最終警告
不安そうな佳苗を家まで送り届けた後、俺は自宅に戻ってきた。
玄関のドアを閉めると、俺は大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
佳苗を安心させるため、平静を装っていたけれど、正直なところ俺自身も落ち着いてはいなかった。
あの血の付いた手紙は、一体何だったのだろう。
考えれば考えるほど、不安が膨らんでいく。
俺は、その封筒を手にしたまま、しばらく眺めていた。
誰かのイタズラだろうか。
それとも、何かの嫌がらせか。
そもそも、差出人の名前すら書かれていない。
気味が悪い。
そう思いながらも、俺は封筒を開けてみることにした。
中には、一枚の便箋が入っていた。
取り出した瞬間、俺は眉をひそめた。
便箋にも、封筒と同じような赤黒い染みが付いている。
まるで血が乾いた跡のようだった。
俺は慎重に便箋を広げた。
そこには、短い文章が並んでいた。
読み進めるうちに、俺の表情は険しくなっていく。
これは……。
イタズラなんかじゃない。
俺たちに向けられた、明確な脅迫だった。
「……何なんだよ、これ」
思わず声が漏れた。
手紙を持つ手に力が入る。
書かれている内容は、俺たちの異世界研究をやめろというものだった。
従わなければ、命はない。
しかも、最後には俺たちを監視しているとまで書かれている。
いったい誰が、何のためにこんなものを送ってきたんだ?
俺は便箋を見つめたまま、しばらく考え込んだ。
だが、一人で考えていても答えは出ない。
これは、みんなに知らせなければならない。
俺はすぐにスマホを手に取り、京子たちに連絡を入れた。
緊急で話したいことがある。
できるだけ早く集まってほしい。
そう伝えた。
京子には、もう一つ頼んだことがある。
「美穂は連れてこないでくれ。今回の件は危険かもしれない」
京子は少し心配そうな声で返事をしたが、最後には納得してくれた。
美穂には、まだ何も知らせないほうがいい。
あの子を巻き込むわけにはいかない。
◇◇◇
しばらくして、京子、健三、佳苗の三人が俺の家に集まった。
俺は、みんなの顔を見渡した。
「急に呼び出して悪い。実は、みんなに見てもらいたいものがあるんだ」
そう言って、テーブルの上に封筒を置いた。
京子が不安そうに封筒を見つめる。
「それって、何なの?」
「昨日の夕方、郵便受けに入っていた。最初はイタズラかと思ったんだけどな」
俺は封筒から便箋を取り出した。
赤黒い染みが、紙の一部を汚している。
「これを読んでくれ」
俺は便箋をテーブルの中央に置いた。
そこには、次のように書かれていた。
『最終警告』
速水知也、ならびにその仲間たちへ。
異世界に関することに、これ以上関わるな。
さもなくば、お前たちの命の炎は消えることになる。
我らに無駄な手間をかけさせるな。
残虐な死を迎えるか、生きる道を選ぶか。
好きに選べ。
我らは、いつもお前たちを監視している。
読み終えた三人は、しばらく言葉を失っていた。
最初に口を開いたのは京子だった。
「……これ、本当に私たちに向けたものなの?」
「ああ。俺たちの異世界研究をやめろってことだろうな」
「でも、どうしてこんなことを……」
佳苗が不安そうに便箋を見つめている。
健三は腕を組み、難しい顔をしていた。
「血のような染みまで付けるとは、随分と悪趣味な相手でござるな」
「本物の血かどうかも分からない。でも、少なくとも俺たちを脅そうとしているのは間違いない」
俺は便箋を見つめた。
異世界研究をやめろ。
そう書かれている以上、俺たちの活動を知っている人物がいるということだ。
いったい、どこから情報が漏れたんだ?
「もしかして、黒川なのか?」
俺がそう口にすると、京子が顔を上げた。
「黒川って、神戸の?」
「ああ。あの男なら、俺たちに嫌がらせをしてきてもおかしくない」
神戸での出来事が頭をよぎる。
黒川和夫。
あの地下資料室で、俺たちを危険な目に遭わせた男だ。
俺たちを閉じ込め、水が迫る中に置き去りにした。
あの男なら、今回のような脅迫をしてきても不思議ではない。
しかし、健三は首を横に振った。
「いくらなんでも、それは無理やりですぞ! 神隠しについて触れているなら、知也殿の意見も分かります。しかし、今回は違いますぞ!」
「どうしてだ? あの男ならやりかねないだろ!」
「警告の内容が異世界だからですぞ!」
健三は、テーブルの便箋を指さした。
「この手紙には、神戸の事件については何も書かれておりませぬ。異世界に関することに関わるなと、はっきり書かれているではありませぬか!」
京子も便箋に目を落とした。
「確かに、健三の言う通りだわ。今回の手紙は、神戸の事件ではなく、私たちの異世界研究そのものをやめろと言っているのよね」
「……すまん。ちょっと冷静じゃなかったかも」
俺は自分の言葉を振り返った。
神戸での出来事があったからといって、今回の相手まで黒川だと決めつけるのは早すぎる。
佳苗が、何も言わずに俺の背中へそっと手を当てた。
その優しさに、少しだけ気持ちが落ち着いた。
「例え今回の件が関係なかったとしても、神戸の事件は忘れてはならない」
俺がそう言うと、佳苗が小さくうなずいた。
「そうですね。ルルリちゃんのハンカチに警告の手紙がありましたし」
その言葉に、健三の表情が変わった。
「その恨みは拙者、忘れておりませぬぞ!」
健三にとって、あのハンカチは大切なものだった。
神戸での一件の際、追っ手から逃げる途中で落としてしまった、魔女っ子ルルリのハンカチ。
そこに残されていた警告のことも、俺たちは忘れていない。
京子が、二つの出来事を頭の中で整理するように話し始めた。
「そうなると、二つの警告があるわけね。これはマズイわね」
「ああ。神戸の件と今回の手紙。別々の相手なのか、それとも何かつながりがあるのか……」
「どちらにしても、私たちのことを知っている人がいるのは間違いないですね」
佳苗の言葉に、俺はうなずいた。
問題は、相手がどこまで俺たちのことを知っているのかということだ。
研究の内容だけなのか。
それとも、俺たち一人ひとりのことまで調べられているのか。
手紙の最後の一文が、頭から離れなかった。
『我らは、いつもお前たちを監視している。』
いつも監視している。
それは、いったいどういう意味なんだ?
俺たちの行動を、どこかから見ているということなのか。
それとも……。
「知也さん?」
佳苗の声で、俺は我に返った。
「ああ、悪い。ちょっと考え事をしていた」
そう答えながらも、俺は妙な違和感を覚えていた。
誰かに見られているような気がする。
もちろん、気のせいかもしれない。
だが、一度そう思ってしまうと、どうにも落ち着かなくなった。
俺は席を立ち、窓辺へと近づいた。
そして、外の様子を覗いた。
その瞬間、背筋が凍りついた。
道路の向こう側に、一人の男が立っていた。
帽子を深くかぶり、サングラスを掛け、さらにマスクまでしている。
顔はほとんど見えない。
男は、明らかにこちらを見ていた。
俺たちの家を。
いや、俺を。
まさか……。
俺と男の目が合った。
次の瞬間、男は慌てたように背を向け、走り去っていった。
「おい! 待て!」
思わず声を上げた。
しかし、男の姿はあっという間に見えなくなってしまった。
「知也、どうしたの?」
京子の声が聞こえた。
俺は窓の外を見つめたまま答えた。
「……今、外に誰かいた。俺たちのことを見ていたんだ」
その言葉を聞いた三人の表情が変わった。
部屋の空気が、一瞬で張り詰めた。
手紙に書かれていた言葉が、頭の中で繰り返される。
『我らは、いつもお前たちを監視している。』
あれは、ただの脅しではなかったのかもしれない。




