それぞれの備え
脅迫状が届いてから、数日が経った。
俺たちは、あの手紙に書かれていた警告を忘れたわけではない。
むしろ、忘れようとしても忘れられない。
いつ、どこで、誰に見られているのか分からない。そんな不安を抱えながら生活するのは、想像以上に落ち着かないものだった。
だからこそ、俺たちは話し合った内容を少しずつ形にしていくことにした。
今日も俺の部屋には、京子、健三、佳苗が集まっている。
徹は大学の仕事が忙しいらしく、今回も参加できないとの連絡があった。
「それで健三、防犯カメラの方はどうなった?」
俺が尋ねると、健三は手元の資料をテーブルに広げた。
「いくつか設置場所の候補を調べてみたでござる。だが、共用部分に設置するとなると、管理会社や所有者の許可が必要になるでござるな」
「やっぱり勝手には付けられないか」
「当然でござる。ほかの住人のプライバシーにも関わる問題ですからな。設置できる場所や撮影範囲についても、慎重に考える必要があるでござる」
「そうだよね。うちの玄関前だけを撮影するにしても、廊下を通る人が映るものね」
京子も資料を覗き込みながら言った。
「まずは管理会社に相談するのがよさそうだな」
「そのつもりでござる。拙者が設置候補と死角を整理しておくゆえ、許可が得られるか確認してみるでござるよ」
「頼むよ、健三」
「承知したでござる」
健三は資料をまとめると、今度は別の画面を見せてきた。
「それと、もう一つ考えていることがあるでござる」
「何だ?」
「ウェアラブルカメラでござる」
「ウェアラブルカメラ?」
「身につけて持ち歩ける小型カメラですな。例えば、拙者が外出する際に身につけておけば、何かあったときに状況を記録できるでござる」
「なるほど。防犯カメラを設置できない場所でも、記録を残せるわけね」
京子が納得したように頷いた。
「ただし、常に誰かを撮影するためのものではないでござる。必要な場面で防犯目的の記録を残すためのものですな」
「それなら、まずは健三が試してみるのがいいんじゃないか?」
「拙者もそのつもりでござる。実際に使ってみて、使い勝手や問題点を確認したいでござるな」
「映像はどうやって保存するんだ?」
「拙者のサーバーを使う予定でござる」
「サーバー?」
俺が聞き返すと、健三は説明を始めた。
「映像を保存しておくための専用のコンピューターだと思えばよいでござる。メンバーだけがスマホから確認できるようにするつもりでござるよ」
「へえ。そんなこともできるんだな」
佳苗が首を傾げた。
「鯖?」
「えっ?」
「鯖って、お魚の?」
佳苗は不思議そうな顔で俺たちを見た。
「おいおい、佳苗。サーバーだよ。馬鹿だなぁ」
俺が笑いながら言うと、佳苗は頬を膨らませた。
「もう。馬鹿って言わなくてもいいでしょ」
「いや、だって鯖って……」
「知也殿、実はネット上ではサーバーを『鯖』と略すネットスラングもあるのでござる」
健三がさらりと言った。
「えっ?」
「つまり、佳苗殿の言い方も、間違いとは言い切れないでござるな」
佳苗はぱっと表情を明るくした。
「ほら! 私、間違ってなかったよ!」
「うっ……」
俺は何も言い返せなかった。
間違ってないのに。
なんだか負けた気分だ。
「それなら、何かあったときにみんなで映像を確認できるね」
京子が話を戻した。
「そうでござる。専用アプリから確認できるようにするつもりでござるよ。ただ、映像を撮ったら何でも自動的に送るという仕組みにはしない方がよいと思うのでござる」
「どうしてだ?」
「必要のない映像まで共有することになるからでござる。防犯に関係のある映像を選んで送れる方が、管理もしやすいでござるよ」
「なるほどな」
俺は少し考えてから口を開いた。
「健三、スマホからサーバーに送るタイミングは任意で決められるようにしないか?」
「出来るでござるが、理由があるなら教えてくだされ」
「た、例えばだけど、帽子を落とした時に京子のスカートを覗いていたら不味いだろ?」
「なるほど! 自分だけのお宝写真として保存しておきたいのでござるな!」
「うんうん。そ……。ゲフンゲフン。それは違うから」
京子と佳苗から、とても冷たい目で見られた。
「佳苗、違うんだ。これはあくまで例え話で……」
佳苗は静かに俺を見つめた。
「知也さん」
「は、はいっ!」
「正座」
「えっ?」
「せ・い・ざ」
「分かりました」
俺は脊髄反射的に素早く正座した。
フローリングの上で。
俺は学習する男なんだ。
ラグマットの上では正座しない。
「知也、何をやっているのよ……」
京子の呆れた声が聞こえた。
「拙者、今の発言は記録に残しておくべきだと思うでござる」
「健三! 余計なことをするな!」
「冗談でござるよ」
健三は笑いながら、資料を片付け始めた。
まったく、こいつらは俺を何だと思っているんだ。
◇◇◇
しばらくして、俺たちはスマートウォッチの話に移った。
「そういえば、京子。スマートウォッチの方はどうする?」
「うん。購入する機種は、健三に調べてもらっているところよ。必要な機能が揃っているものを選びたいわね」
「心拍数を測れることと、スマホとの連携ができることは必須でござるな。あとはバッテリーの持ちも重要でござる」
「異常な心拍数を検知したら、アプリに知らせるんだったよな」
「そうでござる。ただし、心拍数が上がったからといって、必ず危険な状況とは限らないでござる。運動や驚きでも変化するゆえ、あくまで異変に気づくための目安ですな」
「それでも、何も分からないよりは安心できるわ」
京子がそう言うと、佳苗も頷いた。
「私もそう思う。何かあったときに、みんなが気づける仕組みは大切だよね」
「よし。機種が決まったら、アプリの改修に取りかかろう」
俺がそう言うと、健三が頷いた。
「承知したでござる。機種の候補を絞り込んでおくでござるよ」
そのとき、ふと佳苗のことが気になった。
佳苗は俺の隣の部屋に住んでいる。
何かあった場合、すぐに助けられるとは限らない。
俺は少し考えてから、佳苗に声をかけた。
「なあ、佳苗?」
「何? 知也さん」
「危ないから、しばらく一緒に住むか?」
佳苗は一瞬、目を丸くした。
そして、少し間を置いてから口を開いた。
「……質問していい?」
「ああ、良いぞ」
「私の寝る場所は?」
「ベッドがあるぞ」
「知也さんはどうするの?」
「俺もベッドかな」
「シングルベッドだよね?」
「そうだけど?」
佳苗は俺の顔をじっと見た。
「下心ないと誓える?」
「も、もも、勿論だ!」
「佳苗ちゃん、危ないから止めた方がいいわ」
京子が即座に口を挟んだ。
「拙者もそう思いますぞ!」
健三まで同意する。
三人から見つめられ、俺は焦った。
「な、なんだよ。リーダーである俺が、や、やましい事するわけないだろ。信じてないのか?」
「信じられないわね」
京子が即答した。
「右に同じでござる」
健三も迷いなく続ける。
「……私も」
佳苗までそう言った。
「ち、チクショー!」
俺はみんなに背を向けてしゃがみこんだ。
まったく、どうしてこうなるんだ。
俺は佳苗を心配して提案しただけなのに。
すると、佳苗がそっと声をかけてきた。
「知也さん。拗ねないで、真面目な話しよ?」
その声は、いつもの優しいものだった。
俺は振り返り、佳苗の顔を見た。
「……そうだな。悪かった」
「ううん。心配してくれたのは嬉しいよ。でも、一緒に住むかどうかは、ちゃんと考えたいな」
「分かった。無理にとは言わないよ」
「ありがとう」
佳苗は小さく微笑んだ。
俺は改めて考えた。
佳苗を守りたいという気持ちは本当だ。
だが、だからといって、本人の意思を無視して何かを決めるわけにはいかない。
安全のためにできることは、ほかにもあるはずだ。
「とにかく、佳苗の安全についても、引き続き考えていこう」
「うん」
京子も頷いた。
「私たち全員で考えましょう。誰か一人だけに負担をかけるのは嫌だから」
「そうでござるな。拙者もできる限り協力するでござる」
「みんな、ありがとう」
佳苗の表情が少し和らいだ。
◇◇◇
その後も、俺たちは防犯対策について話し合った。
具体的な準備には、まだ時間がかかりそうだ。
それでも、何もせずに不安を抱えているよりはずっといい。
仲間がいる。
一人では思いつかないことも、みんなで考えれば道が見えてくる。
俺は、改めてそう感じていた。
やがて、京子と健三、佳苗が帰る時間になった。
「今日はありがとう。機種の調査、よろしく頼むよ」
「任せてくだされ」
「私も、できることがあれば協力するね」
「うん。ありがとう、佳苗」
みんなを見送ったあと、俺は一人で部屋に戻った。
静かになった部屋で、テーブルの上に置かれた脅迫状を見つめる。
『我らは、いつもお前たちを監視している』
あの言葉が、頭から離れない。
俺たちが研究を続ければ、相手はさらに何かを仕掛けてくるかもしれない。
それでも、研究をやめるつもりはなかった。
ただ、一つだけ気がかりなことがある。
もし、俺たちに何かが起きたら?
もし、俺たちが研究を続けられなくなったら?
これまで積み重ねてきた研究の記録も、異世界転移を目指していたという事実も、誰にも知られないまま消えてしまうのだろうか。
それだけは避けたかった。
俺たちがいなくなったとしても、誰かが記録を見つけられるようにしておきたい。
もちろん、実験の詳しい内容や仲間の個人情報を公開するつもりはない。
だが、俺たちが何を目指し、何を研究しているのか。
その事実だけは、どこかに残しておくべきだと思った。
俺はスマホを手に取り、SNSを開いた。
投稿する文章を何度も読み返す。
大げさな表現は避けた。
誰かを挑発するつもりもない。
ただ、自分たちが科学的な方法で異世界転移の可能性を研究していること。そして、その研究をこれからも続けていくこと。
それだけを簡潔に書いた。
最後にもう一度、文章を確認する。
これでいい。
俺は投稿ボタンを押した。
画面に投稿が表示される。
たったこれだけの文章だ。
それでも、俺たちがここまで歩んできた証の一つになる。
「……これで、少しは残せたかな」
誰に聞かせるでもなく、俺は呟いた。
窓の外には、いつもと変わらない東京の夜景が広がっている。
けれど、俺たちを取り巻く状況は、確実に変わり始めていた。
それでも俺は、前に進む。
仲間とともに、目指す場所へ。
俺はスマホを置き、静かに息を吐いた。
次話はある組織の閑話になります




