第102話_藍
「二つ目が、立ちます」とλが言った。
南東へ、尾を引いて、飛んでいる最中だった。
「推定より、四分、早いです。……立ちました」
地図の上で、二つ目の点が、赤から、色の無い白に、変わった。全部の色が混ざって、どの色でもなくなった時の、白だ。
「一つ目の連邦隊が止まったのを、二つ目の隊が、知ったのか」
「推定ですが、はい。前線の連邦艦隊が、全砲停止を、本部へ報告しています。正体不明の干渉。……本部は、指定深度を、もう一段、上げました。対抗上、やむを得ない、の文面です」
俺が止めた分だけ、向こうは、もう一段、潜った。
着いたのは、十六分目だった。
嵐は、一昨日と、同じ大きさだった。空の三分の一。全部の色が、渦を巻いて、混ざって、互いを呑みながら、外へ広がっていた。縁の近くで、連邦の救難機が二機、入れずに、旋回していた。
一昨日は、五人で、五分かかった。五分の間、俺は、線一本を、保つのが精一杯だった。λは、浅い所で、俺を引く力を受け止めて、声を遅らせていた。カレンとシドとガルムは、縁で教団を止めていた。ステラの声を、道に乗せて、中心まで届けた。
今日は、二人だった。
「時間は」と俺は言った。
「ありません」とλは言った。「上限は、ありません。……行けます」
翼を、束ねた。刃にした。機体の背丈の、十倍。
嵐の外殻へ、振り下ろした。
全部の色が、刃の当たった所から、左右に、分かれた。分かれた隙間に、機体を、入れた。入った瞬間、嵐の内側が、来た。三十人分の、混ざった声。怒りと、恐怖と、命令と、誰かの名前。一昨日と、同じだった。
違ったのは、俺の方だった。
入ってくるものは、入ってきた。入ってきて、俺の色にはならなかった。碧の、外側を、流れていった。
刃を、ほどいた。ほどいて、線にした。三十本。嵐の中で、どの機体がどこにいるのか、色では、もう分からない。λが、数えた。
「機体の反応で、追います。三十。……位置、全部、出ました」
「下ろせ」
「はい。一段」
嵐の色が、一つ、抜けた。濁った白の中から、深い青が、一筋、ほどけて、外へ流れ出ていった。
「二段」
橙が、抜けた。薄い紫が、抜けた。一色ずつ、混ざった中から、元の持ち主の所へ、戻っていった。
「三段」
嵐の渦が、回るのを、やめた。
白かった空が、色を取り戻していった。取り戻した色は、一つ一つ、別々だった。別々の三十の色が、三十の機体の中で、それぞれの深さに、浮いていた。
「嵐、消滅しました」とλが言った。「三十機、全機、個の反応です。……一分、五十秒」
一昨日は、五人で、五分。
今日は、二人で、二分かからなかった。
連邦の回線が、開いた。嵐の中で黙っていた回線が、一斉に、戻ってきた。
『——深潜隊二番、応答。……応答、します。何が、起きた。中にいたはずだ。中に、いて——』
『三番、生存。……生存しています。外に、出てる。出された、のか』
『救難機より。嵐、消滅を確認。消滅、です。一昨日は、王権の旗艦の周りで、四分以上——今のは、二分も——』
救難機の声は、そこで、次の言葉を探していた。
探している間に、λが、割り込んだ。
「——割り込みます」
声が、張っていた。
「新しい兆候です。四つ目。王権側、北東。五つ目。連邦側、西。……どちらも、今、出ました。王権本部と、連邦本部が、同時刻に、指定深度を、もう一段、上げています。どちらの文面も、同じです。正体不明の干渉に対し、対抗上、やむを得ない」
正体不明の干渉。
俺のことだった。
止めるたびに、向こうは、潜る。潜った分だけ、次が出る。一つ止めて、二つ出た。
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北の空は、遠かった。
尾を、限界まで、伸ばした。南東から北へ、四百キロ。十六分。λが、そう言った時点で、もう、計算は終わっていた。
「三つ目が、立ちます」とλが言った。二十二分目。「……立ちました。王権の、後衛です」
地図の北の点が、白に、変わった。
『——こちら《灰狼》』
ガルムの声だった。回線は、遠かった。
『縁に、着いた。……入れない。シドが、二度、近づいた。二度とも、押し戻された』
『押し戻された、というか』とシドの声が割り込んだ。息が、浅かった。『近づくと、計器が、全部、他人の数字になる。俺の機体が、俺の機体じゃなくなる。……あれは、外から触っていい物じゃない』
その後ろで、ステラの声が、聞こえていた。俺に向けた声ではなかった。王権の、後衛の周波数に向けた声だった。
『——上がりなさい。王権後衛、共鳴隊。指定深度から、上がりなさい。聞こえている人は、一段でいい。一段でいいから、上がって。……聞こえていますか』
返事は、無かった。
嵐の中では、回線は、通らない。一昨日、俺が、自分の目で見た。ステラも、知っている。知っていて、呼び続けていた。
「λ。四つ目と、五つ目は」
「まだ、立っていません。……ですが」
λが、一拍、置いた。
「北の嵐が、伸びています。外へではありません。北東の、四つ目の方へ。四つ目の兆候も、北の嵐の方へ、寄っています。互いの方へ、伸びています」
「繋がったら、どうなる」
「一つの嵐に、なります。今までのどれよりも、大きな嵐です。そこへ、五つ目が、繋がれば——」
λは、そこで、言葉を選んだ。選ぶのに、時間はかからなかった。内側に入ってから、λは、言う前に迷わない。
「木星の地下で、記録で見た、あの日と、同じ形です。消えた街の、最後の日と」
あの日。音が一つずつ消えていった、記録の中の街。四人の食卓。誰もいなくなった艦橋。
北の嵐まで、あと十一分。十一分の間に、北の嵐は、四つ目の方へ、何キロ伸びるのか。λは、数えていた。数えて、俺には、言わなかった。言わなくても、俺の目の中に、数字は、置かれていた。
間に合わない。
二人で、一か所。東の一つ目と、南東の二つ目は、間に合った。北には、四人がいる。四人は、入れない。入れる者が、北にはいない。俺とλは、一つの機体の中にいて、その機体は、今、北から、三百キロ離れた空を、飛んでいる。
翼を、もう一段、伸ばそうとした。
伸びなかった。もう、限界まで伸びていた。
『——燈』
ステラの声だった。今度は、俺に向けた声だった。
『王権の回線に、一つ、応答があったわ。後衛の、隊からじゃない。もっと後ろ。本国の方角から、一機、こっちへ来る。……識別は、王権の、第一精鋭隊の。でも、第一精鋭隊は、もう——』
ステラの声が、途切れた。途切れたのは、回線のせいではなかった。
「λ」
「はい。見えています」
λの声が、変わった。張ってはいなかった。静かだった。静かなまま、確かめるように、一語ずつ、置いた。
「北の嵐の、縁に、一機。……速いです。減速、していません。入っていきます」
地図の上の、白い点の縁に、小さな点が、一つ、触れた。
触れて、白の中へ、入っていった。
「色は——藍、です」




