忘れられない一日
佳苗視点の話になります
私は八重樫佳苗。
最近、知也さんが生き生きしている。
異世界へ行くための研究に夢中になっている知也さん。
仲間たちと楽しそうに話し合い、新しい発見があるたびに目を輝かせている。
そんな姿を見るのは嬉しい。
でも、少しだけ寂しい。
もっと私のことも構ってほしいな……なんて思ってしまう。
だけど、今日は違う。
今日は知也さんとデートなの。
昨日、突然デートに誘ってくれたんだ。
以前、私との約束を破ってしまったお詫びらしい。
あのときは少し寂しかったけれど、今はそんなことよりも嬉しい気持ちでいっぱい。
だって、今日は知也さんと二人きりなんだから。
今日はデートだから、いつもより少しおしゃれをしてみた。
京子ちゃんみたいなミニスカート。
ちょっと恥ずかしいけれど、知也さんに見てもらいたい。
可愛いって言ってくれるかな……。
そんなことを考えながら、待ち合わせ場所で知也さんを待っていた。
◇◇◇
「佳苗、待たせたな」
知也さんがやって来た。
「いえ、私も今来たところです」
そう答えると、知也さんの視線が私の服装に向いた。
「あれ? 今日はいつもと雰囲気が違うな」
「そ、そうですか?」
「うん。ミニスカート、似合ってるよ。可愛いな」
「えっ……!」
思わず顔が熱くなった。
「本当ですか?」
「ああ。今日はいつもよりおしゃれしてきたんだな」
「はい。今日はデートですから……」
少し恥ずかしかったけれど、素直に伝えた。
「ありがとうございます。知也さんに褒めてもらえて、嬉しいです」
「そっか。それならよかった」
知也さんはいつものように笑った。
その笑顔を見ているだけで、朝から抱えていた緊張が少しずつ消えていく。
「じゃあ、行こうか」
「はい!」
私たちが向かったのは、水族館だった。
館内に入ると、大きな水槽の中を色とりどりの魚たちが泳いでいる。
「わあ……綺麗ですね」
「本当だな。こんなにたくさんの魚がいるんだな」
知也さんは水槽を覗き込みながら、興味深そうに魚たちを眺めていた。
研究の話をしているときとは、また違う表情。
私はそんな知也さんを見ているだけでも楽しかった。
しばらく館内を見て回ったあと、私たちはイルカのショーを見に行くことにした。
会場にはたくさんのお客さんが集まっていた。
やがてショーが始まり、イルカたちが水面を勢いよく泳ぎ始める。
トレーナーさんの合図に合わせて、イルカが大きくジャンプした。
「おおっ! すごい!」
知也さんが思わず声を上げた。
続いて、別のイルカが高く跳び上がり、見事なジャンプを披露する。
「おおーっ! 今の見たか、佳苗!」
「はい! すごかったですね!」
知也さんはまるで子供のようにはしゃいでいた。
その姿がおかしくて、私は思わず笑ってしまった。
「ん? どうした?」
「ふふっ。知也さん、すごく楽しそうですね」
「そりゃ楽しいだろ。あんなに高く跳べるなんて、すごいじゃないか」
そう言って、知也さんはまたステージに視線を戻した。
私はその横顔を見つめた。
こんなに楽しそうな知也さんを見られるなんて。
今日、誘ってくれて本当によかった。
ショーが終わると、私たちは次の展示エリアへ向かった。
そこには、クラゲの展示場があった。
館内は薄暗く、水槽の中では色とりどりの光に照らされたクラゲたちが、ゆっくりと漂っている。
「わあ……」
思わず声が漏れた。
まるで別の世界に迷い込んだような、幻想的な光景だった。
「綺麗ですね。なんだか時間がゆっくり流れているみたいです」
「確かにな。ずっと見ていられそうだ」
知也さんも水槽を眺めている。
そのときだった。
「暗いから、足元に気をつけろよ」
そう言って、知也さんが私の手を取った。
「えっ……」
突然のことに、心臓が跳ねた。
知也さんの手が、私の手を優しく包み込んでいる。
どうしよう……。
さっきから心臓がドキドキしてるよ。
知也さんにバレちゃうかな?
恥ずかしい。
でも……。
この手は離したくないな。
だって、今は私と知也さんとの幸せな時間なんだもん。
知也さんは何事もなかったように、私の手を握ったまま歩き始める。
「こっちの水槽も綺麗だぞ」
「は、はい……」
返事をするのが精いっぱいだった。
手のひらから伝わる温かさが、妙に意識されてしまう。
知也さんにとっては、暗い場所で私が転ばないように気遣ってくれただけなのかもしれない。
それでも、私は嬉しかった。
私はそっと知也さんの横顔を見上げた。
知也さんは、相変わらずクラゲを眺めている。
……もう少しだけ、このままでいたいな。
私は握られた手に、ほんの少し力を込めた。
◇◇◇
水族館を出た頃には、すっかり夕方になっていた。
帰り道、私は今日のことを思い返していた。
イルカのショーではしゃぐ知也さん。
クラゲの展示場で繋いだ手。
どれも、私にとって大切な思い出になった。
「今日はありがとうございました。とっても楽しかったです」
「そうか。それならよかった」
「また、一緒に来たいです」
「ああ。また来ような」
その言葉が嬉しくて、私は笑顔になった。
知也さんは、以前の約束を忘れてしまったことを気にしてくれていた。
でも、今日こうして一緒に過ごせたことが、私には何より嬉しかった。
また明日から、知也さんは研究に夢中になるのかもしれない。
それでも、今日のことを思い出せば、きっと頑張れる。
そんな気がした。
知也さんと一緒に帰宅し、玄関へ向かう前に、知也さんが郵便受けを開けた。
「あれ?」
知也さんの手が止まった。
「どうしたんですか?」
私が覗き込むと、郵便受けの中に一通の封筒が入っていた。
宛名も差出人の名前もない。
ただ、封筒の一部に赤黒い染みが付いていた。
まるで、血のような色だった。
「これ……」
思わず声が漏れた。
知也さんの表情から、さっきまでの穏やかな笑顔が消えていく。
楽しかった一日の終わりに、突然現れた不気味な封筒。
私は、胸の奥に冷たいものが広がっていくのを感じた。
知也さんは封筒を見つめたまま、静かに呟いた。
「……なんだよ、これ」
私の最高の一日が、こんな風になってしまうなんて。
この不気味な封筒を、今すぐにでも破り捨ててしまいたい。
そんな衝動に駆られた。
でも……。
出来ない。
知也さんが大切にしているものを、私が壊してしまうわけにはいかない。
それに……。
嫌われたくないから。
これで第三部は完了です




