束の間の休息
東京に戻ってから、数日が経った。
神戸で起きた一連の出来事を整理するため、俺たちは毎日のように集まっていた。
図書館で調べた新聞記事の内容、町の人から聞いた話、そして黒川和夫に案内された神社の地下資料室。
それぞれが覚えていることを書き出し、情報を照らし合わせる。
ただ、神戸での出来事は、まだ何ひとつ解決していない。
黒川の正体も、俺たちを襲った連中の目的も分からないままだ。
そんな状況が続いていたある日。
「ねえ、みんな。今日は少し休まない?」
京子が突然そんなことを言い出した。
「休むって?」
「スーパー銭湯にでも行かない? 神戸から帰ってきてから、ずっと調べものばかりでしょう。たまには気分転換も必要よ」
確かに、京子の言う通りだった。
神戸での一件以来、俺たちは落ち着いて休む時間をほとんど取っていない。
「拙者も賛成でござる! 広い湯船に浸かり、日頃の疲れを癒やすのは大切なことでござるからな」
健三が珍しく素早く賛成した。
「健三は、単に風呂に入りたいだけじゃないのか?」
「むっ、知也殿。拙者とて休息の重要性は理解しているでござる!」
「はいはい。分かったよ」
佳苗も小さく笑った。
「私も行きたいです。みんなでゆっくりできるといいですね」
「美穂も誘ってみたらどうだ?」
俺が京子に尋ねると、京子は嬉しそうに頷いた。
「そうね。美穂もきっと喜ぶわ」
その後、京子が美穂に連絡を取ると、すぐに行きたいという返事が来た。
徹にも声をかけてみたが、今日はどうしても外せない用事があるらしく、残念ながら参加できなかった。
こうして俺たちは、知也、健三、京子、佳苗、美穂の五人でスーパー銭湯へ出かけることになった。
◇◇◇
スーパー銭湯に到着すると、俺と健三は男湯へ、京子と佳苗、美穂は女湯へ向かった。
久しぶりの大きな風呂に、俺は思わず息を吐いた。
「はあ……。やっぱり広い風呂は気持ちいいな」
「まったくでござる。日頃の疲れが溶けていくようでござるな」
健三も満足そうに湯船に浸かっている。
俺たちはしばらく湯船でのんびりした後、身体を洗うために洗い場へ移動した。
そして、健三が使っている洗い場を見た俺は、思わず足を止めた。
そこには、見覚えのあるピンク色のボトルが置かれていた。
魔女っ子ルルリのシャンプーだった。
しかも、キャラクターのイラストが大きく描かれている。
……またかよ。
俺は何も見なかったことにして、そっと隣の洗い場から離れた。
「知也殿? どちらへ行かれるのでござるか?」
「いや、俺はあっちで洗うよ」
「そうでござるか?」
健三は不思議そうに首を傾げていた。
俺は余計なことを聞かれる前に、別の場所へ移動した。
あいつは本当に、どこへ行ってもルルリと一緒なんだな。
◇◇◇
一方、女湯では京子たちも湯船に浸かっていた。
「ふう……。気持ちいいね、京子ちゃん」
佳苗が肩まで湯に浸かりながら、ほっとした表情を浮かべる。
「そうね。こうしてゆっくりするのも久しぶりだわ」
「神戸から帰ってきてから、ずっと忙しかったもんね」
美穂も気持ちよさそうに湯船で手足を伸ばしている。
「知也さんたちも、ゆっくりできているといいですね」
佳苗がそう言うと、京子は小さく頷いた。
「知也は、何でも自分で抱え込もうとするところがあるからね。もう少し周りを頼ってくれてもいいのに」
「でも、佳苗ちゃんもそうよ。いつも周りのことばかり気にして、自分のことは後回しにしているでしょう?」
「えっ? そ、そんなことないですよ」
佳苗は少し困ったように笑った。
「ふふっ。二人とも似てるところがあるね」
美穂が二人を見比べる。
「そうかしら?」
「うん。知也もそうだけど、みんな心配性なんだよ」
「美穂に言われると、何だか説得力がないわね」
京子が笑うと、佳苗もつられて笑った。
しばらくして、美穂が思い出したように口を開いた。
「そういえば、健三は相変わらずだったわね」
「そうね。神戸でも魔女っ子ルルリのグッズを見つけた途端、目の色が変わっちゃって」
京子は呆れたように笑った。
「健三、ルルリが大好きだもんね!」
美穂は嬉しそうに言った。
「本当にね。あそこまで夢中になれるものがあるのは、ある意味すごいと思うわ」
「美穂もルルリが好きだもんね」
佳苗が微笑む。
「うん! 健三とはルルリ仲間だよ!」
美穂は胸を張った。
その言葉に、京子と佳苗は顔を見合わせて笑った。
神戸での緊張した時間が嘘のように、女湯には穏やかな笑い声が響いていた。
◇◇◇
風呂から上がった俺は、休憩スペースにあるリクライニングチェアに身体を預けていた。
「ああ……。これは動きたくなくなるな」
背もたれに身体を沈め、目を閉じる。
温まった身体に、休憩スペースの心地よい空気が気持ちいい。
神戸での出来事を思い出すと、まだ胸の奥に重たいものが残っている。
けれど、今は少しだけ忘れてもいいだろう。
そう思いながら、俺はゆっくりと息を吐いた。
そのときだった。
顔に、ひんやりとした感触が落ちてきた。
「ん?」
次の瞬間、視界が真っ暗になった。
顔の上に、濡れたタオルが乗せられている。
「コラ! やめろっ!」
俺は慌ててタオルを取り払った。
すると、すぐ近くから笑い声が聞こえてきた。
「お客様、お静かにお願いします」
スタッフの声が飛んできた。
「あっ、すいません」
俺は慌てて頭を下げた。
少し離れたところでは、美穂が口元を押さえて笑っている。
「美穂! お前なあ!」
「だって、知也が気持ちよさそうに寝てるんだもん」
「だからって、何で濡れたタオルを顔に乗せるんだよ!」
美穂は悪びれる様子もなく、楽しそうに笑っていた。
まったく、油断も隙もない。
俺が呆れていると、美穂がこちらへ近づいてきた。
今度は、さっきのいたずらを謝りに来たのだろうか。
「知也」
「ん?」
美穂は少しだけ表情を柔らかくして、俺の顔を見上げた。
「怒ってる知也より、笑ってる知也のが好きだよ」
「……これじゃ怒るに怒れないな」
俺は苦笑した。
美穂は満足そうに笑うと、俺の隣に腰を下ろした。
その笑顔を見ていると、こちらまで自然に笑顔になってしまう。
◇◇◇
その後、京子たちも休憩スペースに合流した。
少し休んでから、俺たちは館内の食事処へ向かった。
それぞれ好きな料理を注文し、テーブルを囲む。
風呂上がりの食事は、いつもより美味しく感じられた。
「知也、お疲れ様」
京子が俺のグラスにビールを注いでくれた。
「知也さん、色々ありがとう」
佳苗もグラスを手に取り、俺にビールを注いでくれる。
「二人ともありがとう。俺だけじゃないよ。みんながいたから、ここまで来られたんだ」
俺がそう答えると、京子は少し照れたように笑った。
「そうね。これからもみんなで頑張りましょう」
「はい。私も頑張ります」
佳苗も笑顔で頷いた。
その様子を見ていた美穂が、突然むっとした顔をした。
「お姉ちゃん、その男はダメ男だからね!」
「この状況でそれ言う?」
俺は思わず美穂に突っ込んだ。
「ふんっ、私は認めないからね」
「いや、何を認めないんだよ」
「知也が調子に乗るから!」
美穂はぷいっと顔を背けた。
京子は困ったように笑い、佳苗は口元を押さえている。
健三も、面白そうにこちらを見ていた。
「知也殿は、なかなか手厳しい評価を受けておられるようでござるな」
「健三まで何を言ってるんだよ」
「拙者は事実を述べただけでござる」
「どこが事実なんだ!」
テーブルに笑い声が広がった。
美穂はまだ少し不満そうだったが、料理を口に運ぶうちに、いつもの笑顔に戻っていった。
こうしてみんなで食事をしていると、神戸での出来事が遠い昔のことのように思える。
もちろん、黒川のことも、地下資料室のことも、俺たちを襲った連中のことも忘れたわけじゃない。
解決しなければならない問題は、まだ山ほど残っている。
それでも、こうして仲間と笑い合える時間がある。
それだけで、また前に進める気がした。
「さて、そろそろ帰るか」
俺がそう言うと、みんなが頷いた。
「そうね。今日はゆっくり休めたわ」
「私も楽しかったです」
「美穂も楽しかった!」
「拙者も十分に英気を養えたでござる!」
「健三は、いつも元気そうだけどな」
「それとこれとは別でござる!」
また笑い声が起こる。
束の間の休息。
神戸で張り詰めていた心と身体を、少しだけ休めることができた。
明日からは、また調査と研究の日々が始まる。
俺たちが目指す異世界転移への道は、まだ遠い。
それでも、一歩ずつ進んでいこう。
仲間たちと一緒なら、きっと大丈夫だ。
これで第二部は完了です。
次から第三部になります。
ここまで読んでくれてありがとうございました




