異世界は本当に存在するのか?
「皆の者、本日は拙者から差し入れがござる!」
知也の自宅に集まった俺たちの前で、健三が大きな箱をテーブルに置いた。
「おっ! 何だ、それ?」
「ケーキでござる!」
箱を開けると、中には色とりどりのケーキが並んでいた。
ショートケーキにチョコレートケーキ、モンブランにチーズケーキ。
人数分より少し多めに用意されている。
「わあ、美味しそう!」
京子が目を輝かせた。
「健三さん、ありがとうございます」
佳苗も嬉しそうに微笑む。
「健三にしては気が利くじゃないか」
俺がそう言うと、健三は胸を張った。
「拙者とて、いつも好き勝手にしているわけではござらん!」
「いつも好き勝手してる自覚はあるんだな」
「知也殿! そこは否定させていただきたいでござる!」
そんなやり取りをしていると、健三が急に姿勢を正した。
「実は皆の者、本日はもう一つ、話しておきたいことがござる」
さっきまでの陽気な表情とは違う。
健三は俺たちを見回し、深々と頭を下げた。
「此度の神戸での一件、拙者の勝手な行動で皆に迷惑をかけてしまった。誠に申し訳なかったでござる!」
突然の謝罪に、俺たちは顔を見合わせた。
「どうしたんだよ、急に」
「実は、神戸から戻った後、姉上に今回のことを話したのでござる」
健三は少し気まずそうに頭をかいた。
「神戸でルルリの限定品を見つけた拙者は、すっかり舞い上がってしまったのでござる。ホテルに戻ってからスマホで調べたところ、大阪にも別の限定品があると分かり……」
「それで、一人で大阪に行ったんだよね」
京子が確認する。
「左様でござる。どうしても欲しくなり、皆に相談もせず計画を立ててしまったのでござる」
「それをお姉さんに話したら?」
佳苗が尋ねた。
「こっぴどく叱られたでござる。仲間と一緒に調査をしている最中に、自分の趣味を優先して一人で行動するとは何事か、と。皆に迷惑をかけたのだから、きちんと謝ってきなさいと言われたのでござる」
なるほど。
健三の姉さんが怒るのも無理はない。
神戸では黒川たちに命を狙われるような危険な目に遭ったばかりだ。
そんな状況で仲間と離れ、一人で行動するのはあまりにも無謀だった。
「まあ、無事に戻ってきたんだから、もういいよ」
俺は健三の肩を軽く叩いた。
「そうだよ。私たちも無事だったんだし、あまり気にしないで」
京子も笑顔で答える。
「ただし、これからは一人で勝手に行動しないでくださいね」
佳苗が念を押すと、健三は何度も頷いた。
「心得たでござる! 今後は必ず皆に相談するでござる!」
その様子を見ていた美穂が、腕を組んで口を開いた。
「健三さん、それはないわ!」
「な、何と! 美穂殿には許してもらえぬのでござるか?」
「だって、みんなが真面目に調査してたのに、自分だけ好きなことを優先したんでしょ?」
美穂の言葉に、健三はうつむいた。
「うっ……。返す言葉もござらん」
「美穂の言うことももっともだな」
俺がそう言うと、健三はさらに小さくなった。
「皆の者、反省しているでござる……」
そのとき、健三が何かを思い出したように袋を取り出した。
「ところで美穂殿、実はもう一つ、大阪で買ってきた土産がござる」
「えっ? なになに?」
健三が袋から取り出したのは、小さなぬいぐるみだった。
魔女っ子ルルリのキーホルダータイプのぬいぐるみだ。
「わあっ! ルルリちゃんだ!」
美穂の表情が一瞬で明るくなった。
「大阪で見つけた限定品でござる。美穂殿にも喜んでもらえると思って買ってきたのでござるよ」
美穂はぬいぐるみを受け取ると、嬉しそうに眺めた。
「うんうん、そういう時ってあるよね」
「おい! さっきまでの話はどうなったんだよ!」
俺が思わず突っ込むと、京子も笑い出した。
「美穂、変わり身が早すぎるよ!」
佳苗も口元を押さえて笑っている。
「ふふっ。ルルリちゃんは可愛いもんね」
「おお! 佳苗殿にも分かっていただけたでござるな!」
美穂は大事そうにお土産を見ている。
「えへへ。ありがとう、健三さん!」
まったく、現金なものだ。
美穂は早速、ぬいぐるみを自分のスマホに取り付けていた。
健三もようやく安心したようで、満足そうに頷いている。
こうして、神戸での一件についての謝罪は、笑い声の中でひとまず終わった。
◇◇◇
ケーキを食べ終え、テーブルの上が片付いた頃、俺は改めて皆の顔を見た。
「さて、そろそろ本題に入ろうか」
「いよいよ研究再開だね!」
京子が背筋を伸ばした。
「甘いものを食べて英気も養ったでござる。どんな研究でもお任せあれ!」
「健三さん、今度はちゃんとみんなと一緒に行動してくださいね」
佳苗の言葉に、健三は慌てて頷いた。
「もちろんでござる!」
今日は及川徹にも来てもらっている。
徹は大学で物理学の研究に携わっている。俺たちだけでは判断が難しい科学的な問題について、専門家の立場から意見を聞きたいと思ったのだ。
「それで、今日はどこから始めるんですか?」
徹がテーブルに置かれたノートを見ながら尋ねた。
「まずは、俺たちが目指している異世界転移について、もう一度考えたい」
「異世界転移、ですか」
「ああ。そもそも、異世界は本当に存在するのか。そこが分からないまま、移動する方法ばかり考えても仕方がないと思ってな」
「確かに、そこは大事だね」
京子が頷いた。
「今まで神戸で調査した神隠しの事件も、異世界と関係があるかもしれないと思って調べてきたけど、結局、決定的な証拠は見つからなかったもんね」
「そうだな。昔の記録や証言はあったけど、それだけで異世界の存在を証明することはできない」
俺はノートを開いた。
「神隠しが本当に異世界への移動だったのか、それとも別の原因があったのか。今の段階では判断できない」
「つまり、まだ分からないことだらけということでござるな」
「そういうこと」
健三が腕を組んだ。
「しかし、拙者は異世界が存在すると信じているでござる!」
「信じることと、証明することは違うよ」
京子がすかさず突っ込む。
「むむっ。それは分かっているでござる!」
「まあまあ。健三さんの気持ちも分かるけどね」
佳苗が二人をなだめた。
「徹さんはどう思いますか? 異世界というものは、科学的に考えて存在する可能性があるんでしょうか?」
佳苗が尋ねると、徹は少し考えた。
「まず、異世界という言葉の意味を整理した方がいいと思います」
「意味を整理?」
俺が聞き返した。
「はい。例えば、地球とは別の惑星に存在する世界も、私たちとは異なる宇宙も、物語に出てくるような別の世界も、広い意味では異世界と呼べますよね」
「確かにそうだね」
京子が頷く。
「でも、それぞれ科学的な扱いは違います。地球以外の惑星なら天文学の対象ですし、別の宇宙という話なら宇宙論や理論物理学の領域になります」
「なるほど。異世界と一言で言っても、いろいろあるんだな」
「そうです。僕たちが研究したい異世界が、どのような世界なのかを明確にする必要があります」
「俺たちが目指しているのは、今いる地球とは違う世界だ。そこには、俺たちの世界には存在しない環境や生物、文化があるかもしれない」
「それって、魔法が使える世界も含まれるの?」
京子が目を輝かせた。
「そこまで言い出すと、話が広がりすぎるな」
「えーっ! でも、異世界といえば魔法じゃない?」
「拙者も同意でござる!」
健三が勢いよく手を挙げた。
「魔法が存在する世界には、ぜひとも行ってみたいでござる。できれば、魔女っ子ルルリのような魔法少女にも会ってみたい!」
「健三さんの場合、異世界に行きたい理由が少し違う気がします」
佳苗が苦笑した。
「そ、それは偏見でござる!」
みんなの笑い声が響く。
徹も楽しそうに笑っていた。
「でも、そういう世界を想像すること自体は悪くないと思います。大切なのは、想像したものを科学的に検証できる形にしていくことです」
「検証できる形か……」
俺は徹の言葉を繰り返した。
「以前、量子力学と並行世界について話し合ったことがあったよね」
京子が俺を見る。
「そうだな……。以前、徹にも相談しながら量子力学と並行世界について考えたことがあっただろ。あのときも思ったけど、量子の世界には、俺たちが普段目にしている世界とは違う、不思議な性質があるんだ」
「多世界解釈のことだね」
徹が話を引き継いだ。
「量子力学には、観測結果をどのように理解するかについて、いくつかの解釈があります。その一つが多世界解釈です」
「観測するたびに世界が分かれるっていう考え方だよね?」
京子が確認する。
「そうです。簡単に言えば、量子現象の結果として起こり得る複数の可能性を、それぞれ別の世界として捉える考え方です。ただし、これは量子力学の解釈の一つであって、別の世界が存在することを直接確認できたわけではありません」
「じゃあ、私たちが別の世界に行ける可能性もあるってこと?」
「そこは別の問題です。並行世界の存在を考えることと、そこへ移動できることは同じではありません。現在の物理学では、別の世界へ移動する方法は分かっていないんです」
京子は少し残念そうな顔をした。
「そっか。やっぱり簡単にはいかないんだね」
「簡単にいかないからこそ、研究する価値があるんじゃないか」
俺はそう答えた。
「異世界が存在する可能性を考えるだけじゃなく、もし存在するとしたら、どんな仕組みで私たちの世界と関係しているのかを考えたい」
「世界と世界を隔てているもの、ということでござるな?」
健三が口を挟んだ。
「そうだ。空間なのか、時間なのか。それとも、俺たちがまだ知らない物理現象なのか」
「なるほど。異世界への扉を探すということでござるな!」
「扉って……。健三、急にファンタジーになってるわよ」
京子が笑う。
「しかし、知也殿が目指しているのは、まさにその扉を見つけることでござろう?」
健三の言葉に、俺は少し考え込んだ。
確かに、そうなのかもしれない。
ただし、その扉は建物にあるドアのようなものとは限らない。
俺たちの目には見えない現象や、普段は認識できない何かが、世界と世界をつなぐ手掛かりになる可能性だってある。
「徹さん。今の科学では、私たちが認識できないものって、どれくらいあるんですか?」
佳苗が尋ねた。
「そうですね。例えば、光です。人間の目で見える光には限られた範囲があります。赤外線や紫外線は目には見えませんが、確かに存在しています」
「赤外線は、テレビのリモコンにも使われているよね」
京子が言った。
「はい。目には見えなくても、機械を使えば検出できます。音も同じです」
「音?」
俺は徹の言葉に反応した。
「人間の耳には聞こえる音と、聞こえない音があるんです。一般的に、人間が聞き取れる周波数の範囲は、およそ20ヘルツから20キロヘルツとされています」
「20キロヘルツより高い音は聞こえないの?」
「多くの人には聞こえません。そうした高い周波数の音を超音波と呼びます。反対に、20ヘルツより低い音は低周波音や超低周波音として扱われます」
「でも、聞こえないだけで、音そのものは存在しているんだよね?」
京子が尋ねた。
「その通りです。例えば、コウモリは人間には聞こえない高い周波数の音を利用しています。犬や猫も、人間とは異なる音の範囲を聞き取ることができます」
「つまり、動物たちには聞こえているのに、人間には聞こえない音があるということでござるか!」
健三が身を乗り出した。
「そういうことです」
「それは面白いな」
俺はノートに書き込んだ。
人間の目には見えない光。
人間の耳には聞こえない音。
それでも、科学的な方法で測定すれば、その存在を確認できる。
「もしかしたら、俺たちが普段認識していない何かが、異世界への手掛かりになるかもしれない」
「知也、それはちょっと飛躍しすぎじゃない?」
京子が指摘した。
「分かってる。今の段階では仮説にもなっていない。ただ、可能性を考えるきっかけにはなると思うんだ」
「確かに、最初から否定する必要はないですね」
徹も頷いた。
「ただし、聞こえない音があることと、異世界が存在することは別の話です。そこを混同しないようにしましょう」
「分かってる。まずは、俺たちが知らない現象を知ることから始めよう」
佳苗がノートを覗き込んだ。
「人間の耳で聞こえる音の範囲は、年齢によっても変わるんですよね?」
「はい。一般的に、年齢を重ねると高い周波数の音が聞こえにくくなる傾向があります。もちろん個人差もありますけどね」
「ということは、同じ場所にいても、若い人と年配の人では聞こえている音が違う可能性があるんだ」
俺が言うと、徹は頷いた。
「そうです。人間の聴覚には限界があります。自分に聞こえないからといって、そこに音が存在しないとは限らないんです」
その言葉が、妙に心に残った。
俺たちは、自分たちが見たり聞いたりできるものを、世界のすべてだと思い込んでいるのかもしれない。
でも、実際にはそうではない。
目に見えないものも、耳に聞こえないものも、測定することで存在を確認できる。
ならば、今まで誰も気づかなかった現象が、まだどこかに隠れている可能性はないだろうか。
「よし。次は人間の聴覚について詳しく調べてみよう」
俺はノートに新しい項目を書き加えた。
「人間が聞き取れる周波数の範囲。年齢による違い。それから、超音波や超低周波音についても調べたい」
「面白そうだね!」
京子が笑顔で頷く。
「動物の聴覚も比較してみたいですね。人間とは違う音を聞いているなら、何か発見があるかもしれません」
佳苗も興味を示した。
「拙者は、犬たちにも協力をお願いしたいでござる!」
「健三さん、動物に研究の説明をするんですか?」
「もちろんでござる! 彼らの意見も重要でござろう!」
「いや、動物は言葉で答えてくれないだろ」
俺が突っ込むと、みんなが笑った。
徹も笑いながら口を開いた。
「動物の聴覚を調べる方法ならありますよ。音を出す装置や測定機器を使えば、人間には聞こえない音がどのように存在しているかを調べられます」
「それだ! まずは測定してみよう」
「ただし、動物を使った実験をするなら、負担をかけない方法を考えないといけませんね」
佳苗の言葉に、俺は頷いた。
「もちろんだ。無理に音を聞かせたりするつもりはないよ」
俺たちの新しい研究テーマが、少しずつ形になってきた。
異世界が本当に存在するのか。
そして、もし存在するのなら、そこへつながる手掛かりはどこにあるのか。
まだ答えは見つからない。
それでも、俺たちには調べるべきことがある。
「ところで、知也」
話し合いが一段落したところで、徹が俺に声をかけた。
「何だ?」
「人間に聞こえない音があるという話ですが、実は僕たちの身近なところにも、まだ知られていない現象があるかもしれませんね」
「そうだな。まずは身近なところから調べていこう」
「はい。僕も協力します」
徹は穏やかに微笑んだ。
その表情を見て、俺は改めて頼もしい仲間が加わってくれたことを実感した。
こうして、俺たちの研究は新たな段階へと進み始めた。
人間の耳には聞こえない世界。
そこに、異世界への手掛かりは隠されているのだろうか。
まだ誰も、その答えを知らない。
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