第21話_生存者ゼロ
――第二章 火星戦争編
――Polemos
第一精鋭隊の隊長執務室に、その報告書が届いたのは開戦の三日前だった。
G-2区画、採掘拠点防衛戦。傭兵側の実戦力、一機。王権側、三十機。
アステリアは報告書を上から順に読んだ。交戦時間三十分。撃墜、十八機。そして、最後の行。
生存者、ゼロ。
指が、その一行の上で止まった。
E-4の報告書を読んだ時、彼女の指は「死者ゼロ」の行で止まった。殺せなかったのではない、殺さなかった——そう読み、F-9で本人を測って、確認した。殺す必要が見えなかった、とあの傭兵は言った。それが、彼だった。
その彼が、十八機を撃墜した。一人も、残さずに。
彼女は報告書を最初から読み直した。防衛対象の採掘拠点、無傷。作業員の死者、ゼロ。傭兵側の損害——僚機一機、撃墜。搭乗者、死亡。
指が、今度はその行で止まった。
「……彼に、何があった」
彼女はF-9の交戦記録を呼び出して、再生した。四機の部下が、一機ずつ、精密に無力化されていく映像。推進器。砲口。センサー。急所を全部知っていて、急所を全部外す射撃。あの正確さは、慈悲ではなかった。もっと単純な何かだった——殺す必要が、見えなかった。本人がそう言った。
その目に、G-2で何が見えたのか。あるいは、何が見えなくなったのか。
彼女は記録を閉じて、副官を呼び出した。
「G-2の作戦の、立案経路を洗え。誰が発案し、誰が承認し、敵戦力の情報がどこから来たのか。全部だ」
『理由をお聞きしても』
「三十機の伏撃としては、目的が読めない」と彼女は言った。「採掘拠点を潰すには過剰で、あの傭兵を殺すには、中途半端だ。誰かが、勝敗ではない別の何かを測ろうとした作戦に見える。……そういう作戦を組む者が、うちの中にいるなら、知っておく必要がある」
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開戦から二週間で、宙域の空気は別物になった。
まず、依頼の中身が変わった。採掘会社の護衛依頼が消えた。会社そのものが操業を止めたからだ。代わりに軍の下請けが増えた。輸送路の啓開。前哨の防衛。依頼書の書式が軍のものに変わり、単価は倍近くに跳ねた。
単価が上がる理由は単純だった。死ぬ確率が上がったからだ。
宙港の求人板の文言も変わった。「護衛・経験不問」の紙が剥がされ、「戦闘記録三年分の提出必須」に貼り替わった。ドックの隅には、外縁へ向かう避難民の荷物が積み上がり始めていた。戦争は前線より先に、貼り紙と荷物の形でやってくる。
傭兵同士の小競り合いと、正規軍との戦闘は、別の仕事だ。中立宙域の傭兵たちは、急速に二種類に分かれていった。戦争から降りて宙域の外へ逃げる者と、戦争の中へ入っていく者と。
ドックで《鉄蹄》の連中と行き合ったのは、そんな時期だった。
《鉄蹄》は十二機の中堅で、採掘権絡みで何度か競合した仲だ。母艦は出航準備の最中で、積み込みの列に、機体ではなく生活用品のコンテナが並んでいた。
「外縁に出る」と団長の大男が言った。「戦争は請けない。うちは十二機、十二の家族持ちだ。国の戦争で減らす頭数じゃない」
「賢明だと思います」
「お前のとこは残るんだろう」責める調子ではなかった。「噂は聞いてる。……いろいろな」
いろいろ、の中身を、団長は言わなかった。十八機の話も、その中に入っているはずだった。
「ジンのことは、残念だった」と団長は言った。「昔、うちに誘ったことがある。断られた。灰狼がいい、と言われた」
初めて聞く話だった。ジンは自分のことをほとんど話さない人だった。断った話なら、なおさらだ。
「……そうでしたか」
「そういう団だってことだ、お前のとこは」と団長は言った。「生き残れよ」「戦争が終わったら、また競合だ。競合相手が減るのは、張り合いがなくていけない」
母艦が出ていくのを、俺は整備デッキから見ていた。降りる者の船は、灯りが多かった。生活の灯りだった。
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連邦の軍務官が来たのは、その翌日だった。
丁寧な男だった。丁寧に挨拶し、丁寧に弔意を述べ、丁寧に書類を並べた。専属契約の提案書だった。
「装備の供与、優先補給、軍施設での整備。報酬は現行の下請け単価に二割の上乗せ。そのかわり契約期間中、《灰狼》は連邦軍の指揮系統に入っていただきます」
「指揮系統に入る、というのは」とガルムが言った。
「作戦の受諾判断を、こちらが行うということです」
断る自由を渡せ、という意味だった。丁寧な言葉で包んであったが、中身はそれだけだった。
「それと、些細な条項ですが」と軍務官は書類の一枚をめくった。「特別運用担当官を一名、御団に随行させます。作戦調整と、補給の窓口です」
「監視役か」とガルムが言った。
「調整役です」と軍務官は言った。
「悪い話ではないと思いますよ。開戦後、中立宙域の傭兵団の損耗率は跳ね上がっています。装備も情報も後方もない部隊から、順に消えていく。連邦の傘に入るのは、生存戦略として合理的です」
「うちの何を買うつもりだ」とガルムは言った。「小規模な傭兵団だ。機体は五機もない」
軍務官は笑顔のまま、
「一機で十分な部隊だと、伺っています」
俺のことだった。
《灰狼》を買うのではない。俺を買って、《灰狼》という包装ごと受け取る。随行の担当官とやらが誰の隣に席を置くつもりなのかも、聞くまでもなかった。軍務官の魔力波は、丁寧な物腰の下で、商談の橙に淀んでいた。
「お考えの間に、ひとつだけ」と軍務官は立ち上がりながら言った。「今後、貴団への名指しの依頼は、原則として連邦の窓口を経由することになります。契約の有無に関わらず。……窓口が同じなら、傘の下でも外でも、実務は変わりませんよ」
変わらないなら、なぜ契約を急がせるのか。その矛盾ごと、圧力だった。
ガルムは即答しなかった。「三日、待て」とだけ言った。
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