閑話二 五十八秒(後編)
そこからの五十四秒を、ヴォスは全部見ていた。
見ているしか、なかった。姿勢制御を失った機体は緩い回転を続け、視界が回るたびに、戦場が輪切りで流れていく。ヴォスは目を閉じなかった。見えるものは全部見る。それも射手の訓練だった。訓練の使い道としては、最悪の部類だった。
姿勢制御の復旧を三度試みた。補助噴射は生きていたが、主推進を潰された機体は、噴かすたびに回転の軸が暴れるだけだった。三度目で、やめた。機械の答えは変わらない。
ビームの三機が散開した。三方向からの同時照射。回避の余地を消す、正しい教範だった。灰色は上の岩塊の陰へ滑り込んだ。照射が岩に散って、減衰した。あの岩の密度を初見で選べるはずが——選んでいた。減衰率まで知っていたような迷いのなさだった。
岩の陰から、三射。
狙われたのは、後方の三機だった。後衛の護衛を落とした、あの三機。一射目が推進器。二射目が発射機の砲口。三射目——三機目は反応が良かった。射線から逃げた。逃げた先に、弾が先に届いていた。
弾倉が、誘爆した。
爆発が膨らんで、ヴォスは息を止めた。回る視界の中で爆光が収まっていく。弾倉区画だけが千切れて、切り離されたコックピットのブロックが、回転しながら岩の間を流れていった。
隊内網の生体表示を見た。緑。三つとも、緑のままだった。
生きている。弾倉を丸ごと飛ばされて、三人とも。
偶然ではない、と分かったのは、その直後だ。誘爆の衝撃は周囲の機体の弾薬にも届いていて、僚機から警告が次々に上がり始めた。位相汚染。誘導不能。装填済みの弾が、ただの鉄の塊に変わっていく。撃てなくなった包囲陣形は、陣形の形をした的だった。
的になった僚機を、灰色が順番に回っていく。
残っていた電磁加速砲の二機は、二機とも同じ終わり方をした。撃つ寸前まで待って、撃つ寸前に潰された。充填の完了を、こちらの計器より正確に知っている撃ち方だった。爆裂弾の残る二機は、汚染した弾を捨てて離脱に移り、離脱の針路上で推進器を抜かれた。針路は正しかった。正しい針路の先で、待たれていた。
ビームの三機が最後まで残った。散開の距離を保ち、照射の角度を変え続け、教範の粘りを見せた。三機とも、砲口から先に死んだ。砲の死んだ機体は、それ以上追われなかった。追う価値の基準が、脅威の有無だけで出来ている追い方だった。
無線が壊れていった。命令が悲鳴に変わり、悲鳴が番号だけになり、番号も途切れていく。誰かの撃った弾が、乱れた射線の交差の中で僚機を掠めた。包囲は、完成した瞬間がいちばん脆い。教官時代に自分で教えた一文が、外から見ている自分の目の前で、実演されていた。
ヴォスは、充填を数える癖で、時間を数え続けていた。
撃たれた場所を、一機ずつ確かめた。砲口。推進器。センサー。関節。回る視界を流れていくどの僚機も、人の入っている区画は無傷だった。
殺しに来ていない。
その理解が、撃ち合いのどんな瞬間よりも、背中を冷たくした。殺さずに落とすのは、殺すより手数が要る。急所を外すには、急所の位置を全部知っていなければならない。その手数をかける余裕が、十二機を相手にして、あの灰色にはあるということだった。
偽装は、意味を持っていなかった。内蔵の兵装も、熱源の偽装も、量産機の皮も。十一年かけて磨いた部隊の手札は、開く前から全部読まれていた。
読まれた、というのも正確ではないのかもしれない。読むというのは、こちらの挙動の何かから推測することだ。あれは違う。推測の間がない。最初から、ただ、見えている。
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最後の一機が、後退を始めて、止まった。
『待て——投降する——』
震えた声だった。誰の声か、ヴォスはもう確かめなかった。確かめる気力が、残っていなかった。
灰色は、その機体の推進器だけを撃った。機体が姿勢を崩して、止まった。コックピットは、無傷だった。投降の意思を示した機体への、それが回答だった。
それきり、宙域が静かになった。
ヴォスの受信機が、開いた周波数を拾った。ヘリオス連邦の救難チャンネル。回収要請の符丁。発信元は——灰色だった。投降した敵を、依頼主の国の救難に拾わせる手配を、あの傭兵は淡々と進めていた。
計器の交戦時間は、五十八秒で止まっていた。
ヴォスは、隊内網の生体表示を数えた。
緑が、十二。
十二機、全機戦闘不能。そして、全員が生きていた。
殺せる腕だった。それは五十八秒のあいだ、一度も揺らがずに示され続けた。砲口だけを潰す精度は、コックピットを潰す精度と同じものだ。同じ精度で、あの灰色は、人の入っている場所だけを外し続けた。
後衛の護衛を落としたのは、こちらだ。開幕の一撃で、一人。あの灰色の団の男を、この部隊は今日、確かに一人殺している。殺された側の男が、殺した側の十二人を、一人も殺さずに終えた。
その勘定の合わなさを、どう報告書に書けばいいのか、ヴォスには分からなかった。慈悲、と書けば嘘になる。あの手つきに、慈悲の温度はなかった。もっと別の、こちらの物差しに目盛りのない何かだった。
回る視界の隅で、灰色の機体が輸送船団の側へ戻っていく。こちらを、もう一度も見なかった。見る必要のあるものは、最初の四秒で見終わっていたのだろう。
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王権の救難艇に拾われたのは、二日後だった。
二日間、ヴォスは回り続ける機体の中で、配給の水を計って飲み、隊内網の緑を数えて過ごした。緑は増えも減りもしなかった。十二のまま、全部の点が、救難を待っていた。数えるたびに同じ数字が返ってくることが、あの二日間の、唯一の確かな慰めだった。
艇内には、先に回収された僚機の連中がいた。誰も、戦闘の話をしなかった。若いのは毛布にくるまって壁を見ていて、ヴォスと目が合うと、目だけで頷いた。生きている、という報告だった。それで十分だった。
聴取は、帰投の翌日から始まった。情報部の士官が、記録端末を挟んで向かいに座った。質問は単純で、答えは単純にならなかった。
「貴機は交戦開始から四秒で無力化された。その間に観測した敵機の特性を述べよ」
「……撃たれる前から、知られていました」
「具体的に」
「兵装の種別。内蔵の配置。充填の癖。全部です。偽装は機能していませんでした。こちらの手札は、開く前から見えていた。……そして、こちらからは、何も観測できていません」
士官の手が、端末の上で止まった。
「観測できない、というのが、観測結果か」
「そうとしか、報告できません」
士官は長いあいだ黙って、それから何かを打ち込んだ。ヴォスの位置から、画面は見えなかった。
投降した一機のことを、ヴォスは一度だけ聞いた。連邦に回収された、という答えだけが返ってきた。それ以上は、聴取する側の顔になって終わった。
若いのは、砲を潰されただけで済んだ。教範通りの九割は外れ、外した砲は次弾の前に死んだ。教範に逆らって完全充填を待った自分は、待った二秒で間合いを潰された。九割は外れ、十割は間に合わない。教範も、教範への十一年の反逆も、あの灰色の前では同じ四秒に納まった。生きているのだから、いつか若いのと、その話ができる。今度は喧嘩の売り文句ではなく、経験として。
後日、部隊に通達が降りた。C-7宙域の傭兵に関する脅威区分の改定。備考の欄に、一行の指定が載っていた。
《単独交戦禁止。継続観測対象》
妥当だと思った。十一年の経験のどこを探しても、あれに単独で当たっていい理由は、一つも見つからなかった。
ただ、と、通達を閉じてからヴォスは思った。
あの一行は正確で、書かれていないことが一つある。十二機を落として、一人も殺さなかった。通達のどの欄にも、その行はなかった。
*── 閑話三に続く ──*
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