第22話_断る自由
その夜、ガルムは全員を食堂に集めた。壁には、あの写真が貼ったままだった。
「連邦側で受ける」とガルムは言った。「戦争から降りる選択肢は、うちにはない。カレンの家族は火星にいる。燈は、どのみち両軍から追われる身だ。降りて逃げ切れる面子じゃない」
誰も反対しなかった。
「ただし、専属は断る」
「条件は悪くないんじゃないですか」とシドが、あえて逆の側から言った。「装備、補給、二割増、後方支援。今の宙域でそれを蹴る理由は、感情以外にありますか」
「ある」とガルムは言った。「傭兵が軍の指揮系統に入ると、断る自由を失う。向こうが受けろと言った作戦を、受けるしかなくなる。捨て駒の作戦でもだ。……俺は正規軍にいた。断れない作戦がどういう顔で降りてくるか、何度も見た。書類の上では、全部が合理的な作戦だった」
シドが頷いて、引いた。最初から答えを知っていて、全員のために聞いた質問だった。
「G-2の事前情報は、十機だった」とガルムは続けた。「あの依頼を、俺は断れた。断らなかったのは俺の判断ミスだが、断る権利は俺の手の中にあった。専属になれば、その権利ごと向こうに渡る。断る自由は、お前たちの命綱だ。二割で売っていいものじゃない」
カレンが一瞬、何か言いかけて、やめた。専属になれば火星への補給線に乗れる。実家に近くなる。その揺れは彼女の色に一瞬浮かんで、消えた。カレンは何も言わなかった。
「依頼単位で受ける。断る時は断る。それが返答だ」とガルムは言った。「文句のある奴は」
誰もいなかった。
食堂を出た廊下で、カレンに呼び止められた。
「燈」
「はい」
「さっきの。……見えてたでしょ」
専属の話の時の、一瞬の揺れのことだった。ごまかす言葉を探して、見つかる前に、カレンが続けた。
「謝らないでね。見えることを謝られるのが、一番困るから」とカレンは言った。「揺れたのは本当。家族のそばに行けるなら、自由なんか売ってもいいって、一瞬思った。……でも、ガルムが正しい。それも本当」
「両方あるんですね、人間は」
λに言った言葉が、口から出ていた。カレンは少し笑った。
「そう。両方あるの」
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連邦側としての最初の依頼は、五日後に来た。
前哨基地への補給路啓開。王権の哨戒部隊八機が補給路を塞いでいる。排除しろ、という依頼だった。排除、という言葉が依頼書に載るのは、初めてだった。護衛でも、防衛でもなく。
出撃前、連邦の管制からブリーフィングが入った。座標、敵戦力、交戦規定。管制官は俺を「傭兵一番機」と呼んだ。書式の中の俺は、名前ではなく登録番号だった。
「ぱいろっと。かくにん、したいことが、あります」と、戦域の手前でλが言った。
「なんだ」
「いらいしょの、はいじょ、とは——げきついを、ふくみますか」
λは、聞いた。俺が聞かれたくなかったことを、正確に。
「……状況判断に任せる」
「りょうかい、です」
任せる、と俺は言った。判断を先送りにする言葉だと、言った俺が一番よく知っていた。
戦域に入ると、質感の違いはすぐに分かった。
遠くに連邦艦隊の影があった。敵は王権の正規軍。機体は制式で統一され、識別信号を正しく発信し、編隊は綺麗だった。傭兵の戦場にあった雑多さが、どこにもなかった。
そして、静かだった。
哨戒部隊は交戦に入っても、一言も発しなかった。軍規で通信が統制されている。動揺も恐怖も、暗号化の外に漏れてこない。声のない敵と撃ち合うのは、初めてだった。
俺の中で、何かが一段、深く沈んだ。
一機目。電磁加速砲、九割充填で撃つ型。読んで、外して、返しの一射。継ぎ目を撃った。爆発した。
「にきめ。ひだり、よんじゅうど。きょり、さんぜん」
λの声も静かだった。位置と距離。それだけを、一機ごとに読み上げる。G-2の後半と、同じ声で。
二機目、爆発した。三機目、爆発した。
編隊が崩れ、残りが後退に移った。追った。四機目。五機目。
六機目を追った時、その機体が急に減速した。回避ではなかった。後方で被弾して制御を失いかけた七機目との間に、自機を割り込ませたのだ。僚機を庇う位置だった。金色ではない、ただの正規兵の、青白い機体だった。
守る者は、敵の側にもいる。
見えたまま、俺は撃った。六機目、爆発した。庇われた七機目も、次の一射で爆発した。
何も、感じなかった。感じないことを、確認しただけだった。
撃墜した機体の識別信号は、機体が死んだ後もしばらく鳴り続けた。所属、機番、所属艦。誰かであったことを示す信号が、誰もいなくなった残骸から、規則正しく発信され続ける。八つの信号が、順に途切れていった。
八機目の爆発が収まって、補給路が開いた。
『傭兵一番機。戦果確認、撃墜八。損害なし。任務完了を記録します』
管制の声は、天気を読み上げるのと同じ調子だった。要した時間、九分。書式の上では、完璧な任務だった。
帰投の航路で、ガルムもシドも、戦闘の話をしなかった。二人の機体は交戦中ずっと射程内にいて、一度も撃たなかった。援護の必要がなかったからだ。ただ、見ていた。責めもせず、褒めもせず、隣にいる。いつまでこれが続けられるのか、誰も知らないまま。
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格納庫で機体を降りると、シドが待っていた。
何か言われる、と思った。E-4の夜の約束を、俺は覚えていた。怖くなくなった時が本当の境界線だ。その時は俺が言ってやる——お前、境界線だぞ、と。
八機。何も感じなかった。庇い合う二機を、まとめて撃った。境界線というものがあるなら、今日の俺は、どちら側にいたのか。
シドは俺の顔を、しばらく見ていた。それから、言った。
「……まだだ」
「まだ、ですか」
「まだだ」とシドは繰り返した。「言う時は、間違えずに言う。今日じゃない。それだけ伝えに来た」
シドは格納庫を出ていった。まだだ、という言葉が、宣告の猶予なのか、信頼なのか、俺には分からなかった。両方なのかもしれなかった。
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夜、格納庫で機体を点検していると、λが言った。
「ぱいろっと」
「なんだ」
「きょうは、しつもんを、しないのですか」
手が、止まった。
いつもの質問。λ、お前は怖いとか思うか。モスがいた頃から続けてきたやり取りだ。答えは少しずつ変わってきた。概念がありません、から、怖いを取得しました、まで。
今聞けば、λは何と答えるのか。
そして俺は、聞き返された時に、答えられるのか。怖いか、と。八機を撃墜して何も感じなかった俺が。庇い合う敵をまとめて撃って、感じないことを確認しただけの俺が。
「……今日は、いい」
「りょうかい、です」
λはそれ以上聞かなかった。聞かないことを選んだ沈黙だと、分かる沈黙だった。
灯りの落ちた食堂に寄った。写真の中に、空の椅子と五枚の皿と、まだ戦争を知らない顔の俺たちがいた。あれから、一ヶ月も経っていない。
端末が鳴った。連邦からの、次の派遣通知だった。
派遣先の欄に、火星圏、とあった。
カレンはもう寝ている時間だった。この通知を、あいつは明日の朝に知る。火星。カレンの故郷。戦争の、真ん中。
「λ。整備予定を前倒しする。手伝ってくれ」
「りょうかい、です。……かせいけん、ですね」
「ああ」
「じゅんび、します。かせいけんの、こうせんきろくと、ちけいデータを、よしゅう、しておきます」
「予習か」
「はい。こんどは、じぜんじょうほうを、うたがう、ところから、はじめます」
G-2を、λは覚えていた。データとしてではない、覚え方で。
準備をする。それだけが、今の俺にできる、まともなことだった。
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