第101話_群れ
――Pleiades
命令文は、三行だった。
指定深度、更新。上限の、さらに一段上。対抗上、やむを得ない。
男は、三行目を二度読んだ。やむを得ない、の六文字は、この半月で何度も見た。見るたびに、深度が一段下がった。下がった分だけ、隊の誰かの席が空いた。空いた席の理由は、どの紙にも、やむを得ない、と書いてあった。
「深潜隊、全機、接続」と隊長が言った。「指定まで、降りる」
降りた。
一段目は、いつもの深さだった。隣の三番機の色が見える。濃い緑。几帳面な男の、几帳面な色だ。二段目で、緑の縁が、ぼやけた。三段目で、男は、自分の色を探した。探して、見つけられなかった。緑の隣にあるはずの自分の色が、緑と同じ速さで揺れていた。
『四番機、応答しろ』
隊長の声だった。返事をしようとして、男は、口を閉じた。今の声は、自分が出したような気がした。隊長が言ったのか、自分が言ったのか、分からなかった。分からないまま、三十機分の声が、頭の中で、同じ高さに並び始めた。
計器の隅で、警告が点いた。共鳴値、隊内同調、上昇。それが何の警告なのか、男は知っていた。一昨日、王権の空で、同じ警告が三十余り点いて、それきり消えた。
隣が、どこまで隣なのか、もう分からなかった。
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「三つの位置を、出します」とλが言った。内側から。
目の前に、地図が開いた。開いたのは、計器の画面ではなかった。俺の目の中に、λが置いた。λが内側に入ってから、λの見ているものは、そのまま俺の見ているものになる。
「一つ目。連邦側。東へ、百十キロ。外縁の、前線の後ろです。深く潜っている隊が、一つ。三十機。……立つまで、推定、十四分」
赤い点が、東に一つ。
「二つ目。連邦側。一つ目から、さらに南東へ、二百キロ。同じ規模です。……十八分」
二つ目の点。
「三つ目。王権側。北へ、百八十キロ。王権の残存艦隊の、後衛です。……二十二分」
三つ目の点が、北に灯った。三つの点は、地図の上で、互いに遠かった。
数えた。
碧の翼で、全力で飛べば、百キロを、四分。東の一つ目まで、四分半。一つ目を止めるのに、三分かかるとして、八分目。そこから南東の二つ目まで、八分。十六分目に着く。二つ目が立つ十八分の、二分前だ。
そこから北の三つ目まで、四百キロ近い。十六分。三十二分目に着く。三つ目が立つのは、二十二分目。
十分、遅い。
順番を、変えてみた。北から行けば、七分で着く。三つ目を止めて、十分。北から東の一つ目まで、二百キロ余り。九分。十九分目。一つ目は、十四分で立っている。
どの順で回っても、一つ、立つ。
「止められるのは、二つだ」と俺は言った。
「はい」とλは言った。「わたしの計算も、同じです。……わたしと、あなたは、一つの機体の中にいます。いられるのは、一度に、一か所です」
四人は、まだ格納庫の前にいた。地図は、四人には見えていない。それでも、俺の顔を見て、何かは分かったらしかった。
「いくつだ」とガルムが言った。
「三つ。東に二つ、北に一つ。……二つまでしか、間に合わない。北が、残る」
ガルムは、煙草を、指で挟んだまま、北の空を見た。火は、もう消えていた。
「北まで、何キロだ」
「百八十」
「なら、北は俺たちが行く」
「行って、どうする。嵐の縁で、待つだけになる。一昨日、見ただろ。入れるのは、深く潜れる奴だけだ」
「待つだけでも、行く」とガルムは言った。「立つ前に着けば、王権の連中に、上がれと言える。言って聞くかは、知らん。言わないよりは、いい。……お前は、数えた。数えたなら、行け。それだけだ」
カレンが、もう機体に向かっていた。左腕の無い機体だ。
「片腕でも、推進部は撃てるわ」と彼女は言った。「北に教団の残りが出てきたら、私が止める」
「シド、肋骨は」
「折れてる」とシドは言った。目は、笑っていなかった。「往復は、無理だ。片道分なら、飛べる。帰りのことは、帰る時に考える。……整備士が、一番やっちゃいけない計算だがな」
ステラが、端末を閉じた。
「王権の回線は、私が開くわ」と彼女は言った。「後衛の周波数は、連邦の傍受記録に載ってる。審査の間に、全部、写しておいたの。……向こうが聞くかどうかは、分からない。でも、潜っている最中に、上がれ、と言う声が一つも無いのと、一つあるのとでは、違うと思う」
「行け」とガルムが、もう一度言った。
翼を、開いた。
開いて、後ろへ、束ねた。刃にするのではなかった。機体の背中から、長く、細く、流した。碧の光が、尾になった。尾が伸びた分だけ、機体が前へ出た。
管理区の壁が、一瞬で、後ろへ遠ざかった。
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東の空は、もう、撃ち合いの最中だった。
外縁の、荒れた高地の上。南に王権の残存艦隊、北に連邦の主力。距離は、二十キロ。間の空を、色が埋めていた。王権の橙のビーム。連邦の青白の電磁加速砲。赤い爆裂弾。数え切れないほどの線が、両方向に、交差していた。
「連邦の深潜隊は、主力の後方、四キロです」とλが言った。「三十機。共鳴値、隊内同調が、上がり続けています。……あと、九分」
「撃ち合いの真ん中を、通る」
「はい。通れます」
真ん中に、入った。
両側から、弾が来た。俺を狙った弾ではなかった。互いを狙った弾の、通り道に、俺がいた。
翼を、開いた。機体の倍の幅まで。開いた翼の縁から、波紋が、広がった。一枚ではなかった。左へ一枚、右へ一枚。南と北の、両方へ、碧の輪が、同時に、広がっていった。
輪が、橙に触れた。橙の線が、途中で、ほどけた。輪が、青白に触れた。青白の弾が、空中で、勢いを失って、落ちた。赤い爆裂弾は、炸裂する前に、ただの金属の塊になって、高地の岩に転がった。
二十キロの空が、空いた。
両軍の回線が、同時に、開いた。
『——弾幕、消失。前方、全部です。何が——』
『王権艦隊より各艦。正面に、未確認機。識別、出ない。連邦の新型か』
連邦の回線が、すぐ重なった。
『うちのじゃない。うちに、あんな色の機体は無い』
『じゃあ、どっちの味方だ』
どちらの問いにも、答えなかった。答える言葉が、要らなかった。
「砲口を、数えます」とλが言った。「王権側、五十八門。連邦側、六十二門。……百二十門。同時に、行けます」
「行く」
翼の縁から、線が伸びた。南へ、五十八本。北へ、六十二本。碧の線が、高地の上で、扇の形に広がった。一本一本が、砲口の、一つ一つに、触れた。
百二十門が、同時に、沈黙した。
爆発はしなかった。火も出なかった。砲身の中で、充填されていた光が、出口を失って、ゆっくり消えた。両軍の艦は、無傷のまま、撃てない砲を抱えて、浮いていた。
『——主砲、応答なし。副砲も。全門、です。損傷は、ありません。撃てない、だけです』
『連邦側も、止まってる。向こうも、撃ってこない。……誰が、止めた』
『あの機体だ。あの一機で、両方を——』
王権の誰かが、そこで、黙った。
黙った回線の向こうで、別の声が、短く言った。
『——碧だ。一昨日、旗艦の嵐を割った、あの』
撃ち合いの止まった空を、抜けた。主力の後ろへ。四キロ先に、三十機が、輪を組んで浮いていた。
深潜隊の色は、もう、一つ一つ見分けられなかった。緑と、黄と、薄い紫が、互いの縁を溶かして、一枚の、濁った色になりかけていた。一昨日の嵐の、立つ前の形だった。
「切りますか」とλが訊いた。
「切ったら、どうなる」
「接続を、外から切ると、深い所にいる人は、戻る道を失います。三十人のうち、何人かは、戻れません。……切りません。下ろします」
「下ろす」
「一段ずつ、浅くします。指定深度から、一段上へ。そこから、もう一段。わたしが、段を数えます。あなたは、線を、保ってください。三十本、同時に」
三十本。百二十本の後では、少なく聞こえた。少なくはなかった。砲口に触れるのとは、違う。人に触れる。人の、潜っている深さに、触れる。
翼の縁から、線を伸ばした。三十本。濁った色の輪の、一機一機の、共鳴の接続部へ。
触れた瞬間、三十人分の声が、線を逆流してきた。一昨日、嵐の中で、三十人分を一度に受けた。あの時は、受けるたびに、自分の線を握り直した。今日は、握り直さなかった。握り直さなくても、線は、消えなかった。内側に、λがいる。λの線と、俺の線が、互いを、はさんでいた。
「一段、上げます」とλが言った。
三十機の、濁った色が、わずかに、薄くなった。
「二段目」
緑が、緑に戻った。黄が、黄に戻った。縁が、縁になった。
「三段目。……指定深度の、二段上です。隊内同調、下降。嵐の兆候、消えました」
三十の色が、一つずつ、元の場所に、戻っていた。
連邦の、主力の指揮官の声が、回線に入った。
『深潜隊、共鳴値、急降下。……指定深度を、解除した覚えはないぞ。誰が、解除した』
λが、俺の口を借りずに、外へ、一度だけ答えた。
「解除していません。下ろしました」
回線が、黙った。
その沈黙の中で、深潜隊の一機から、小さな声が、漏れてきた。誰かに向けた声ではなかった。自分に向けた声だった。
『……隣が、隣に、戻った』
八分目だった。




