第20話_開戦
その夜、格納庫で、俺はいつもの質問をした。
「λ。お前は、怖いとか思うか」
いつもの沈黙が来て、いつもと違う答えが来た。
「こわ、い、では、ない、なに、か、が、あり、ます」
「怖いじゃない、何か」
「はい。しょ、り、でき、ない、なに、か、です。……モスの、でー、た、が、きえた、こと、の、しょ、り、が、でき、ま、せ、ん。えん、ざん、では、なく——なん、ど、おも、い、だして、も、おな、じ、ば、しょ、で、しょ、り、が、と、まり、ます」
俺はλのユニットを見た。青白い光は、いつもの周期で明滅していた。いつもの周期のまま、λは処理できない何かを抱えていた。
「λ。それは、悲しみだ」
「……かな、しみ」
「ああ」
「にん、げん、も、しょ、り、でき、ない、の、です、か」
「できない」と俺は言った。「何度思い出しても、同じ場所で止まる。それが悲しみだ」
λは長く黙った。
「……き、ろく、する、こと、が、ただ、しい、の、か、わかり、ま、せ、ん。モスの、でー、た、を、ほ、ぞん、する、こと、が、モス、への、ただ、しい、あつかい、なの、か」
「記録していい」
「……いい、の、です、か」
「モスが存在したことを、お前が覚えている。それに意味がある」
沈黙があった。今夜のλの沈黙は、どれも処理落ちではなかった。
「わかり、ました。き、ろく、します。——かな、しみ、と、いう、めい、しょう、で」
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三日後、四人でカレーの店に行った。
俺と、シドと、カレンと、ガルム。ガルムが来たのは初めてだった。「一度も行かないうちに、次の戦争が始まりそうだからな」というのが理由だった。
テーブルにつくと、椅子を一つ、空けた。
注文は、五皿。
オーナーは注文を聞いて、四人と、空の椅子を見た。何も聞かなかった。五皿目を運んできて、空の椅子の前に、静かに置いた。湯気の立つ、大盛りだった。
「……大盛りにしてくれたんですね」とカレンが言った。
「一番よく食べていた子の席でしょう」とオーナーは言った。「顔で覚えています。三週間、毎日のように下見に来ていましたから。仲間を連れてくるんだ、本物を食わせるんだって」
カレンが、下を向いた。泣かなかった。下を向いただけだった。
シドが左手でスプーンを取った。「食うぞ。冷める」
食べた。うまかった。前に来た時と同じ味で、前に来た時と違う味だった。
帰り際、俺はオーナーに頼んだ。
「写真を、撮ってもらえますか。全員で」
オーナーは頷いて、モスの端末を受け取った。俺たちは空の椅子を真ん中にして並んだ。五皿目の皿は、空になっていた。シドが「残すのはあいつに失礼だ」と言って、左手で全部食べた。
シャッターの音がした。
その夜、写真をλに送った。
「じゅ、しん、しました」とλは言った。「……ぜん、いん、うつって、い、ます。モス、の、せき、も」
「ああ」
「き、ろく、しました。でー、た、とは、ちが、う、ば、しょ、に、ほ、ぞん、します」
データとは違う場所。λの中のどこにそんな場所があるのか、俺は知らない。ただ、あるのだと思った。俺の中にも、あるからだ。
「ありがとう」
「……それは、どういう、い、み、の、こと、ば、です、か」
「嬉しい時に使う言葉だ」
「かな、しい、の、に、うれ、しい、の、です、か」
「両方あるんだ、人間は」
λは三秒黙って、言った。
「……りょう、ほう、き、ろく、します」
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翌朝、ガルムが全員を食堂に集めた。
端末のニュース画面が、テーブルの中央に投影されていた。速報の赤い帯。火星圏の星図。二つの艦隊の推定位置。
「今朝未明、火星軌道上で、王権とヘリオス連邦の正規軍が交戦した」とガルムは言った。「双方に撃沈艦。停戦は、崩壊した」
誰も何も言わなかった。カレンの顔から、色が一段落ちた。火星には、あいつの実家がある。
「小競り合いじゃない。正規軍同士の、艦隊戦だ」ガルムは煙草に火をつけなかった。咥えたまま、火をつけずに言った。「戦争だ。本物の、な」
俺は速報の赤い帯を見ながら、いつかの護衛任務で連邦の視察船を襲った、名無しの部隊を思い出していた。記章を削った機体。認識票のない男たち。戦争をもう一度始めたい奴は、どっちの側にもいる——ガルムはあの時、そう言った。
誰かの仕込みが、実ったのだ。
食堂の壁に、昨日の写真が貼ってあった。カレンが印刷して、貼ったのだった。空の椅子を真ん中に、全員が映っている。モスの席の皿は、空になっている。
写真の中の俺たちは、まだ戦争を知らない顔をしていた。
窓の外に、星が見えた。あの星々のどこかに火星があって、火星の方角から、戦争がこちらへ歩いてくる。
俺は写真をもう一度見て、それから、格納庫へ向かった。
機体を、仕上げておく必要があった。
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