閑話三 三十分(前編)
――Phyge
除隊まで、四十六日だった。
ミロは毎朝、その数字を一つ減らすところから一日を始める。手帳の隅の数字を、鉛筆で書き直す。端末のカレンダーで足りるだろうと僚機には笑われたが、六年整備兵をやった人間の習性で、大事な数字は自分の手で書かないと信用できない。
整備兵から操縦資格を取ったのは、四年前だ。理由は、人に話したことがない。直した機体が、直した通りに完璧に飛んで、帰ってこない日がある。格納庫の割当表から名前が消えて、伝票の宛先が変わって、それで終わる。三度目のそれの後、伝票の側にいるのをやめた。操縦桿の側なら、少なくとも、帰ってこないのは自分だ。
転換訓練の同期は八人いて、前線に残っているのは、ミロを入れて三人になった。操縦の才能は、中の上。教官の評価は「堅実」の一言で、ミロはその一言を気に入っていた。機械は、堅実な奴の言うことしか聞かない。六年、機械の側にいた人間には、それが分かる。
弟が一人、外縁のコロニーにいる。両親は、いない。月末ごとに、給料の四割を送る。弟は整備学校の二年目で、送金の控えは手帳に挟んで全部取ってある。だから手帳は膨らんでいて、胸の上から押さえると、いつも同じ厚みが返ってくる。厚みを確かめるのは、数字を書き直すのと同じで、朝の手順の一つだった。
除隊したら、民間輸送に移る。戦闘機乗りの経歴は、輸送会社では歓迎される。荒れた航路に強いからだ。大手の定期便。外縁と内惑星の往復。弟が学校を出るまで、あと二年。人生の計算は、だいたい合っていた。
先月の通信で、弟は初めて、給料が出たと言った。実習先の整備場の、雑用同然の手当だという。次の送金は要らない、と弟は言い、要る、とミロは返した。学費と手当は別の勘定だ。兄弟で勘定の話になると、いつも長引く。長引く通信を、ミロは切りたくなかった。
ブリーフィングで、作戦士官は簡潔だった。
目標、G-2区画の採掘拠点。参加機数、三十。
「三十、ですか」と誰かが聞き返した。「拠点一つに」
「護衛に傭兵が入っている」と士官は言った。「単独交戦禁止指定の傭兵だ。だから三十で行く」
単独交戦禁止。その指定を、ミロは通達で読んだことがあった。読んだ時は、書類の上の話だった。書類の上の話が任務の理由になる日が来るとは、思っていなかった。
質問が、もう一つ出た。救難艇の待機宙域はどこか。
「本作戦に、救難要請の周波数は設定されていない」
士官はそれだけ言って、次の項目へ移った。ブリーフィングルームが、一瞬だけ静かになった。周波数のない作戦を、ミロは六年の整備兵時代を含めて、一度も聞いたことがなかった。誰が組んだのか、と考えかけて、やめた。考える権限のないことを考えるのは、機械で言えば規定外動作だ。
三十機だ、と自分に言った。三十なら、死なない。数の分だけ、死は薄まる。整備兵の算数では、そうなっていた。
手帳の厚みを、服の上から押さえた。
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配置は、夜明け前に完了した。
ミロの持ち場は包囲環の外周、岩塊帯の南の縁だった。役割は蓋だ。逃げ道を塞いで、圧力をかける。撃ち合いの主役は中衛の集団と、エース級の三機だった。
待機の間、拠点の灯りが遠くに見えていた。採掘設備の作業灯。あの下に、作業員がいる。交戦が始まれば護衛が避難させるだろう、と思い、避難させる時間はこちらの手順にも織り込まれているのだろう、と思った。確かめたわけではない。確かめる権限もない。ただ、灯りの数を数えるともなく数えながら、避難が済んでいてくれ、とだけ思った。撃ち合いは仕事だ。灯りの下の人間は、仕事の外だ。その線引きが守られている限り、この仕事は続けられる。
エース級の三機は、開幕から灰色の機体に絡んだ。撃ち合っているように見えて、撃ち合っていない。一手ごとに、灰色を拠点から引き剥がしていく。誘いだ、と外周から見ていれば分かる。守るものを見せれば、灰色は割り込む。撃てる的を見せれば、潰しに行く。一機ずつ、丁寧に、殺さずに。殺さないから、時間がかかる。時間の分だけ、灰色は拠点から遠くなる。
見事なものだ、と思った。思ってから、少しだけ嫌な気分になった。あの丁寧さを利用する側に、自分は立っている。
灰色が戦域の端まで押し出された時、無線に短い符丁が流れた。
発射線、構成。
拠点の側で、三つの光が三角形を組んでいた。番号しか知らない三機だった。頂点の中心に、避難誘導を終えて戻る傭兵の機体が、一つ。
閃光。
爆発が重なって、収まった。
無線に、誰かの短い歓声が乗った。ミロは乗らなかった。撃ち合いの最中に声を出す癖は、整備兵上がりにはない。機械は、騒ぐと壊れる。歓声は景気づけで、景気は、戦場でいちばん当てにならない計器だった。
戦果、一。包囲環は、まだ崩れていなかった。
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灰色の機体が、止まった。
戦域のまんなかで、回避も遮蔽もなく、ただ止まった。エース級の三機が距離を取る。撃つなら今だ、と外周の誰もが思ったはずだ。撃った者は、いなかった。理由は、あとから考えても分からない。止まり方が、撃ってはいけない止まり方だった。
静止は、数えられる程度の時間だった。ミロは数えなかった。数えられなかった。計器は何も変化を示していないのに、コックピットの温度が下がった気がした。
動いた。
最初の一機は、岩塊の陰で充填中の電磁加速砲だった。装甲の継ぎ目に、一射。
爆発の色を、ミロは見間違えなかった。六年整備兵をやった目は、爆発を成分で見る。あれは弾薬の誘爆でも、燃料タンクでもない。機体の、いちばん深い区画の——
目を逸らした。逸らした先で、無線が変質し始めていた。
二機目。回避行動の出口に、弾が先に置かれていた。三機目と四機目は密集していた。弾倉だけを撃たれて、誘爆が二つ、重なった。
命令の声は、まだ号令の形を保とうとしていた。再包囲。相互支援。距離を取れ。どれも正しくて、どれも、間に合っていなかった。
五機目が落ちたあたりで、撤退命令が出た。
命令の声は、まだ落ち着いていた。撤退は敗走ではない。再編ラインまで下がり、態勢を整え直す。手順のある後退だ。手順がある、ということが、この時はまだ、全員の背骨を支えていた。
撤退しつつ、点呼。応答は番号順。ミロは自分の番号を確かめた。二十七番。呼ばれたら、答える。それだけのことが、急に、重い仕事になった。答えられるかどうかは、次に呼ばれる時まで、自分にも分からない。
*── 後編に続く ──*
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