第23話_監査官
――Symptosis
火星が、視界の中で少しずつ大きくなっていった。
軍用航路に入ってから、検問が三度あった。識別信号の照会、積荷の申告、乗員名簿の提出。三度目の検問では、傭兵登録証の実物確認まで求められた。検問士官が俺の登録番号を照会した端末を、二度、見直したのがわかった。番号の横に、何かの注記が付いている。読み上げられることのない注記が。
手続きの一つ一つが、戦争の形をしていた。航路の左右には連邦の哨戒艦が等間隔に浮かんでいて、その等間隔さ自体が、平時ではないことを語っていた。
「よしゅう、かんりょう、です」とλが言った。「かせいけんの、こうせんきろく、ちけい、こうろデータ。それと——じぜんじょうほうの、しゅつどころ、も、かくにん、しました」
「出所まで見たのか」
「はい。こんかいの、にんむじょうほうは、れんぽうぐんの、せいしきけいろ、です。ぎぞうの、こんせきは、ありません」
事前情報を疑うところから始めます——言った通りに、本当に疑ってから来た。
「いい仕事だ」
「きろく、します」
「それと、ほうこくが、ひとつ。じこしゅうふく、しんちょく、ろくじゅうごパーセント、です。……おんせつの、くぎりが、へって、いるのに、きづいて、いましたか」
「気づいてた」
「よかった、です」
ブリッジの隅で、カレンが窓の外を見ていた。火星が近づくほど、あいつの言葉は減っていった。北半球の緑が、肉眼でわかる距離まで来ている。テラフォーミングの緑。カレンが「今は綺麗なんだけど」と言っていた緑だ。あの中のどこかに、実家がある。
カレンは時々、端末を確かめた。確かめて、伏せる。通信は、まだ「一時停止」の表示のままだった。軍の統制下では、民間回線の復旧予定すら開示されない。
誰も、そのことを聞かなかった。聞かないことが、《灰狼》の礼儀だった。
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前線基地は、火星軌道上の連邦の補給ステーションだった。
格納庫に機体を入れた瞬間から、視線を感じた。整備兵が手を止めてこちらを見る。すれ違う士官が、二度見をする。囁き声の断片が聞こえた。例の傭兵。一機で十六機の。G-2の。
「有名人だな」とシドが小声で言った。
「悪目立ちです」
「同じことだ」
任務説明は、作戦室で行われた。防衛線の南翼が薄い。王権の侵攻が始まったら、そこの火消しに入る。それまでは待機。立体地図の上で、俺たちの駐機位置は防衛計画の中に「予備戦力・特記事項あり」として表示されていた。
「特記事項というのは」とガルムが聞いた。
「回答の権限がありません」と説明役の士官は言った。言い慣れた言い方だった。
「うちの機体の運用に関わることか」
「回答の権限が——」
「わかった、もういい」ガルムは手を振った。「権限のある奴が来たら、寄越してくれ」
作戦室を出てから、シドがぼそりと言った。
「特記事項、ね。大方、お前の使いどころを本部が直接決めるって話だろう。予備戦力ってのは名目で、切り札は本部預かりってわけだ」
「勝手に決めますね」
「軍ってのはそういうところだ。俺は出た側だから、よく知ってる」
待機区画への通路で、カレンが基地の案内表示を見上げていた。民間通信ブースの案内だった。
「並んでる」とカレンは言った。「三時間待ちですって。……夜に、また来る」
夜に来て、繋がる保証はない。それでも、並ぶ場所があるだけ、船の中よりはましだった。
正規軍の中の傭兵というのは、座りが悪い。軍服の海の中で、俺たちだけが違う色をしていた。
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「また会ったわね」
振り向くと、通路の先に、あの静かで古い色が立っていた。
ステラだった。連邦の文官の制服を着て、随行の士官を二人連れていた。医務室で見た時より、顔色はずっと良かった。随行の二人が、俺を見て身構えるのがわかった。例の傭兵、の噂は、彼らの耳にも入っているらしい。
「言ったでしょう。私の勘は、当たるの」
「……偶然では」
「偶然よ、もちろん」と彼女は笑った。「でも、当たったことに変わりはないわ」
肩書きを聞いた。共鳴者運用監査、査察団名代。祖父の政治力で作られた役職なのだろうが、本人の口ぶりに、飾りの椅子の匂いはなかった。
「連邦はいま、共鳴者のパイロットを、限界より深く使っているの」とステラは言った。「開戦から、その傾向が強くなった。誰かが記録して報告しないと、止まらない。だから私が見て回っている」
「軍は、嫌がるでしょう」
「嫌がられているわ、盛大に」と彼女はあっさり言った。「先週の基地では、査察の日だけ共鳴者の運用記録が『整備中』で閲覧できなかったの。わかりやすいでしょう。でも、査察は拒否できない。祖父はそういう仕組みの作り方だけは、本当に上手いの」
随行の士官が時間を告げた。ステラは歩き出しかけて、足を止めた。
「燈。夜、少し時間をもらえるかしら。聞きたいことがあるの」
「……依頼の範囲なら」
「依頼じゃないわ。個人的な質問よ」と彼女は言った。「命の恩人に対する、ね」
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夜の展望区画には、俺と彼女しかいなかった。
分厚い窓の向こうに火星があった。ステラは手すりに軽く手を置いて、しばらく火星を見ていた。
「綺麗ね」と彼女は言った。「あの緑の下で、いま戦争をしているなんて、ここからだと嘘みたい」
「ここからだと、大抵のことは嘘みたいに見えます」
「そうね。だから監査は、現場まで降りるの」
それから、彼女は前置きなしに言った。
「あなたの戦闘報告書、全部読んだの。監査の権限で」
「……全部、ですか」
「ええ。C-7から、先週のぶんまで」ステラは火星を見たまま続けた。「G-2のあと、あなた、殺したのね」
責める声でも、憐れむ声でもなかった。事実を、事実の温度のまま置く声だった。
俺は答えを探した。ごまかす言葉なら、いくつでもあった。戦争だから。敵だから。撤退を許せば次に来るから。どれも、口の中で嘘の味がした。
「外す理由が、見えなかった」
言ってから、初めて口に出した言葉だと気づいた。シドにも、ガルムにも、λにさえ。
ステラは、ゆっくりとこちらを向いた。
「見えなかったのね」と彼女は言った。「見なかったんじゃ、なくて」
「……同じでは、ないんですか」
「全然違うわ」
「見なかった、なら、あなたが選んだの。見えなかった、なら——あなたの目が、曇っていたの。あなたの目は、心の状態で見え方が変わるのかもしれないわね。仲間を亡くした直後の目に、外す理由が映らなかった。それは、あなたが残酷になったこととは、違う」
「……結果は同じです。十八機、誰も帰っていない」
「ええ。結果は同じ。それは背負うしかないわ」とステラは言った。「私は、あなたを許しに来たんじゃないの。区別をしに来たの。選んで殺す人間と、見えなくなっていた人間は、治し方が違うから」
治し方、と彼女は言った。壊れていることを、前提にした言葉だった。不思議と、その前提は嫌ではなかった。
「どうやって治すんですか」
「知らないわ」とステラはあっさり言った。「私は監査役で、医者じゃないもの。ただ——監査で回った基地で、深く潜らされ続けた共鳴者を、何人も見たわ。目が曇ったまま戻らなくなった人も。あなたは、まだ曇っているだけ。曇りなら、晴れる日もある。それだけは、理屈として言えるわ」
「……戻らなくなった人は、どうなったんですか」
彼女は少しの間、黙った。今夜初めて、言葉を選ぶ間だった。
「——それは、また今度。今夜の質問は、私の番だったでしょう」
はぐらかし方が、答えの一部だった。俺はそれ以上、聞かなかった。
彼女は手すりから手を離した。
「引き止めてごめんなさい。聞きたいことは、それだけ」
「それだけ、ですか」
「ええ。報告書の数字の向こうに、どんな顔があるのか、確かめたかっただけ」ステラは少し笑った。「思っていたより、ちゃんと、辛そうな顔をしていたわ。安心した」
辛そうな顔で安心される、というのは、初めての経験だった。
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