戻ってきた警告
東京に戻ってから、数日が経った。
神戸での出来事は、まだ俺たちの心に重く残っていた。
地下室に閉じ込められたこと。
松明を持った連中に追いかけられたこと。
そして、あの老人、黒川和夫。
思い返せば、どれも普通では考えられない出来事ばかりだった。
それでも、東京での生活は少しずつ日常を取り戻していた。
今日は冬に備えて、新しい服を買いに出かけることにした。
神戸に行く前から着ていた上着も、そろそろくたびれてきている。
「さすがに、今年の冬は新しいコートが欲しいな」
そんなことを考えながら、俺は大森駅に隣接する商業施設、アソレ大森へ向かった。
駅周辺は休日ということもあり、多くの人で賑わっている。
買い物に来た人、電車を利用する人、待ち合わせをしている人。
いつもの東京の風景だ。
衣料品店に入ると、冬物のコートやセーターが並んでいた。
「うーん……。どれにするかな」
何着か手に取り、鏡の前で合わせてみる。
黒のコートも悪くないが、少し明るい色のものも気になる。
結局、何着か試着した後、気に入ったコートとセーターを購入することにした。
買い物袋を手に店を出ようとした、そのときだった。
「あの、すみません」
後ろから女性の声がした。
振り返ると、見知らぬ女性が立っていた。
年齢は二十代後半くらいだろうか。
特に目立つ格好でもなく、どこにでもいそうな普通の女性だった。
「はい?」
女性は俺の顔を一度確認すると、小さな箱を差し出してきた。
「こちらを受け取っていただけますか?」
「えっ? 俺にですか?」
「はい。あなたに渡すように頼まれたんです」
「誰からですか?」
「すみません。私は頼まれただけなので」
女性はそれ以上何も説明しなかった。
俺は戸惑いながらも、差し出された箱を受け取った。
手のひらに収まるほどの小さな箱だった。
「ちょっと待ってください。これ、誰から頼まれたんですか?」
そう尋ねたときには、女性はもう歩き始めていた。
しかも、一度も振り返ろうとしない。
「すみません!」
俺は慌てて後を追った。
しかし、女性は人混みの中を迷うことなく進んでいく。
買い物客や駅へ向かう人々が次々と目の前を横切る。
ほんの一瞬、別の人に視界を遮られた。
その隙に、女性の姿を見失ってしまった。
「くそっ……。どこに行った?」
周囲を見回したが、それらしい姿は見つからない。
仕方なく、俺は立ち止まった。
手元には、女性から渡された小さな箱が残っている。
「何なんだ、いったい……」
誰かからの贈り物だろうか。
そう考えると、少しだけ気分が浮き立った。
もしかしたら、何かのお礼かもしれない。
いや、そもそも俺に箱を渡す理由が思い当たらない。
「まあ、帰ってから開けてみるか」
俺は箱を買い物袋の中にしまい、そのまま帰宅することにした。
◇◇◇
自宅に着くと、購入した冬服を取り出し、クローゼットにしまった。
新しいコートをハンガーに掛けながら、ふと思い出す。
「あっ、そういえば……」
買い物袋の中に、まだ小さな箱が入ったままだった。
俺は箱を取り出し、テーブルの上に置いた。
改めて見ると、何の変哲もない小さな箱だ。
送り主の名前も、宛名もない。
「何が入っているんだろうな」
少し期待しながら、箱を開けた。
その瞬間、俺の手が止まった。
中には、一枚のハンカチが入っていた。
見覚えのある柄。
ピンク色を基調にした、魔女っ子ルルリのハンカチだった。
そして、そのハンカチには一通の手紙が包まれていた。
「……何だ、これ?」
俺はハンカチを取り出し、手紙を開いた。
そこには、短い文章が書かれていた。
『余計な詮索はするな。
誰にも話すな。
我々はいつでも行動に移せる。
次はないと思え。』
読み終えた瞬間、背筋が冷たくなった。
これは警告だ。
しかも、神戸での出来事を知っている者からの。
俺はしばらく手紙を見つめていた。
どうして、このハンカチがここにある?
これは、神戸で健三が落としたもののはずだ。
あのとき、追跡者たちから逃げる途中で落としてしまった。
健三は取りに戻ろうとしたが、俺が止めた。
あの場で戻っていたら、全員が危険にさらされていたかもしれない。
それでも、健三にとっては大切な品物だった。
「まさか……」
俺はすぐにスマホを手に取り、みんなに連絡を入れた。
◇◇◇
しばらくして、京子、佳苗、健三が集まった。
俺はテーブルの上に箱とハンカチ、そして手紙を並べた。
「これを見てくれ」
「何、それ?」
京子が手紙を手に取った。
佳苗も隣から覗き込む。
二人が文章を読み終えると、部屋の空気が一気に重くなった。
「これって……神戸でのことだよね?」
京子が不安そうに呟いた。
「間違いないと思う。神戸で俺たちが黒川たちに追われたことを知っている人間からの警告だ」
「でも、どうして東京に戻ってきたことまで分かっているんでしょう?」
佳苗が心配そうに尋ねる。
「そこなんだ。実は、今日アソレ大森で買い物をしていたときに、知らない女性からこの箱を渡されたんだ」
俺は、女性とのやり取りを説明した。
「女性は俺の顔を確認してから箱を渡してきた。誰から頼まれたのか聞いても答えず、そのまま立ち去ってしまった。追いかけたけど、人混みに紛れて見失ったよ」
「顔を確認していたんですか?」
「そう。俺の名前を聞いたわけでも、住所を尋ねたわけでもない」
健三が腕を組み、険しい表情を浮かべた。
「ふむ……。黒川という老人、我らが神戸から逃げ出すことまで想定していたのかもしれぬな」
「どういうこと?」
京子が尋ねる。
「拙者たちが神戸での一件を他言せぬよう、あらかじめ東京での手段を用意していたのでござろう。顔さえ分かっていれば、我らを見つけることは可能でござる」
「確かに……。黒川なら、それくらい用意していてもおかしくないな」
俺も同意した。
あの老人は、最初から俺たちを地下室へ案内するために近づいてきた。
俺たちが逃げ出した後も、何かしらの手を打っていたとしても不思議ではない。
「でも、この女性は黒川の仲間だったのかな?」
京子が首を傾げる。
「そこまでは分からない。単に頼まれて箱を渡しただけかもしれないし、俺たちを監視していた人間かもしれない」
「気味が悪いですね……」
佳苗が小さく息を吐いた。
そのとき、俺はふと思い出した。
「あっ! ホテルにチェックインする時に住所書いてたわ」
「ヤバ! ホテルにも関係者がいたの?」
京子が驚いたように声を上げた。
「それはわからないが、大森駅まで来たなら、それしか考えられん」
「でも、ホテルの人が住所を漏らしたってこと?」
佳苗が不安そうに尋ねる。
「可能性はある。ただ、ホテルの人間が黒川たちとつながっているのか、それとも別の方法で調べたのかは分からない」
俺はそう答えながら、改めて警告文を見つめた。
黒川たちは、俺たちの顔だけでなく、東京での居場所まで突き止めているのかもしれない。
健三が腕を組み、険しい表情を浮かべた。
「黒川という老人、なかなか用意周到な男でござるな……」
そのときだった。
健三は、テーブルの上に置かれたハンカチをじっと見つめていた。
「どうした、健三?」
健三は一瞬、身を強張らせた。
そして、ハンカチを手に取ると、目を大きく見開いた。
「こ、これは……!」
「もしかして、健三の?」
京子が尋ねる。
「間違いないでござる! これは拙者が神戸で落とした、ルルリ殿のハンカチでござる!」
健三の顔が、みるみる明るくなった。
「おおっ! 戻ってきたでござるか! よくぞ戻ってきてくれた!」
ハンカチを両手で大切そうに持ち上げる。
「さすがは拙者の嫁! 離れていても、必ず拙者の元へ帰ってきてくれるのでござるな!」
「いや、健三。ハンカチはルルリ本人じゃないからな……」
「何を申す、知也殿! ルルリ殿の想いが込められた大切な品でござるぞ!」
健三は本当に嬉しそうだった。
神戸で落としたとき、どれほど悔しがっていたかを知っているだけに、俺も少し安心した。
しかし、健三はもう一度手紙に目を向けた。
そして、笑顔が消えた。
「……だが、これは許せぬ」
「健三?」
「大切なルルリ殿のハンカチを、このような脅しの道具に使うとは……。許しがたい所業でござる!」
健三の声には、いつもの冗談めいた調子はなかった。
「俺たちに対する警告を届けるために、わざわざこのハンカチを使ったんだろうな」
「つまり、我らが神戸で何をしていたのか、すべて把握しているということでござるか」
「そう考えるのが自然だと思う」
京子は手紙をもう一度見つめた。
「誰にも話すな、か……。私たちが警察に相談したことも、知っているのかな?」
「それは分からない。ただ、俺たちの行動を調べている可能性はある」
佳苗が不安そうに口を開いた。
「もし、私たちの自宅や普段の行動まで知られていたら……」
その言葉に、俺たちは黙り込んだ。
黒川たちは、神戸で俺たちを地下室に閉じ込めた。
さらに、追跡者たちを使って逃げ道を塞ごうとした。
そして今度は、東京に戻った俺たちに警告を送りつけてきた。
偶然ではない。
明らかに、俺たちの行動を追っている。
「みんな、しばらくは注意した方がいいな」
俺はそう告げた。
「一人で行動するのは避けた方がいいかもしれない。特に、知らない人から声をかけられたときは気をつけよう」
「そうですね。私も気をつけます」
佳苗が頷く。
京子も不安そうな表情を浮かべながら、同意した。
健三はハンカチを丁寧に畳み、胸元にしまった。
「拙者も警戒を怠らぬでござる。ルルリ殿を守るためにも!」
「いや、今は俺たち自身を守ることも考えてくれよ」
「もちろんでござる!」
健三は力強く答えた。
少しだけ、いつもの雰囲気が戻った。
しかし、俺の心にはまだ不安が残っていた。
黒川たちは、なぜ俺たちをそこまで警戒しているのだろう。
神戸で調べていた神隠しの記録。
あの地下室に隠されていた資料。
そして、黒川が俺たちに見せようとしていたもの。
何かを知られることを恐れているのだろうか。
それとも、俺たちが調べていること自体が、彼らにとって都合の悪いことなのか。
考えれば考えるほど、疑問は増えていく。
「知也、これからどうするの?」
京子が尋ねた。
俺はテーブルの上に置かれた手紙を見つめた。
誰にも話すな。
余計な詮索はするな。
次はないと思え。
まるで、俺たちの行動を止めようとしているようだった。
だが、ここで研究をやめるわけにはいかない。
神隠しの謎は、まだ解けていない。
異世界が本当に存在するのか。
存在するなら、そこへ行くことはできるのか。
俺たちは、その答えを見つけるために研究会を始めたのだ。
「研究を再開しよう」
俺は、みんなの顔を見回した。
「神戸での調査で分かったことを整理して、もう一度、異世界転移について考えてみたい。黒川たちが何を隠しているのかも気になる。でも、今は俺たち自身の研究を進めることが先だと思う」
「私は賛成だよ。ここでやめたら、今まで調べてきたことが無駄になっちゃう」
京子が力強く答えた。
「私も知也さんと一緒に研究を続けたいです」
佳苗も頷いた。
「拙者も異存はござらぬ。未知なる世界への道を探ることこそ、我らの本懐でござる!」
健三らしい言葉に、俺は思わず笑った。
もちろん、不安がなくなったわけではない。
むしろ、これから先は今まで以上に慎重にならなければならないだろう。
それでも、俺たちは前に進む。
神戸での出来事は終わったわけではなかった。
黒川たちは、東京に戻った俺たちのことを今も見ているのかもしれない。
それでも、俺たちの研究を止めることはできない。
異世界は本当に存在するのか。
そして、俺たちはそこへ行くことができるのか。
その答えを見つけるために、俺たちは再び歩き始めることにした。




