第103話_整列
――Heosphoros
副官が格納庫に着いた時、隊長機の固定具は、もう外れていた。
送還されて、二日目だった。第一精鋭隊は解かれていない。解かれていないが、隊長には、待機の命令が出ていた。待機とは、何もしないことだ。隊長は、二日間、命令の通りに、何もしなかった。宿舎の窓から、低い空を見ていた。それだけだった。
その隊長が、操縦席にいた。
「後衛で、嵐が立ちました」と副官は言った。言いながら、言う必要が無いことを、知っていた。格納庫の受信機は、後衛の周波数に合わせてあった。誰が合わせたのかは、聞かなくても分かった。
受信機から、声が流れていた。王権の者の声ではなかった。
『——上がりなさい。一段でいい。一段でいいから、上がって』
隊長は、その声を、最後まで聞いていた。聞き終わるのを待って、副官は、規定の文言を言った。
「隊長。待機の命令が、出ています」
「聞いた」と隊長は言った。
それだけだった。それ以上、何も言わなかった。副官は、二年、この人の後ろを飛んできた。命令に背くところを、一度も見たことがない。命令を、自分で出す人だった。出された命令に背くところを、見る機会が無かった。
天蓋が、閉じた。
管制の声が、格納庫に響いた。
『第一精鋭隊長機、無断発進。繰り返す、無断発進。——止めろ。誰か、止めろ』
止める者は、いなかった。副官は、自分の機体の方へは、歩かなかった。命令が無かった。隊長は、ついて来い、とは言わなかった。
藍の光が、格納庫の扉を抜けて、北の空へ、まっすぐに上がっていった。
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「北の嵐の、内側を、読みます」とλが言った。
尾を、限界まで伸ばしたまま、北へ飛んでいた。あと、十一分。
「藍の反応は、嵐の中心に、向かっています。……下ろしては、いません。アステリアさんには、下ろし方が、ありません」
「なら、何をしてる」
「並べています」
λの声に、迷いは無かった。λが見ているものを、俺も、目の中で見た。
白い嵐の中で、色が、動いていた。混ざり合っていた色が、一つずつ、ほどけて、藍の後ろへ、並んでいく。王権の後衛の、三十余りの共鳴者の色だ。橙。薄い金。灰がかった青。並んだ色は、互いの縁を溶かさなかった。溶かす前に、藍の後ろに、一列に、つながれていた。
見覚えがあった。火星の空で、俺は、あの並び方を見た。第一精鋭隊の兵たちが、一人残らず、隊長の色の後ろに並んで飛んでいた。誰も、自分の色で飛んでいなかった。隊長が見て、隊長が決めて、兵は、その通りに動いた。整列。あの隊の、強さの全部だった。
今日は、それが、嵐を止めていた。
「北の嵐の、伸びが、止まりました」とλが言った。「四つ目の方へ、伸びていません。……アステリアさんの後ろに並んだ色は、互いに混ざりません。混ざらない分、嵐は、広がれません」
回線が、鳴った。遠い。
『——こちら《灰狼》。燈、聞こえるか』とガルムが言った。『止まってる。嵐が、縁で止まってる。一機、入っていった。あの藍が、止めてる』
「知ってる。λが見てる」
『なら、話は早い』とガルムは言った。『だが、長くは持たんぞ。ステラが、そう言ってる』
ステラの声が、割り込んだ。
『アステリアには、錨が無いの』と彼女は言った。早口ではなかった。早口にならないように、一語ずつ、置いていた。『王権の書式には、錨の欄が、空いたまま印刷されてる。……彼女は、何にも繋がらずに、入ったのよ』
「λ。藍の深さは」
「深くなっています」とλは言った。「三十余りの色を、後ろに並べている分、アステリアさんは、その全員の重さを、一人で、引いています。並べたまま、少しずつ、沈んでいます。……今の速さなら、六分で、アステリアさんの色も、並べた色と、区別がつかなくなります」
六分。俺が着くのは、十一分後。
尾を、伸ばした。伸びなかった。もう、伸びきっていた。翼の付け根から先は、全部、前へ出る力に使っていた。
「λ。もっと速く飛べる方法は」
「ありません。……今が、最速です」
λは、そこで、一拍、置いた。
「ですが、アステリアさんは、自分の沈む速さを、落とせます。……並べる数を、減らせば、落ちます」
並べる数を減らせば、並べなかった色は、また混ざる。混ざれば、嵐が伸びる。
アステリアは、それを知っている。知っていて、一人も、手放していなかった。
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着いた時、藍は、まだ藍だった。
嵐の縁で、《灰狼》の三機が、旋回していた。片腕の機体、左腕の無い機体、脚を引きずるように飛ぶ機体。その後席に、ステラがいる。
翼を、束ねた。刃にした。
嵐の外殻へ、振り下ろした。
全部の色が、刃の当たった所から、左右に分かれた。分かれた隙間に、機体を入れた。
内側は、白くなかった。
一昨日の嵐とも、南東の嵐とも、違った。全部の色が混ざった白の中に、一本の線が、通っていた。藍を先頭に、三十余りの色が、一列に、まっすぐに並んでいた。並んだ色の外側だけが、白く渦を巻いていた。
列の先頭の藍は、細くなっていた。
藍が細くなるのを、俺は、初めて見た。火星でも、木星でも、一昨日の嵐の中心でも、あの色は、一枚の刃だった。今日は、刃の縁が、ぼやけていた。ぼやけた縁から、後ろに並んだ色の重さが、少しずつ、藍の中へ、染み込んでいた。
回線は、通らない。通るのは、共鳴だけだ。
「来たぞ」と、共鳴に乗せて言った。
答えが来るまで、三秒かかった。
「……遅い」
低く、平坦な声だった。平坦なまま、少しだけ、掠れていた。
「三百キロ、飛んできた。これ以上は、速くならない」
「知っている」と藍は言った。「数えていた。お前が着くまでの時間と、私が持つ時間を。……お前の方が、少し、長かった」
「なら、間に合った」
「間に合ったのは、お前だけだ」と藍は言った。「私は、並べることしか、知らない。並べたものを、元に戻す方法を、知らない。放せば、混ざる。混ざれば、また伸びる。……だから、放せなかった」
並べた列の、三十余りの色。その一つ一つが、藍の後ろで、揺れずに、並んでいた。揺れないのは、藍が揺れないように、引いているからだった。引く力の分だけ、藍が、沈んでいく。
「λ。下ろせるか」
「下ろせます。……ただし、順番があります」とλは言った。「アステリアさんが並べている間は、色が、アステリアさんの方へ引かれています。わたしの線が届いても、引き合いになります。アステリアさんが先に放せば、色は、一瞬、どこにも繋がっていない状態になります。その一瞬で、わたしの線に、繋ぎ直します。遅れれば、混ざります」
一瞬。
「どのくらいだ」
「ほとんど、ありません。わたしが数えられる中で、一番短い長さです」
藍に、言った。
「合図で、放せ。受けるのは、俺だ」
「放したものを、お前が、受け損ねたら」
「受け損ねない」
三秒。藍は、何も言わなかった。言わない三秒の中で、藍の色が、一度だけ、揺れた。揺れて、元に戻った。
「……合図を」
翼を、開いた。機体の倍の幅まで。翼の縁から、線を伸ばした。三十余り。藍の列の、一つ一つの色の、すぐ横まで。触れる手前で、止めた。
「さん」
藍の後ろの列が、張り詰めた。
「に」
λが、線の先で、待っていた。
「いち」
藍が、放した。
列が、ほどけた。三十余りの色が、一斉に、藍から離れた。離れて、どこにも繋がっていない色が、白い渦の方へ、流れかけた。
流れきる前に、碧の線が、触れた。
一本も、遅れなかった。三十余りの線が、三十余りの色を、同時に、受け止めた。受け止めた色は、白に混ざらなかった。碧の線の先で、一つずつ、自分の色のまま、そこに留まった。
「受けました」とλが言った。「全部です。……下ろします。一段」
白い渦が、薄くなった。
「二段」
橙が、橙の深さへ。薄い金が、薄い金の深さへ。一つ一つが、別々の速さで、浅い所へ上がっていった。
「三段。……嵐、消滅します」
白が、ほどけた。空が、戻った。戻った空の中に、三十余りの機体が、散らばって浮いていた。どの機体の中にも、一人ずつ、別々の色があった。
王権の回線が、戻ってきた。
『——後衛三番、応答。……上がってる。上がってます。指定深度から、三段も。何が——』
『……隊長?』
後衛の誰かが、呼んだ。呼んだ先の、藍に向かって。
藍は、答えなかった。
その上に、別の声が、重なった。遠い、本国の回線だった。
『第一精鋭隊長、直ちに帰投せよ。待機命令違反である。直ちに——』
藍は、そちらにも、答えなかった。
答えられなかった。




