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λ:ASTRA 〜星の共鳴者〜  作者: Pemo


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閑話一 五十八秒(前編)

――Martys(マルテュス)


出撃の四時間前、ヴォスは砲身を拭いていた。


整備班の仕事です、と若い奴は言う。ヴォスは布を置かない。電磁加速砲は、撃つ前の手入れで初速が変わる。数字にすれば〇コンマ数パーセント。その差は、完全充填で撃った時にだけ現れる。九割で撃つ人間には、一生見えない差だ。


「また磨いてるんですか、教官」


隣の整備架から、二番機の若いのが降りてきた。


「教官はやめろ。三年前の話だ」


「体が覚えてるんですよ。……自分、今日のは少し、気が重いんですよね」


「傭兵四機だ。こっちは十二」


「そうなんですけどね」


若いのは首の後ろを掻いて、自分の機体へ戻っていった。九割で撃つ射手だった。教範通りだ。充填を九割で切って撃つ。訓練された射手ほどそうしろと、教本には書いてある。待つ一割は隙にしかならない、というのが教範の理屈で、部隊の全員がその理屈で撃つ。


ヴォスだけが、待つ。


九割で撃つ奴から死ぬ——ヴォスの持論は、教範への喧嘩の売り文句として、部隊では有名だった。教官時代、教本の理屈を教えながら、自分の機体でだけ教本を破り続けた。十一年当て続けてきたのだから文句はないだろう、という顔で。標語の扱いになった持論は、笑い話として愛され、誰の撃ち方も変えなかった。


部隊の正式名称は長い。中身は簡単だ。准エース十二人に、量産機の皮を被せた部隊。兵装は全部内蔵で、外からは見えない。熱源のパターンまで、量産機のそれに偽装してある。撃たれるまで、相手はこちらの手札を知らない。知らないまま、落ちる。


手札を伏せることが、腕を磨くことと同じ重さで訓練される。ヴォスはその戦争を十一年やってきた。教官職から前線へ呼び戻されたのは、この部隊の選抜に名前が載ったからだ。名誉だと思った。今でも思っている。思っていたことと、これから起きることは、別の話だった。


ブリーフィングで、任務は三行だった。輸送船団の排除。宙域はC-7。採掘権の小競り合いが三ヶ月続いている、岩塊だらけの戦場。


護衛は傭兵が四機。中堅の団で、艦隊の随伴はなし、と情報は言っていた。機体データは三機ぶんが既知。残る一機は、型式の照合が取れていない。灰色の機体、とだけあった。


十二対四。しかも、こちらの手札は見えない。


「楽な仕事だ」と誰かが言って、誰も否定しなかった。ヴォスも、しなかった。


---


伏撃の配置は、会敵の二時間前に完了していた。


岩塊の陰に十二機。電磁加速砲が四、ビームが三、爆裂弾が五。爆裂弾のうち三機は大きく回り込んで、航路の後方に付く。挟んで、押し潰す。ありふれた、確実な形だった。


待つ二時間は、呼吸の仕事だ。機関出力を最低に落とし、放熱を岩の陰へ逃がし、こちらの存在を宇宙の温度に沈める。十一年やっても、この二時間だけは長い。ヴォスは癖で、頭の中の数を数えて過ごした。充填を数える射手の癖は、待機にも使える。


輸送船三隻が、菱形の護衛に囲まれて宙域に入ってきた。


前衛に二機、後衛に二機。教範通りの護衛陣形だった。灰色は——いた。左後方。型式不明の一機。距離があっても、あの色は目についた。塗装の灰色ではない。名前のつけようのない、くすんだ灰色だった。


後方の三機が、発射線の構成に入った。収束点は後衛の一機。手順通りだった。


その時、灰色が反転した。


発射線が組み上がるより、早かった。索敵に引っかかる動きはこちらの誰もしていない。露出もない。なのに灰色は、後方の三機の方向へ——まだ一発も撃っていない三機の方向へ、機首を振って、加速を始めていた。


偶然だ、とヴォスは思った。そう思ったことを、後で何度も思い出すことになる。


三機が発射した。軌道は正確に収束して、爆発が連鎖して、後衛の一機が光の中に消えた。灰色は間に合っていなかった。届く距離ではなかった。届く距離でないことは、誰の計器にも明らかだった。


戦果、一。


ここまでは、いつも通りの戦争だった。


---


護衛の残りは、離脱の陣形に移りかけていた。輸送船を置いて引く判断だ。傭兵としては正しい。追う必要はない。仕事の相手は船だ。


一機だけが、動かなかった。


灰色だった。


離脱にも、反撃にも移らず、ただ宙域の同じ座標に留まっている。妙な止まり方だった。次の行動を選んでいる止まり方ではない。もう選び終えた何かが、静止の形をしているだけの——


来た。


単機で、岩塊の群れへ、まっすぐに。


無謀、という言葉より先に、前衛の二機がシールドを張った。魔力波の干渉膜。艦隊砲撃の支援なしにこれを抜いた機体を、ヴォスは十一年で一度も見たことがない。単機なら、なおさらだ。膜の前で減速して、削られて、終わる。それが教範で、教範の外を、ヴォスは知らなかった。


灰色は、減速しなかった。


膜の、ある一点へ向かって——吸い込まれるように、抜けた。


『シールドを——抜けた? 艦隊砲撃なしで? どうやって位相を——』


前衛の生の声が、暗号化もされずに漏れた。ヴォスは自分の計器を疑った。干渉膜の出力は落ちていない。破られていない。破らずに、通った。そんな通り方は、どの教範のどの頁にもない。


一機目が動いた。若いのだった。腕部の偽装を展開して、教範通り、充填九割で撃った。


外れた。灰色は撃たれる半歩前にはもう沈んでいて、弾は装甲を掠めて岩に消えた。返しの一射が、若いのの砲口だけを、正確に潰した。爆発はなかった。ただ、砲が死んだ。


ヴォスは、待った。


完全充填まで、あと二秒。九割では撃たない。十一年、そうやって当ててきた。あと二秒。二秒あれば、確実に——


二秒で、距離がなくなった。


超近距離。電磁加速砲の死界。ヴォスの砲は、もう役に立たない。風防の向こうに、灰色の頭部があった。そして機体の腹に、敵の砲口が突きつけられているのが、触覚のように分かった。コックピットの真横。ここを撃てば、それで終わる。誰でも、そうする。ヴォスなら、そうする。


撃たれなかった。


衝撃が来たのは、推進器だった。蹴り飛ばされた、と理解するまでに時間がかかった。機体が緩く回りながら、岩塊帯の方へ流されていく。姿勢制御が応答しない。砲は無事だった。無事な砲を抱えたまま、ヴォスは戦場の外へ、ゆっくりと押し出されていった。


『近づかれた——こいつ、俺たちの兵装を知っている!』


叫んだのは、自分だった。暗号化する余裕もなかった。充填を待つ射手だと知らなければ、あの二秒の詰め方はできない。内蔵の砲の死界を知らなければ、あの間合いは選べない。


知られていた。撃つ前から、全部。


計器の隅で、交戦時間の表示が四秒を刻んでいた。


*── 後編に続く ──*


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。

続きが気になりましたら、ブックマークを。次回、迷わず戻れます。

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