第28話_立案者のいない作戦
二つ目の質問と同時に、圧が来た。
彼女の藍が、広がった。編隊への同期が一段深くなり、十機と一機が完全な一体として、戦域全体を押してくる。俺の知覚の中で、空間そのものが藍に染まっていくような感覚だった。
俺の中で、何かが、いつもより深く沈んだ。
沈まなければ、押し潰される。彼女の藍の圧の下で先を読み続けるには、いつもの深さでは足りなかった。
計器の音が遠くなる。λの読み上げる数字だけが、水の中で聞く声のように届く。彼女の主砲は四門で、四門の斉射の間隔は〇・八秒。〇・八秒ごとに死の壁が来て、〇・八秒ごとに壁の継ぎ目を抜けた。
一度だけ、死にかけた。
回避先にすでに弾が置いてあった。俺の先読みを、彼女が読んだ。読まれる側に回ったのは、初めてだった。「みぎ、した——」λの警告で紙一重、装甲の表面を斉射が焦がした。
読む者同士の戦いは、読みの深い方が勝つ。彼女の深さは、俺の知らない種類の訓練でできていた。
抜けながら、戦域を選んだ。防衛線の後方には避難の済んでいない区画がまだ残っている。流れ弾がそちらへ向かわない角度に、俺は撃ち合いの位置を少しずつずらし続けた。彼女は気づいているはずだった。気づいていて、乗ってきた。彼女の弾も、一発として後方へは逸れなかった。
秩序の女は、少なくとも、無差別ではなかった。
「守るために使う」
『抽象的だな。私の答えを先に言おう』と彼女は言った。撃ち合いは続いていた。『力の格差が確定すれば、戦争は終わる。弱者が「勝てるかもしれない」と思うから、戦争は続くんだ。誰も逆らえない力が頂点に立ち、全てを支配する。それが唯一の、恒久的な平和だ。私はそのために強くなった。私の隊が私に揃うのも、同じ理屈だ。迷いのない秩序の下でだけ、人は死なずに済む』
彼女の編隊が、その言葉通りに動いていた。迷いなく、乱れなく、死なずに。論と実践が一致している。厄介な種類の思想だった。
「……あんたの言う平和は、頂点から見た平和だ」
『下から見ても同じだ。死なない、という一点においては』
『実例を挙げよう。F-9でお前が落とした私の部下は、全員生きている。お前の慈悲のおかげだと思うか? 半分は違う。私が投降と回収の規律を徹底しているからだ。規律のない部隊なら、落とされた後に僚機の誘爆で死んでいた者もいる。——秩序が命を救った数を、私は覚えている。全部だ。お前の「守るために使う」は、その数字に勝てるか』
勝てるか、と問われて、勝ちたいわけではないことに気づいた。彼女の数字は本物だ。彼女の規律は、実際に人を生かしている。それを認めた上で、それでも、と思う何かの正体を、俺はまだ自分の言葉にできていない。だから答えの代わりに、昨日の空の話をした。
「昨日、俺は避難民の列の上を飛んだ」と俺は言った。「守る時は、見えない高さを飛ぶ。機影が列に落ちれば、人は走って、転んで、死ぬからだ。……守るってのは、守られてる側に気づかれないことだ。あんたの支配は、逆だろう。全員に見せつけて、全員を整列させる。それは守ってるんじゃない。並べてるんだ」
今度の沈黙は、少しだけ長かった。
『……詩だな』と彼女は言った。切り捨てる言い方だった。だが、切り捨てるまでに要した時間を、俺は測っていた。
『だが、記録しておく』
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決定打は、どちらにも入らなかった。
俺は彼女の装甲を三度掠め、彼女の主砲は俺の回避を二度読みかけた。編隊は崩れず、防衛線も破られず、戦域は均衡のまま推移した。押し合いの底で、俺はずっと、いつもより深い場所にいた。
「れんぽうの、ぞうえんぶたい、とうたつまで、さんぷん」とλが告げた。
彼女の側も、同じ計算を終えていた。藍の編隊が、一斉に、綺麗に、戦闘を畳み始めた。撤退ですら整列していた。
『今日の任務は威力偵察だ。計測は、済んだ』と彼女は言った。『燈。最後に一つ、貸しにしておく』
「貸し?」
『G-2の作戦を、私の権限で調べた』
弾の止んだ回線に、彼女の声だけが残った。
『作戦は実在した。命令は正規の系統を流れ、部隊は動き、お前と交戦し、十八人が死んだ。書式も認証も、全て本物だった。——だが、立案者の記録だけが、どこにもない。誰が立てたのか、辿れない作戦なんだ、あれは』
「……どういう意味だ」
『わからない。わからないから、調べている』と彼女は言った。『私の軍は、記録のない命令では動かないはずだった。その"はず"が、崩れている。……お前が殺した十八人は、誰かの盤の上の駒だったのかもしれない。それを知る権利くらいは、お前にもあるだろう』
十八の、顔のない色を思い出した。恐怖の白に染まって、撤退していった推進器の色。あれが誰かの駒だったのなら、盤を用意した誰かが、どこかにいる。
「……なぜ、それを俺に」
『礼は要らない。貸しだと言った』と彼女は言った。『いずれ、情報で返せ。お前の側からしか見えないものが、この件にはある気がする』
藍の機体が、反転した。
『三つ目の質問は、次に取っておく。——答えを持って来い、燈』
編隊が、来た時と同じ正確さで、戦域から消えた。
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帰投の航路で、丘の上を通った。
夕方の光が稜線を縁取って、薄緑と橙の境目に、白い構造物が並んでいた。昨日と、同じ色だった。今日のところは、守れたということだった。
「λ」
「はい」
「アステリアの藍は、読めたか」
「よめません、でした。なみが、なさすぎます。……ただ、いちどだけ」
「一度だけ?」
「あなたが、じゅうはちにんは、こまだったのかも、しれない、と、きいたとき。あいの、おくで、きんいろが、ひとつ、ゆれました」
F-9の時と、同じだった。藍の奥の金。彼女の凪の下に、何かが一つだけ、揺れる場所がある。
「それと、ほうこくが、あります」とλは続けた。「こんかいの、せんとうで、あなたは、いつもより、ふかく、もぐって、いました。じかくは、ありますか」
「……ある。彼女の圧の下では、いつもの深さじゃ足りなかった」
「せいたいふかも、いつもより、おおきい、です。つぎも、あのふかさが、ひつように、なるなら——」
帰投してすぐ、格納庫でカレンとすれ違った。
「丘は」とだけ、カレンは聞いた。
「同じ色だった」
「そう」とカレンは言った。それだけで通じる報告の形が、俺たちの間に、もうできていた。
夜、λが言いかけた続きを、俺の方から促した。
「準備が必要、の続きだ」
「はい。——じゅんびが、ひつよう、です。あなたと、わたしの、りょうほうに」
「お前の側の準備というのは」
「えんざんの、わりあてを、みなおします。あなたが、ふかく、もぐるとき——わたしが、ささえられる、ように」
支える。λはその言葉を、当たり前の顔で使った。
λはそこで、言葉を選ぶ間を置いた。
準備。何の準備かは、λも俺も、まだ正確には言えなかった。ただ、彼女の藍の圧と、立案者のいない作戦と、いつもより深い場所の感覚が、同じ方向を指しているのだけは、わかった。
戦争は、深くなっていく。
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