第99話_処分
――Agrapha
戻ってきた者は、長の前に立って、いつもの速さで言った。
『戻っておられます。機体の中に、反応があります。お話も、致しました』
長は、すぐには答えなかった。名簿を開いた。読み手の名簿ではない。長の名簿だ。同じ名前が、同じ順で、書いてある。
読み手は、観測席から、それを見ていた。
長は、名簿を最後の頁までめくった。めくって、手を止めた。最後の頁の次に、頁は無い。消えた者の名前と、日付と、場所。それしか書く所が無い。戻った者を書く所は、どの頁にも無い。百五十年、一度も、要らなかったからだ。
「記録に、ありません」と長は言った。読む声と同じ速さだった。「記録に無いことは、起きていません」
読み手の手が、止まった。
起きている。観測の数字は、起きていると言っている。回収体、四百十二、停止。停止させた機体に、生体反応、有り。数字は、毎日確かめている。今日の数字も、確かめた。
「起きていないことに、します」と長は続けた。「記録に合わない場所を、記録に合わせます。処分します」
放送の文面が、書き換えられた。回収、の二文字が消えた。処分を、実行する。それだけが残った。
六隻が、艦首をそろえ始めた。この船が、砲を使うのを、読み手は九年で一度も見ていない。使い方は、教わっている。教わっているが、使う日が来るとは、教わっていなかった。
読み手は、自分の名簿を開いた。余白の一行は、線を引かれないまま、そこにあった。
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六隻は、一本の線になった。
円ではなかった。木星でも、嵐の縁でも、連中はいつも円を組んだ。囲んで、待つ形だ。今日は、待つ気が無かった。六つの艦首が、縦に重なって、同じ一点を向いていた。
向いている先は、格納庫ではなかった。
「放送が、変わりました」とλが言った。内側から。「処分を、実行する。……回収、の語が、ありません。目標の指定も、変わっています。機体では、ありません。管理区です。全域です」
「全域」
「壁の内側、全部です。格納庫も、審査棟も、食堂も、外周線の砲座も。……記録に合わない場所を、場所ごと、消す気です」
俺が戻ったことを、無かったことにするために、俺が戻った場所を、全部消す。
後ろに、四人がいた。機体を降りたシドが、肋骨を押さえて座っている。左腕の無い機体から、カレンが降りてくる。ガルムは、片腕の上がらない機体の足元で、煙草を咥えている。ステラは、端末を抱えて、空を見ている。その向こうに、管理区の壁があって、壁の内側に、目を逸らすのが上手い連邦の兵が、何千といた。
「砲の色を、読めるか」
「読めません。色が、ありません」とλは言った。「教団の砲です。あなたの目には、何も映りません。……波の穴として、追います。周りの波が、押し退けられる所。六隻分、重なっています。大きいです。今までに記録した、どの穴より」
色が無いものは、波紋で掴めない。掴む色が無いからだ。連邦の三十発を落とした輪は、あの砲には、効かない。
「止められないなら、割る」
「はい。割れます。……あなたの翼で」
管理区の管制が、開きっぱなしの回線で、叫んでいた。
『——六隻、艦砲、充填中。出力、計測不能。着弾予測、管理区中央。全域退避——退避先が、ありません——』
『防空砲座、迎撃用意。迎撃って、何を。弾が、見えません——』
翼を、開いた。
機体の倍の幅まで。そこから、閉じた。閉じたのではなかった。束ねた。左右に広がっていた碧の光を、機体の正面に、一本に、集めた。集めた光は、翼の形をしていなかった。刃の形をしていた。機体の背丈の、十倍の長さの、一本の刃。
「穴、来ます」とλが言った。「三、二——」
数え終わる前に、空が、歪んだ。
見えなかった。色は無かった。ただ、六隻と管理区の間の空が、まっすぐに、押し退けられた。雲が、一本の線で、左右に裂けた。裂け目が、こちらへ、降りてくる。
刃を、振った。
下から、上へ。裂け目の、真ん中へ。
碧の刃が、色の無い物に、当たった。当たった所から、色の無い物は、二つに分かれた。分かれて、左右へ、逸れた。逸れた先は、管理区の壁の外だった。東の壁の外の荒れ地と、西の壁の外の荒れ地に、同時に、何かが落ちた。土が、柱になって上がった。音は、後から来た。
壁の内側には、何も落ちなかった。
『——着弾。着弾、管理区外。東と、西。……中央、被害、なし。なし、です』
『外れたのか』
『外れていません。割れました。割った機体が、います。格納庫の前——識別、出ません。色は、さっきの——さっきの、あの色です』
「次の充填まで、四十秒」とλが言った。「六隻とも、砲身を冷やしています。……四十秒、あります」
「要らない」
刃を、ほどいた。ほどいた光が、翼に戻って、翼の縁から、線になって、伸びた。六隻へ。さっきの線より、長かった。高度一万の艦まで、届いた。
「数えます」とλが言った。「砲門、六。推進機関、二十四。回収体の射出口、七十二。姿勢制御、四十八。……百五十箇所。同時に、行けます」
「行く」
百五十の線が、同時に、六隻に触れた。
艦は、爆発しなかった。火も、出なかった。砲身が、根元で折れて、ゆっくり、垂れ下がった。推進の光が、六隻とも、同じ瞬間に、消えた。射出口の扉が、開きかけたまま、止まった。
六隻は、浮いていた。浮いたまま、何もできなかった。撃てない。進めない。降ろせない。向きを変えることも、できない。百五十年、空の機体を集めてきた船が、一列に並んだまま、ただの箱になった。
「百五十」とλが言った。「全箇所、停止。艦内の生体反応、変動なし。……誰も、死んでいません」
『——六隻、全部、沈黙。全部です。砲、推進、全系統。……何秒だ。今の、何秒だった』
『三秒、です』
『三秒で、艦隊を——』
管制の声は、そこで、言葉を失った。
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一機だけ、降りてきた。
動かない六隻の、一番前の艦から。人の形の、色の無い機体。両肩の兵装架と、背の推進器。
回線は、向こうから開いた。
『確かめて、参りました』と、男は言った。『あなたは、戻っておられます。……それは、確かです。確かですが、私どもの記録には、書く所が、ありません』
「知ってる。だから、場所ごと消しに来たんだろ」
『長の、判断です。私は、判断を、致しません。……ただ、お相手は、致します。あなたの癖は、全て、記録にあります。火星の頃から。木星でも。二年分、ございます』
「読んでみろ」
男は、撃った。
速かった。ガルムたちが十分かけて負けた相手だった。撃つ前の沈みが無い。狙いに揺れが無い。俺の二年分の回避の癖を、全部知っていて、俺が逃げたがる場所へ、先に射線を置いてくる。
逃げなかった。
逃げる必要が、無かった。男の射線は、二年分の俺を、正確に指していた。一人で読んで、一人で避けていた頃の俺を。λに逆を言ってもらって、二人で避けていた頃の俺を。全部、正確だった。
今の俺は、そのどこにも、いなかった。
射線の間を、まっすぐ、通った。避けたのではなかった。そこが、空いていた。男の記録の、どの頁にも書かれていない場所が、射線と射線の間に、一本、通っていた。
一射。
推進器。左の兵装架。右の兵装架。木星で、三度、照準をずらして、時間差で撃った三点。今日は、一射で、三つ、同時に抜いた。碧の線が、三本に分かれて、三点に、同じ瞬間に、入った。
男の機体は、姿勢を崩して、ゆっくり、漂った。
木星の時と、同じ漂い方だった。




