』
開放回線に、彼女の声が走った。
叫びだった。命令ではなかった。計算でもなかった。考えるより先に喉から出た、剥き出しの声だった。
俺の手が、止まった。彼女の弾も、止まっていた。
潜りかけた深度の途中で、俺は宙吊りになっていた。λが「そとがわを、もって、います」と小さく言い、俺は浅い方へ戻った。戻りながら、頭の中で、二つの声が重なって鳴っていた。
深くまで潜っては、だめよ——医務室の、静かな声。
深くまで潜るな——たった今の、剥き出しの叫び。
言葉が、同じだった。言い方も、温度も、立場も違うのに、言葉の骨格が、同じだった。
深くまで潜ってはだめ——同じ言葉を、俺は知っていた。医務室のベッドの上で、静かで古い色が言った。祖母から聞いた、家の古い言い伝え。視える者は、深くまで潜ってはいけない。
なぜ、この人が、その言葉を。
戦域が、静止していた。
八機の編隊も、動きを止めていた。隊長の藍が揺れれば、同期した八機も揺れる。整列の代償だった。誰も撃たず、誰も動かず、開いた回線に彼女の呼吸だけが、微かに乗っていた。
回線の向こうで、アステリアが沈黙していた。彼女の藍が——初めて、大きく揺れていた。自分の口から出た言葉に、自分で驚いている揺れ方だった。なぜ言ったのか、なぜ知っているのか、彼女自身が分かっていない。色が、そう言っていた。
そして、俺は見た。
揺れた藍の、奥。凪いだ表層が乱れて、普段は見えない芯が、一瞬だけ露出した。
静かで、古い色だった。
金でも、藍でもない。灯りを絞ったランプのような、強いのに主張しない、静かで古い色。
ステラと、同じ色だった。
見間違いを、疑った。俺の目は疲れている。摩り減っていると、彼女自身に測定されたばかりだ。だが、俺の目は、色について、間違えたことがない。センサーが誤差を出しても、この目だけは、生まれてから一度も。
同じ色が、二人いる。
「……あんた——」
言いかけた言葉は、収容完了の信号に断ち切られた。
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