仲間を守るために
男が走り去った後も、俺たちはしばらく窓の外を見つめていた。
帽子を深く被り、サングラスとマスクで顔を隠した男。あの様子からして、偶然こちらを見ていたとは思えない。
俺たちと目が合った瞬間、逃げるように走り去った姿が頭から離れなかった。
「もう、いないみたいね……」
京子が窓の外を確認しながら、小さく呟いた。
「そうだな。どこかに隠れている可能性もある。しばらくは外の様子に注意した方がいい」
俺がそう答えると、健三が腕を組んだ。
「やはり、あの手紙に書かれていた監視という言葉は、脅しだけではなかったようですな」
「そうかもしれない。問題は、いつから、どこまで俺たちのことを調べているのかということだ」
「私たちの研究内容まで知られているのかな……」
佳苗が不安そうに尋ねた。
「それは分からない。だけど、異世界の研究をやめろと警告してきた以上、少なくとも俺たちが何かを調べていることは知っているんだろう」
部屋の中に重苦しい空気が流れた。
誰もが、今までとは違う状況になったことを理解していた。
俺は一度、みんなの顔を見渡した。
「……研究は続けたい」
「知也っ!」
突然、京子が勢いよく立ち上がった。
そして、俺の服を掴んだ。
「これがどれだけ危険なことか分かっているの? 命の危険があるのよ!」
京子の目には怒りと不安が入り混じっていた。
俺を心配してくれているのは分かる。だからこそ、強く言い返すこともできなかった。
「京子ちゃん、落ち着いて」
佳苗が京子の肩にそっと手を乗せた。
「だからこそ落ち着いて。まずは知也さんの考えを聞こう。ねっ?」
佳苗の穏やかな声に、京子は少しだけ力を緩めた。
やがて俺の服から手を離すと、まだ納得できないという表情で俺を見た。
「さあ、説明しなさい、知也!」
俺は乱れた服を直しながら、改めてみんなに向き直った。
「ああ。このまま研究を辞めたとしても、監視されている恐怖はずっと続く。警察に相談したところで、今の状況では動きようがないだろう。犯人が誰なのかも分からないし、具体的な被害が出ているわけでもないからな」
「そうですな。知也殿の言う通りでござる」
健三が静かに頷いた。
しかし、京子はまだ納得していないようだった。
「でも、研究を続ければ相手を刺激することになるんじゃないの? 今以上に危険なことをしてくるかもしれないわ」
「それは俺も考えている。だから、今までと同じように研究を続けるつもりはない」
「どういうこと?」
「研究は続ける。ただし、これまで以上に慎重に行動するんだ。外出するときも、研究の情報を扱うときも、今まで以上に注意する。何より、みんなの安全を最優先にする」
京子は腕を組み、しばらく考え込んでいた。
佳苗も心配そうに俺を見つめている。
「危険があることは分かっている。でも、俺たちが目指してきた研究を、脅迫状一枚で諦めたくないんだ」
「知也……」
京子の表情が少しだけ和らいだ。
「分かったわ。ただし、無茶は絶対にしないで。みんなで決めたことなんだから、一人で突っ走るのも禁止よ」
「分かっている。約束する」
「本当でしょうね?」
「ああ」
京子はようやく小さく息を吐いた。
「それで、これからどうするつもりでござるか?」
健三の問いに、俺は少し身を乗り出した。
「研究と並行して、相手を迎え撃つ準備をしようと思う」
「迎え撃つ準備……?」
佳苗が聞き返した。
「ああ。相手の正体も人数も分からない。だからこそ、こちらも何も知らないままでいるわけにはいかない。まずは、俺たちの身を守るための対策を考えたい」
「具体的には、何をするの?」
京子が尋ねた。
「一つは監視カメラの設置だ。自宅の出入口などを確認できるようにしたい」
「なるほど。それなら、設置する場所も重要でござるな」
健三が興味を示した。
「そうなんだ。死角ができないようにしたい。健三、設置場所をシミュレーションして、最適な位置を探してくれないか?」
「承知したでござる。建物の構造を確認して、どこに設置すれば効果的なのか考えてみるでござるよ」
「頼むよ」
「監視カメラの費用は、私が出すよ?」
佳苗が遠慮がちに手を挙げた。
「いや、俺が出すからいいよ」
俺がすぐに答えると、佳苗は少し首を傾げた。
「大丈夫なの?」
「ああ、もちろんだ!」
「会社辞めたのに?」
「ぐっ……」
思わず言葉に詰まった。
確かに、今の俺には以前のような安定した収入はない。勢いで答えてしまったが、佳苗の指摘は正しい。
「カメラは拙者と佳苗殿で出すでござる」
健三が助け舟を出してくれた。
「うん、それがいいね」
佳苗も納得したように頷いた。
「みんな……すまない」
俺が申し訳なさそうに頭を下げると、健三は気にするなと言わんばかりに手を振った。
「何をおっしゃる。こういうときこそ、仲間同士で助け合うものでござる」
「そうだよ、知也さん。一人で全部背負わないでね」
佳苗の言葉に、俺は小さく頷いた。
みんなが協力してくれることが、素直にありがたかった。
「それから、もう一つある」
俺は話を続けた。
「以前、健三が作ってくれた位置情報共有アプリをバージョンアップしたい」
「バージョンアップでござるか?」
「ああ。今の位置情報共有機能に加えて、スマートウォッチから心拍数のデータを取得できるようにしたいんだ」
「心拍数も共有するの?」
京子が少し驚いた様子で尋ねた。
「そうだ。スマートウォッチから心拍数のデータを送り、アプリで管理して仲間同士で共有する。急激な変化があれば、何か異常が起きている可能性に気づけるかもしれない」
「なるほど……。位置情報だけでなく、健康状態も確認できるようにするのでござるな」
健三は顎に手を当て、考え込んだ。
「ただし、心拍数が上がったからといって、必ず危険が起きたとは限らない。運動や緊張でも変化するから、一定時間異常が続いたときに通知するなど、仕組みを考える必要がある」
「確かに、そうでござるな。既存のプログラムを確認して、実現できる方法を調べてみるでござる」
「頼むよ、健三」
「スマートウォッチが必要になるのでござるな。全員分となると、それなりの費用がかかりますぞ」
「そうだな。まずは必要な機種と費用を調べてみよう」
「その費用、私に出させて」
京子が俺の方を見ながら言った。
「京子?」
「さっきはごめんなさい。心配だったから、つい感情的になっちゃった。だから、これは私からのお詫び。それに、みんなを守るために必要なものなら、私も協力したいの」
「いや、そこまでしてもらうわけには……」
「いいの。私がそうしたいんだから」
京子はいつになく真剣な表情だった。
「京子ちゃん、私も出すよ?」
佳苗が申し出た。
「今回は全部私に出させて。そうしたいの」
「うん、分かった」
佳苗は京子の気持ちを尊重するように、優しく微笑んだ。
「京子殿、かたじけないでござる。必要な機種と台数を調べておくでござる」
「よろしくね、健三」
俺は京子の申し出に、改めて頭を下げた。
「ありがとう。みんなの気持ちに甘えさせてもらうよ」
「それで、健三。もう一つ頼みたいことがある」
「何でござるか?」
俺は少し考えてから、思いついたことを口にした。
「街の監視カメラをハッキングして、犯人を追ってくれ!」
「拙者、怪しい人物を見ていないでござるぞ」
「マスクに帽子を深く被った奴だ!」
「そんな情報で探せたら、警察なんていらないでござるよ」
「ぐっ……。そうか、無理か」
「知也殿、拙者に犯罪行為を唆すのは止めてくだされ。ハッキングは犯罪ですぞ!」
「ぐっ……、すまない」
健三は呆れたように俺を見ていた。
どうやら、少し焦りすぎていたらしい。
「なんか知也さん、格好悪い」
佳苗がぽつりと呟いた。
「えっ……」
思いがけない一言だった。
健三に注意されたことよりも、京子に怒られたことよりも、佳苗の何気ない言葉が胸に突き刺さった。
俺は予想外に大きな精神的ダメージを受けていた。
「佳苗ちゃん、そんなこと言わなくても……」
京子が苦笑いを浮かべる。
健三は口元を押さえていた。笑いをこらえているのかもしれない。
俺は小さく息を吐いた。
脅迫状が届き、正体の分からない相手に監視されている。これから先、何が起こるのかも分からない。
それでも、俺たちは研究を続ける。
監視カメラを設置し、位置情報共有アプリを改良する。できることから一つずつ準備していく。
一人では難しくても、みんなとなら前に進める。
俺は改めて、仲間たちの顔を見渡した。
「みんな、ありがとう。これからもよろしく頼む」
四人の間に、少しだけ穏やかな空気が戻っていた。
俺たちは、研究を続ける。
そして、自分たちの大切なものを守るために、できる限りの準備を始めることにした。
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