第17話_三秒
——瞬きのTria Deuterolepta
シドが傷の話をしてくれたのは、G-2区画に向かう前夜だった。
格納庫の隅に二人で座って、シドはビールの缶を開けた。俺はコーヒーだった。しばらく黙って飲んでから、シドは前置きなしに始めた。
「十二年前だ。俺がまだ正規軍にいた頃、輸送路の防衛任務に就いてた。その任務で、僚機が撃墜された。パイロットは脱出できなかった。俺は助けようとして、飛び込んだ」
シドはビールを一口飲んだ。
「間に合わなかった。爆発の破片が、顔を掠めた。それだけだ。大した話じゃない」
「大した話だと思います」
「間に合わなかった話だ。大した話じゃない」
シドの声は静かだった。十二年ぶんの静かさだった。
「ただ、その時に決めた。次は間に合わせると。だから傭兵になった。自分の判断で動ける仕事の方が、間に合わせやすいと思った」
「間に合いましたか」
「何度かはな」とシドは言った。「何度かは、間に合わなかった。傭兵になっても同じだった。それでも、正規軍にいるよりは俺に合ってた」
シドは缶を置いて、俺を見た。
「お前は見えるから、もっと辛いだろうな。間に合わないとわかっていても、見えてしまう」
「……そうです」
「C-7の時、ジンが死ぬのは見えていたか」
「見えていました。三秒前に」
シドは少し黙った。
「三秒か」
「はい」
「それは、辛い」
それだけ言って、シドはビールを飲み干した。立ち上がって、伸びをした。
「明日の任務、気をつけような」
「はい」
「二人を頼む。俺も気をつけるが、お前の目の方が確かだ」
「わかりました」
シドが出ていった後、俺は一人で残った。
「λ」
「はい」
「明日の任務に、嫌な予感がある」
「どの、よう、な、よ、かん、です、か」
「わからない。見えているわけじゃない。ただ、何かがある気がする」
λは少し黙った。
「その、よ、かん、は、いま、まで、はず、れた、こと、が、あり、ます、か」
考えた。外れた記憶は、見つからなかった。
「ない」
「なら、しん、じた、ほう、が、いい、です。けい、かい、を、さい、だい、に、し、ます」
俺は目を閉じた。明日、何かが起きる。その感覚だけが、まだそこにあった。
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出撃の朝、モスはいつも通りだった。
「燈さん、カレーまた行きましょうね。今度はシドさんの奢りで。この前ビール飲んでたし」
「俺が払う」とシドが言った。「お前らには払わせない」
「俺、もう新人じゃないですよ」
「新人の定義は俺が決める」
モスが拗ねた声を出して、カレンが笑った。ガルムが出発の時刻を告げた。
任務はG-2区画、採掘拠点の防衛。期間七十二時間。《灰狼》から五機——俺、ガルム、シド、カレン、モス。事前情報の敵性戦力は、十機だった。
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G-2区画に到着したのは、現地時間の昼過ぎだった。採掘拠点は稼働中で、作業員が二十人ほどいた。
「λ、周辺の熱源は」
「あん、てな、はん、い、ない、を、そう、さ、ちゅう、です。……ぱ、いろっと。ねつ、げん、すう、が、じ、ぜん、じょう、ほう、と、いっ、ち、し、ま、せ、ん」
「数は」
「さん、じゅう、いじょう、です」
三十以上。事前情報の三倍。
俺の目にも、色が届き始めていた。岩塊の陰、複数の集団。電磁加速砲の青白。爆裂弾の赤。ビームの橙。そして、金色が三つ。
そして——
戦域の外縁、岩塊の連なりのさらに向こうに、一瞬、何かがいた。
色が、なかった。
金でも、青白でも、灰色でもない。そこに何かが見えているのに、色が、ない。俺の目は生まれてからずっと、全てを色で見てきた。色のないものを見たのは、初めてだった。
二度見した時には、もう、いなかった。
「λ、外縁に反応は」
「けん、ち、でき、ま、せ、ん。なに、か、みえ、ました、か」
「……いや」
見えたのか、見えなかったのか、自分でも分からなかった。ただ、見られていた、という感触だけが、皮膚の内側に残った。
「ガルム、敵性三十機以上。事前情報は罠です」
『三十だと』とガルムが息を呑んだ。『……どうする』
「俺が前衛に出ます。ガルムさんとシドさんは拠点の直衛を。カレンとモスは作業員の避難誘導を」
『三十を一人でか』
「やります」
三秒の沈黙。
『……全機、燈の指示に従え』
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戦闘の前半は、想定の範囲に見えた。
九機を無力化した。手順はいつも通りだ。砲口、推進器、弾倉。誰も殺さず、誰も殺させない。
エース級の三機は、強かった。金色の機動が三方向から絡んで、一手ごとに読みを要求してくる。四機目に入ろうとした時、金の一機が針路を変えた。撃ち合いを捨てて、まっすぐ、避難中の作業員のシャトルへ。
割り込んだ。射線を体で塞いで、砲口を潰しにいく——潰す寸前で、金は引いた。撃つ気が、最初からない機動だった。
次は逆側だった。別の金が、損傷した僚機を置いて下がる。追えば無力化できる位置。追った。推進器だけを狙って、外した——外させられた、のかもしれない。気づけば俺は、また数百メートル、拠点から遠い場所にいた。
三機目の推進器を撃ち抜いた直後、それが一本の線に繋がった。
金の三機は、最初からずっと、俺を一方向へ押し続けていた。守るものを見せれば、俺は割り込む。撃てる的を見せれば、俺は撃ちに行く。殺さないから、一機ごとに手数がかかる。撃ち合いの体裁で、俺の癖だけを使って、拠点から引き離す方向へ。
誘導だ。
振り向いた。
俺は拠点から四十秒の位置にいて、戦域の反対側で、包囲が完成しつつあった。
爆裂弾の三機。三角形の頂点。その中心に、避難誘導を終えて戻ろうとしていた、モスの機体。
三機の充填が、完了していた。弾薬の魔力波が、最大密度で光っていた。
モスまで、十二秒。
発射まで、三秒。
九秒、足りない。
ジンの時は、三秒足りなかった。あの日、モスには三秒あった。今日は、九秒足りない。俺の目はいつも正確だ。その正確さが、これほど憎かったことはない。
「モス、真上に全速——!」
叫びながら、機体はもう出ていた。間に合わないと知っている体が、それでも最短経路を取っていた。そして頭は、別の道を探していた。
三機の弾薬の位相が、見える。充填完了の、張り詰めた光。見えるなら——触れないのか。
「λ、弾薬の魔力波に、外から干渉できるか」
「ふ、めい、です。し、みた、こと、が、あり、ま、せ、ん」
「やる」
意思を、放射した。やり方は知らなかった。ただ、乱れろ、と思った。三機ぶんの、張り詰めた光に向かって、ありったけを、放射した。
光が、揺れた。
確かに、揺れた。三機の弾薬の位相が、俺の意思に応えて、震えた。届いている。あと少し。あと少しで、崩れる——
三機が、発射した。
揺れは、足りなかった。
爆発が連鎖した。オレンジ色の光が膨らんで、重なって、モスの機体が、その中に消えた。
「モス!」
返事は、なかった。




