第96話_空の墓
列が、割れた。
回収体の、途切れない列が、格納庫の正面で、左右に割れた。割れた間を、一機、降りてきた。
回収体ではなかった。形が、違った。人の形をしていた。兵装架が、両肩にある。推進器が、背にある。三点。どれも、新しかった。前に壊された三点を、同じ場所に、付け直した機体だった。
回線が、開いた。向こうから、開いた。
『お久しぶりです』
静かな声だった。敬語だった。急いでいなかった。
『木星では、お世話になりました。……あの時の方は、いらっしゃらないのですね。存じております。ですから、参りました』
「誰だ」とガルムは言った。聞かなくても、分かっていた。燈から、聞いている。摘む、という言葉を使う男。付随損耗、と書いた男。
『名前は、使いません。……お約束を、果たしに参りました。あの方に、申しつけられておりましたので』
「約束」
『記録を、直せ、と。あなた方のお仲間の欄を。付随損耗、と書いてあった欄です。……消しました。お名前で、書いてあります。地球へ行くお金を貯めていた方、と。あの方が、そう仰いましたので、その通りに』
カレンの機体が、止まった。一秒だけ、止まった。
『覚えて参ります、と申しました。覚えて、参りました。約束は、守りました』
「……そうか」とガルムは言った。「なら、礼を言う。あいつの代わりに」
『礼には、及びません。記録は、正しくあるべきです。……ですから、今日は、もう一つの記録を、正しくしに参りました』
男の機体が、一歩、前へ出た。
『あの方は、消えました。消えた方の欄に、お名前を書きます。日付と、場所と。そして、機体を、頂きます。消えた方の機体は、私どもがお預かりする決まりです。百五十年、そうして参りました』
「消えたと、誰が決めた」
『計器が、決めました。再計測も、同じ答えでした。……私どもは、信じているのではありません。知っているのです。深くへ行った方は、戻りません。戻った方は、一人も、おりません』
「一人、いたと聞いてる」
『嵐の日のことでしたら、存じております。あれは、浅くから呼び戻されたのです。あの方は、今度は、呼び戻す者ごと、行かれました。……戻る道が、ありません』
言っていることに、間違いは無かった。ガルムには、反論する材料が無かった。あいつが戻る理屈を、ガルムは、一つも持っていない。持っているのは、紙が一枚と、往復分の燃料と、帰ってこい、と言った自分の声だけだった。
「理屈は、お前の方が合ってる」とガルムは言った。「合ってるが、渡さん。うちは、割の悪い仕事を受けてる。割の悪い仕事ってのは、理屈で負けてる方につく仕事だ」
『残念です』
男は、撃った。
速かった。回収体とは、別の物だった。撃つ前の沈みが無い。狙いに、揺れが無い。一射目が、シドの機体の、長距離砲の砲身を折った。二射目が、カレンの機体の左腕を、肩から落とした。
三射目は、ガルムに来た。
機体を半回転させて、肩の装甲で受けた。装甲が、一枚、飛んだ。飛んだ装甲の向こうから、ガルムは撃ち返した。当たらなかった。男の機体は、撃たれる前に、もうそこにいなかった。
『あなた方は、読みやすい』と男の声が言った。『長く戦ってこられた方々です。長い分だけ、記録があります。記録がある方は、読めます』
「読めても、どかんぞ」
『存じております。……ですから、どいて頂くのではなく、動けなくして差し上げます。お命は、頂きません。記録に、書く理由がありませんので』
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十分で、決まった。
シドの機体は、砲身を失い、右脚を失って、格納庫の壁際に座り込んでいた。回線に、シドの声があった。「……脚だ。俺の脚じゃない。機体の方だ。俺の方は、肋を二本ってところだな。喋れるうちは、数に入れるな」
カレンの機体は、左腕が無かった。右腕の弾倉が、空だった。彼女は、空の機体で、まだ引いていた。引いて、回収体を、扉から遠い方へ流していた。撃てない機体で、流すことだけを続けていた。
「隊長。残弾」
「無い」とガルムは言った。
無かった。最後の一発は、三分前に、回収体の推進部に使った。男の機体には、一発も当たっていない。
ガルムは、機体を動かした。
格納庫の扉を、抜けた。中に入った。入って、一番奥の、空の機体の前に、自分の機体を置いた。背を向けて、置いた。背中の装甲を、扉の方へ向けて。自分の機体の胸で、空の機体を、覆った。
弾は無い。腕は、片方が上がらない。出来ることは、一つしか残っていなかった。間に、立つ。
「ガルムさん」
ステラの声が、すぐ近くでした。空の機体の、コックピットの脇。梯子の上に、彼女は立っていた。計器の一行を、見ていた。朝から、ずっと。
「変わったか」
「変わらないわ。……消失。再計測、消失。同じ一行のまま」
「そうか」
ガルムは、煙草を出した。火のついていない一本を、咥えた。
十三年前、谷の出口で、単機が逆へ走っていくのを、隊列の中から見た。見ているだけだった。見ているだけで、生きて帰った。
今日は、見ていない。背中を向けている。見ているのは、空の機体の方だ。固定具の中で、正しい姿勢のまま、誰も乗っていない機体。シドが往復分の燃料を入れて、カレンが備考欄を空けて、ステラが紙を記録に入れた、機体。
「見てるだけの二回目に、お前を数えるつもりはない」と、ガルムは、空の機体に言った。「言ったろう。……だから、見てない。背中で、やってる」
扉の方で、音がした。
回収体が、格納庫の扉に、触れた音だった。一つではなかった。十か、二十か。扉の枠が、軋んだ。軋む音の向こうから、男の機体の足音が、ゆっくり、入ってきた。
『お退きください』と、男の声が言った。『その機体は、もう、どなたの物でもありません』
「紙がある」とガルムは言った。「契約主体、本人。解約の記録は、無い」
『紙は、存じません。私どもの記録に、紙は——』
「ガルムさん」
ステラの声が、変わった。
監査の声でも、法務の声でもなかった。木星の夜に、一度だけ、割れた声。あの声に、近かった。
「計器が」
ガルムは、振り返らなかった。振り返らずに、聞いた。
「読め」
ステラは、読んだ。空の機体の、計器の一行。朝から変わらなかった一行が、消えて、別の一行になっていた。百五十年前の機械が、木星の底で、一度だけ言った言葉と、同じ言葉だった。
「——帰還者を、検出」




