第36話_同じ色
攻勢が引いたのは、日暮れ前だった。
王権軍は再編ラインまで下がり、防衛線は全区画で保たれた。撃墜と無力化を合わせて敵の三割を削り、こちらの喪失は機体七、戦死者は連邦側に四名。この規模の攻防としては、防衛側の完勝に近い数字だと、管制は言った。
攻勢の最後の一押しは、日暮れ間際に来た。再編を装った王権の残存主力が、中央に最後の飽和射撃を叩き込んできた。今日二度目の、誘導弾の雨。
「λ」
「もって、います。……ふかく、なりすぎたら、こえを、だします」
二度目の潜水は、一度目より深く感じた。同じ深さでも、体の側の残量が違うからだ。糸の束を濁らせ、雨の半分を岩へ逸らし、浮上した。浮上の階段が、朝より長かった。
それで、終わった。王権軍は再編ラインまで下がり、空が静かになった。
機体を降りた。膝は、ついた。今回は、床に両手もついた。深度三の二連続は、体の底の、そのまた底まで抜いていった。
『燈機、帰投を確認。記録のため、パイロット名と登録番号を』
管制の定型確認が来た。
名前が、出てこなかった。
一秒。二秒。喉の手前の、あるはずの場所に、ない。三秒——
「とう。パイロットめい、とう、です」とλが答えた。約束の通りに、管制より先に。
『確認しました。お疲れ様でした』
通信が切れてから、俺は床に手をついたまま、言った。
「λ。……今、三秒だった」
「はい」とλは言った。「あなたが、じぶんから、いちばんさいしょに、わたしに、いいました。——やくそくの、りこう、です。きろく、しました」
前回は二秒。今回は三秒。λの報告様式の中で、上る数字の隣の「減る何か」が、初めて増加に転じた数字を持った。
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丘に上がったのは、夕方だった。
観測データの整理があるはずのカレンは、仕事を後回しにしなかった。全部片付けてから、丘に上がってきた。順番を守ることが、あいつの心の守り方だった。
カレンが観測位置から降りてきて、俺と並んで、稜線を見た。夕方の光が、薄緑と橙の境目を縁取っていく。あの日と同じ時間帯、あの日と同じ角度。
色は——同じでは、なかった。
実家の区画は、同じ色だった。白い構造物の並びは崩れず、稜線の形も保たれ、あの日λに口述で記録させた配合のまま、そこにあった。
その隣が、違った。
北側の一角。白い並びの連続が欠けて、砲撃の抉った地形が、夕方の光の中に別の影を作っていた。色の配合が、変わっていた。
「……家は、あるのね」とカレンが言った。
「ある。区画ごと、同じ色だ」
「隣は」
俺は少し黙った。黙ってから、正直に言った。
「同じじゃ、なかった」
カレンは稜線を見たまま、動かなかった。それから、静かに言った。
「あの欠けたあたりね、通学路だったの。居住ブロックの外周に、白い塀がずっと続いてて。長くて、単調で、子供の足だと退屈で。……母が死んだ年、私、あの塀に沿って、毎日遠回りして帰ってた。家に着くのを、遅らせたくて」
カレンの声は、平坦だった。平坦なまま、続けた。
「もう、ないのね。あの塀」
「……ああ」
「そう」
カレンはしばらく、欠けた一角を見ていた。それから、確かめるように言った。
「……ここは、終わったのね」
誰に聞いたのでもなかった。自分に、認めさせる声だった。泣くと、終わりにされる——だから彼女は、終わっていないものの前では泣かない。裏を返せば、泣くことは、彼女にとって「終わった」と認める、一番重い認め方だった。
カレンは頷いた。頷いて、稜線を見たまま——泣いた。
音もなく、前触れもなく、涙だけが流れていた。俺は驚かなかった。驚かないでね、と言われていたからではなかった。理屈が、わかったからだった。
家は、終わっていない。だから泣かない。
あの塀は、終わった。終わったものの前でなら——泣ける。
「……変でしょう」とカレンは涙を拭かずに言った。「家が守られて、塀で泣くなんて」
「変じゃない」
「即答ね、また」
「終わったものの前でだけ泣くんだろう。なら、順番が合ってる」
「ね、燈」
「なんだ」
「守ってくれて、ありがとう。……これは家の分。塀の分は、恨まないから。あなたが中央に行かなかったら、もっとたくさんの塀と、塀どころじゃないものが、終わってた。私、あそこからずっと見てたのよ。全部」
全部見えていた。別動隊の針路も、俺の選択も、届いた砲撃も。見えていて、通信に一言も上げなかった観測員の八時間を、俺は思った。
カレンは少しだけ笑って、それからもう少しだけ泣いて、それから、いつもの顔に戻った。戻る前に、稜線に向かって小さく頭を下げたのを、俺は見なかったことにした。
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帰投すると、λが待っていた。
「ほうこくが、あります。……おかの、いろの、きろくを、こうしん、しますか」
記録の更新。
あの日の色は、λの中の、データとは違う場所にある。更新すれば、あの日の配合は、今日の配合に書き換わる。
「両方、残せるか」
「……はい。ふるい、きろくを、けさずに、あたらしい、きろくを、よこに、おきます」
「そうしてくれ」
「りょうかい、です。——まえの、いろと、いまの、いろ。りょうほう、たいせつに、します」
消さずに、横に置く。それが、今日の戦争の、正しい記録の形だと思った。守れたものと、守れなかったもの。両方、本当のことだから。
「ぱいろっと。ほんじつの、すうじ、です」とλが定例の報告を始めた。「かんしょう、とうたつりつ、いってんはち、パーセント。なまえまでの、じかん、さんびょう。……りょうほう、あがって、います」
「両方、上がってるな」
「はい。……この、ふたつの、すうじが、おなじ、ほうこうに、うごくのが、わたしは、いやです」
同じ方向に動く二つの数字。力と、代償。λの嫌だ、は、いつも正確な場所に落ちた。
夜半、管制から次の命令が届いた。残敵掃討。再編ラインへ下がりきれなかった王権部隊の排除。掃討空域の索敵図が添付されていて、その隅に、識別済みの反応が一つ、光っていた。
第一精鋭隊。
藍色が、まだこの空域にいた。
三つ目の質問は、次に取っておく——F-9の帰り際の声を思い出した。答えを持って来い、と彼女は言った。今日の丘の色と、届かなかった塀と、三秒になった名前を抱えたまま、俺はまだ、答えの形を持っていなかった。
持っていないまま、次が来る。
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