ノイズに隠された信号
「今日は、ノイズの中から信号を見つける実験をしてみようと思います」
徹の言葉に、俺たちはパソコンの画面へ視線を向けた。
ここは徹が研究助手を務める大学の研究室。
前回は人間の耳では聞き取れない音の世界について実験したが、今回はさらに範囲を広げ、電波の世界を調べることになった。
神隠し事件の調査を通じて、俺たちは人間の感覚だけでは捉えられないものがあるのではないかと考えるようになった。
目に見えないもの。
耳に聞こえないもの。
そして、普段は意識することすらない情報。
それらを科学の力で捉えることができれば、今までとは違った発見があるかもしれない。
「ところで、ノイズって具体的には何のことなの?」
京子が徹に尋ねた。
「簡単に言えば、必要な情報に混ざってしまう不要な信号のことです。例えば、ラジオを聞いているときに、ザーッという音が入ることがありますよね。あれもノイズの一種です」
「なるほど。聞きたい声や音楽が、雑音に邪魔されている状態ね」
「そうです。ただし、ノイズは音だけではありません。電気信号にも、電波にも存在します」
徹が画面を操作すると、波形が表示された。
「これはホワイトノイズと呼ばれるものです。理想的には、周波数ごとの単位帯域幅あたりの電力がほぼ等しくなるノイズですね」
「ホワイトという名前だから、白い色に関係するのかと思ったでござる」
健三が画面を覗き込む。
「名前の由来は、白色光がさまざまな波長の光を含んでいることに例えたものです」
「なるほど。では、ピンクノイズというものもあるのでござるか?」
「ありますよ。ピンクノイズは、周波数が低くなるほど、単位帯域幅あたりの電力が大きくなる特徴があります」
「ふむふむ。なかなか奥が深いでござるな」
健三は真剣な表情で頷いた。
「二人とも、もう少し普通の言葉で説明してくれない?」
京子が困ったように言った。
「では、ルルリちゃんの話で例えるでござる」
「チェンジで!」
「そんな……。少しは考慮してくだされ」
健三が肩を落とす。
佳苗が優しく声をかけた。
「健三さん、ルルリちゃんが見てるから元気にしてください」
「ふおおー! そうでござった。拙者がしっかりしなくては!」
「はいはい、普通の説明よろしく」
「は、はいでござる!」
そのやり取りに、俺は思わず笑ってしまった。
「さて、ここから実際にノイズの中に信号が混ざった状態を見てみましょう」
徹が別の画面を開いた。
そこには、コンピューター上で作成した波形が表示されていた。
「これは実験用に作ったデータです。一定の周期で繰り返す信号に、ノイズを加えています。実際の電波を送信しているわけではありません」
「つまり、正解が分かっている信号を、わざとノイズで見えにくくしたわけだな」
「その通りです。まずは、どのような方法なら信号を見つけやすいか試してみます」
徹が画面を操作すると、波形の中に規則的な変化があることが分かった。
しかし、ノイズが重なっているため、ぱっと見ただけでは判断しにくい。
「これを何とかして見つけるのでござるな」
「はい。例えば、周波数の成分を調べたり、一定の周期で繰り返している特徴を探したりします」
「波形を時間の変化として見るだけではなく、周波数ごとの強さに分けて調べるわけか」
健三が画面を見ながら言った。
「そうです。周波数スペクトルを見れば、どの周波数にどれくらいの成分が含まれているかを確認できます。さらに、時間と周波数の変化を並べたウォーターフォール表示を使えば、信号がいつ現れたのかも追いやすくなります」
「なるほど。時間の流れも一緒に見られるのでござるな」
「ええ。ノイズに埋もれていても、信号に特徴的な規則性があれば、見つけられる可能性があります」
「でも、ノイズそのものにも規則性がある場合は?」
京子の質問に、徹は頷いた。
「いい質問です。だから、一度見つけただけでは判断できません。複数回の観測や別の条件での確認が必要になります」
「なるほどな。偶然それらしく見えただけかもしれないってことか」
俺が言うと、徹は笑顔で頷いた。
「その通りです」
「ところで、ノイズって人間の脳にもあるのかな?」
俺は画面を見ながら、ふと思いついた。
「脳にも電気的な活動がありますから、脳波のような信号を調べることはできます。ただ、ここで扱っている電波のノイズとは、意味が違いますね」
「じゃあ、佳苗の方向音痴も脳にノイズが入ってたりしてな」
「…………後で話そ?」
「ごめんなさい。許して」
佳苗がにっこりと微笑む。
「ダメ♡」
……やっぱりダメか。
このまま佳苗と目を合わせているのは、なんだか危険な気がする。
俺は助けを求めるように、慌てて京子たちの方へ振り向いた。
「きょ、今日はみんな俺の家に泊まらないか? 親睦を深めようじゃないか」
「……知也さん?」
「はい、すいません」
「うふふ」
そのやり取りを見ていた健三が、なぜか小さく身震いした。
「……何だよ、健三」
「い、いや。何でもないでござる」
健三は目を逸らした。
徹も苦笑いを浮かべながら、そっと視線をパソコンへ戻した。
「そ、それでは次は実際の電波を受信してみましょう」
徹は何事もなかったかのように、受信機の準備を始める。その後、机の上に置かれた小さな受信機を指差した。
「これはSDRという装置です。ソフトウェアで受信した電波を処理する仕組みで、対応する周波数の電波を受信して、パソコン上で解析できます」
「これで電波を送ることもできるのか?」
「今回使うものは受信専用です。電波を送信する機能はありません」
徹はそう説明しながら、アンテナと受信機を接続した。
「アンテナで受け取った電波を、受信機がデジタルデータに変換します。それをパソコンで処理するわけです」
「ラジオのように、音を聞くための装置とは違うのでござるな」
「ラジオも電波を受信していますが、SDRでは音声として聞くだけでなく、信号そのものを詳しく調べられます」
健三が画面を覗き込んだ。
「なるほど。これなら周波数を変えながら、いろいろな電波を確認できるのでござるな」
「そうです。まずは受信できる範囲を確認して、周波数を少しずつ変えながら様子を見てみましょう」
俺たちは画面に表示されたスペクトルを見つめた。
そこには、さまざまな強さの信号が並んでいた。
「思ったより、いろいろな電波が飛び交っているんだな」
「ええ。普段は意識しませんが、私たちの周囲には多くの電波が存在しています」
徹が受信状態を調整する。
「ただし、強い信号があれば必ず意味のある情報というわけではありません。周囲の電子機器から発生するノイズや、通信に使われている電波などもあります」
「つまり、見つけたものを一つずつ確認していく必要があるわけだ」
健三が頷いた。
「そうです。健三さん、少し操作をお願いできますか?」
「承知したでござる」
健三は慣れた手つきでマウスを動かし、受信する周波数を順番に切り替えていった。
「ここは放送局の信号が見えるでござるな。こちらは別の信号……。ふむ、こちらも一定の強さで出ているようでござる」
「健三、こういう操作には慣れているんだな」
「パソコンを使うのは好きでござるからな。必要なソフトを調べたり、設定を変更したりするのは苦ではないでござる」
「確かに、健三さんは詳しいですよね」
佳苗も感心したように画面を見ていた。
「しかし、これは……」
健三の手が止まった。
「どうした?」
「この周波数帯に、少し気になる信号があるでござる」
俺たちは健三の見ている画面に注目した。
そこには、周囲の信号とは少し違う形の表示があった。
「どれですか?」
徹が画面を確認する。
「ここでござる。周囲のノイズに埋もれているように見えるのでござるが、同じような変化が一定の間隔で現れているように見えるのでござる」
「確かに……」
徹がマウスを動かし、表示を切り替えた。
「スペクトルだけでは分かりにくいですね。ウォーターフォール表示にしてみましょう」
画面に時間の経過とともに信号の強さが表示された。
しばらく観察していると、似たような形の信号が繰り返し現れていることが分かった。
「これ、同じパターンが何度も出ているように見えるわね」
京子が画面を指差した。
「そうですね。ただ、これだけではまだ何とも言えません」
徹の表情が少しだけ変わった。
ほんの一瞬だったが、何かを気にしているようにも見えた。
「別の時間にも受信してみましょう。偶然のノイズなのか、それとも繰り返し発信されている信号なのかを確認する必要があります」
「分かった。記録を残しておこう」
健三が受信データを保存した。
その後、少し時間を置いてから、同じ周波数帯を再び確認した。
すると、先ほどと似たパターンがまた現れた。
「出たでござる!」
健三が声を上げた。
「本当だ。さっきと同じような間隔で現れている」
俺も画面を見つめた。
一度だけなら偶然かもしれない。
しかし、時間を置いて再び観測しても、似た特徴が確認できた。
「これは単なるノイズではない可能性がありますね」
徹が静かに言った。
「何らかの信号が、繰り返し発信されているということ?」
京子が尋ねる。
「その可能性はあります。ただし、発信元も目的も分かりません。既知の通信や機器から出ている信号ではないか、さらに調べる必要があります」
「つまり、正体不明の信号ということか」
「現時点では、そうなります」
俺は画面を見つめた。
規則的に現れる信号。
自然に発生したノイズとは違うように見える。
だが、それが何を意味するのかは、まだ分からない。
「この信号、何かのメッセージなのかもしれないでござるな」
健三が呟いた。
「可能性は否定できません。でも、今の段階で意味のある情報だと決めつけることはできません」
徹は慎重だった。
「そうだな。まずはデータを集めて、何が起きているのかを確かめよう」
俺がそう言うと、京子も頷いた。
「せっかく見つけたんだから、もう少し調べてみましょう」
佳苗も画面を見つめていた。
「何だか、不思議ですね。目にも見えないし、耳にも聞こえないのに、確かにそこにあるんですから」
「そうだな」
俺は改めて考えた。
人間の感覚だけでは、世界のすべてを捉えることはできない。
見えないもの、聞こえないもの。
それでも、科学の力を使えば、その存在を確かめられることがある。
もし、俺たちがまだ知らない何かが、この世界に存在しているとしたら……。
「知也殿、何を考えているのでござるか?」
健三の声で我に返った。
「いや。もしかしたら、俺たちが探している異世界への手掛かりも、こういうところに隠れているのかもしれないと思ってな」
「まだ何も分かっていないわよ」
京子がすぐに釘を刺した。
「分かってるって。可能性の話だよ」
「知也さんらしいですね」
佳苗が微笑んだ。
「でも、今回の発見は大きいと思います。少なくとも、今まで気付かなかった信号を見つけることができたんですから」
「そうだな。これは記録しておく価値がある」
俺はスマホを取り出した。
「SNSに投稿してみようかな。こういう信号に詳しい人がいたら、何か分かるかもしれない」
「詳しい受信条件やデータまで公開するのは、もう少し調べてからにした方がいいと思います」
徹が言った。
「分かってるよ。発見したことだけ簡単に書くつもりだ」
俺は、実験で得られた情報を整理し、具体的な周波数や受信条件などは伏せて投稿した。
『大学の研究室で電波の観測実験をしていたら、一定の間隔で繰り返される不思議な信号を発見した。ノイズに埋もれているように見えるけど、何か規則性があるようだ。電波に詳しい人がいたら、ぜひ意見を聞いてみたい』
投稿を終えると、俺はスマホを机に置いた。
「さて、これからどうなるかな」
誰かが興味を持ってくれるかもしれない。
あるいは、何の変哲もない信号だと分かるかもしれない。
今はまだ、何も分からない。
ただ一つ確かなのは、俺たちが新たな謎を見つけてしまったということだった。




