第30話_二秒
ステラが来たのは、報告書を出す前だった。
格納庫の入り口に、あの静かで古い色が立っていた。監査役の顔をしていなかった。
「潜ったのね」
「……報告書は、まだ出していませんが」
「四十八発のミサイルが、一発も迎撃されずに全部岩に落ちたのよ。管制の記録がおかしなことになってる。監査役じゃなくても分かるわ」ステラは歩み寄ってきた。「誘導が、全部同時に死んだ。そんなことができるのは、この基地に一人しかいない」
「防衛線の後ろに、中継所があった。二十一発、届く計算だった」
「知ってる。あなたのやったことが多くの人を救ったのも、他に方法がなかったのも、分かってる。分かった上で、言うわ」
彼女は俺の正面に立った。静かで古い色の芯が、初めて、揺れていた。怒りに、よく似た形で。
「深くまで潜ってはだめ、と言ったはずよ」
「……覚えています」
「覚えていて、潜ったのね」
「はい」
ステラは何かを言いかけて、一度、飲み込んだ。飲み込んだものが何だったのか、色の揺れ方だけでは読み切れなかった。
「……分かる? 私は今夜の報告書を、どう書けばいいと思う」と彼女は言った。「この数字をそのまま書けば、軍は喜ぶわ。一人で四十八発を無力化できる共鳴者がいる。もっと潜らせろ、もっと使えって。……書かなければ、私の監査が嘘になる。監査の嘘は、他の共鳴者を守る根拠ごと崩すの」
彼女の仕事は、俺を守ることと、両立しない場所に立っていた。
「事実を、書いてください」
「……そう言うと思った」とステラは言った。「だから、余計に腹が立つのよ」
「……次に潜る前に、私に一つ、時間をちょうだい。見せたいものが、あるの」
「見せたいもの?」
「監査の仕事で、明後日、ある施設に行く。あなたの雇用主に随行の要請を出しておくわ。護衛の名目で」と彼女は言った。「言葉で言っても、あなたは潜るでしょう。だから、見せる」
去り際に、ステラは一度だけ振り返った。
「今夜、ちゃんと眠りなさい。眠れなくても、横になるの。……これは監査じゃなくて、命の恩人への命令よ」
「命令ですか」
「そう。断る権利はないわ」
それだけ言って、ステラは帰っていった。監査役の歩幅に戻るまでに、三歩かかっていた。
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夜、格納庫には俺とλだけだった。
「ぱいろっと。ほうこくと、しつもんが、あります」
「報告から聞こう」
「こんごの、せんとうごとに、かんしょう、とうたつりつと、あなたの、せいたいじょうたいを、あわせて、ほうこくします。すうじで、みえるように、しておきます。……のぼる、すうじと、へる、なにかを、りょうほう、です」
上る数字と、減る何か。到達率と、俺の——何か。λはその何かに、まだ名前をつけなかった。
「わかった。質問は」
「きょうの、かんせいとの、つうしんの、こと、です」λの声が、少しだけ、ゆっくりになった。「あなたは、じぶんの、なまえが——にびょうかん、でて、きません、でした。じかくは、ありますか」
「……ある」
「はじめて、ですか」
「初めてだ」
λは黙った。処理落ちの沈黙ではない、長い沈黙だった。
俺は、いつもの質問をした。今夜は、俺の方から聞きたかった。
「λ。お前は、怖いとか思うか」
「こわい、です」
即答だった。初めての、即答だった。
「……この、こたえは、けいそくでは、ありません」
計測ではない、怖い。演算の結果ではなく、λの中のどこかから、直接出てきた言葉。
「俺もだ」と俺は言った。「名前が出てこなかった二秒、俺は、怖かった」
λの光の明滅が、いつもの周期より、わずかに速かった。怖い、を取得したλの、怖がっている周期だった。
「では、やくそくを、ひとつ、してください」
「約束?」
「つぎに、あなたの、なにかが、でてこなく、なったとき——わたしに、いちばん、さいしょに、いって、ください。かんせいより、さきに、わたしが、こたえます。なんど、でも」
管制より先に、λが答える。今日、実際にそうしてくれたように。
「約束する」
「なんど、でも、です。にどめも、さんどめも。かいすうの、じょうげんは、ありません」
「……上限なしか」
「はい。やくそくに、じょうげんを、つけると、それは、けいやくに、なります。やくそくの、ままで、いたいです」
「きろく、しました」とλは言った。「……やくそくは、データとは、ちがう、ばしょに、おきます」
「そこ、だいぶ増えてきたな」
「はい。カレーの、しゃしん。ごきめの、きろく。おかの、いろ。きょうの、やくそく」λは一つずつ数えた。「——ぜんぶ、けしません。ぜったいに、です」
照明を落とす前に、λが最後の報告をした。
「ほんじつの、すうじ、です。かんしょう、とうたつりつ、いってんに、パーセント。ぜんかい、ひ、よんじゅうばい。……なまえが、でるまでの、じかん、にびょう。ぜんかい、ひ——そくてい、かいし」
上る数字と、減る何かが、初めて同じ報告の中に並んだ。今後、毎回並ぶ。それを見続けるのが、俺とλの約束の形だった。
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