オフ会
オフ会という集まりがある。
SNSやオンラインゲームなどを通じて知り合い、インターネット上で仲良くなった人たちが、実際に顔を合わせて交流するイベントのことだ。
俺たちも、そんなオフ会で知り合った仲間だった。
土曜日の昼下がり。
駅前にある喫茶店は、買い物客や待ち合わせをする人たちで賑わっていた。店内にはコーヒーの香ばしい匂いが漂い、窓際の席には午後の日差しが差し込んでいる。
そんな喫茶店の一角に、俺たち三人は集まっていた。
「実は俺、昨日会社を辞めてきたんだ」
俺はアイスコーヒーを一口飲んでから、二人に告げた。
「……は?」
目の前に座る京子が、ストローをくわえたまま固まった。
「昨日って、金曜日よね?」
「そうだぞ」
「会社を辞めたって……退職したってこと?」
「そういうことだ」
京子はストローから口を離し、呆れたように俺を見つめた。
「バカじゃないの?」
「……同意ですぞ」
隣に座る健三まで、眼鏡の奥から冷ややかな視線を向けてくる。
おいおい、いきなりそれかよ。
せっかく重大発表をしたというのに、二人の反応はあまりにも冷たかった。
ちなみに、俺たちは年齢も職業もバラバラだが、敬語は禁止というルールを設けている。
最初はインターネット上の趣味仲間だったが、何度かオフ会を重ねるうちに、いつの間にか気兼ねなく話せる関係になっていた。
そして、今回集まったのがこのメンバーだ。
まず、目の前に座っているのが宮根京子。
近くの大学に通う学生で、読者モデルもしている。
ピンク色のツインテールがよく似合う、華やかな美少女だ。服装にも気を遣っていて、今日もおしゃれな格好をしている。
ただし、見た目の可愛らしさに騙されてはいけない。
頭の回転が速く、思ったことを遠慮なく口にする。特に俺に対しては容赦がない。
そして、隣に座っているのが富永健三。
IT系の企業に勤めていて、パソコンやプログラミングに関してはかなり詳しい。
眼鏡に黒髪の長髪、チェック柄のシャツという、いかにもオタクといった風貌だ。
普段はのんびりしているが、パソコンや電子機器の話になると目の色が変わる。
ちなみに、なぜか自分のことを「拙者」と呼び、「ござる」という独特の口調で話す。
そして、俺が速水知也。
年齢は二十五歳。
このメンバーの中では最年長なのだが、どういうわけか二人から尊敬されている気配はない。
まあ、そんなことはどうでもいい。
今はもっと重要な話がある。
「それで、会社を辞めてどうするつもりなの?」
京子が頬杖をつきながら尋ねてきた。
「決まってるだろ。マジで異世界に行こうと思っているんだ」
「……はぁ?」
京子の目が細くなる。
健三はというと、さっきまで冷めた表情をしていたのに、少しだけ身を乗り出した。
「異世界……ですかな?」
「そうだ。剣と魔法があって、魔物がいて、冒険者がいて、見たこともない景色が広がっている。そんな世界だよ!」
気がつけば、俺はテーブルに身を乗り出していた。
異世界のことを考えるだけで、胸が高鳴る。
子供の頃から、ずっと憧れていた世界だ。
ライトノベルやアニメを見ては、もし自分があの世界に行けたらと何度も妄想してきた。
でも、いつまでも妄想しているだけじゃ何も変わらない。
だから俺は決めた。
本気で異世界を目指すことにしたのだ。
「いやいや、ちょっと待って。異世界に行くって、どうやって?」
京子が当然の疑問を口にした。
「それをこれから考えるんだよ」
「何も決まってないじゃない!」
「まあまあ、落ち着くでござる。知也殿、何か考えがあるのでござろう?」
さすが健三だ。
話の分かる男である。
「もちろんだ。俺なりにいろいろ考えてみたんだ」
「へえ。聞かせてもらおうじゃない」
京子は呆れた表情を浮かべながらも、ストローを回す手を止めた。
どうやら少しは興味を持ってくれたらしい。
「まず一つ目。神隠しだ」
「神隠し?」
「そう。昔から突然人がいなくなる神隠しってあるだろ? もしかしたら、あれは異世界に転移したんじゃないかと思うんだ」
「……それって、単に行方不明になっただけじゃないの?」
「もちろん、その可能性もある。でも、もし本当に異世界へ行ってしまったとしたら?」
俺は指を一本立てた。
「異世界に行った人間が、必ずしも元の世界に戻れるとは限らない。戻ってきたとしても、異世界に行っていたことを証明できるとは限らないだろ?」
「まあ、理屈としてはそうかもしれないけど……」
京子は納得したわけではなさそうだが、すぐには否定しなかった。
健三は眼鏡の位置を直しながら、興味深そうに頷いている。
「なるほど……。行方不明事件の中に、そういった可能性があるという仮説ですな」
「そういうことだ!」
俺は気をよくして、二本目の指を立てた。
「二つ目。マジシャンだ」
「マジシャン?」
「そう。世の中には、常識では考えられないようなマジックを披露する人がいるだろ? あれは、実は異世界から来た魔法使いなんじゃないかと思うんだ」
「ちょっと待って。マジックと魔法は違うでしょ」
「それは地球の常識だ!」
「出た、地球の常識」
京子が小さくため息をつく。
「考えてみてくれ。異世界から来た魔法使いが、こっちの世界で魔法を使ったらどうなる?」
「手品に見えるんじゃない?」
「そう! その通りだ!」
「いや、今のは適当に答えただけなんだけど……」
京子は呆れ顔だ。
しかし、俺は構わず話を続けた。
「しかも、魔法を使って人を驚かせれば、お金まで稼げる。異世界から来た魔法使いにとっては、かなり都合のいい仕事だと思わないか?」
「……発想が自由すぎるでござるな」
健三が眼鏡を押し上げた。
「しかし、もし本当に魔法が存在するのであれば、科学技術で説明できない現象が起きる可能性もありますな。映像や装置を使った演出との区別は必要ですが」
「おお! さすが健三! 分かってるじゃないか!」
「いや、まだ仮説の段階ですぞ」
健三は苦笑しながら、テーブルの上に置いたスマートフォンを手に取る。
「映像や記録を分析すれば、何か分かるかもしれませんな。まあ、簡単にはいかないでしょうが」
こういう話になると、健三は本当に頼りになる。
普段はあんな調子なのに、技術的な話になると急に真剣になるのだ。
そして、俺は最後の指を立てた。
「三つ目。ファンタジー作家だ」
「今度は作家?」
「ああ。異世界を舞台にした小説や物語を書いている人たちがいるだろ?」
「いるわね」
「もしかしたら、その人たちは一度異世界に行って、地球に戻ってきた人たちなんじゃないか?」
「……どういうこと?」
「異世界から戻るときに、記憶を消されてしまった。でも、そこで見た景色や経験した出来事が、潜在意識の中に残っている。それが小説や物語になっているんじゃないかと思うんだ!」
俺は自分でも驚くほど熱くなっていた。
異世界の物語には、現実では考えられないような世界が描かれている。
剣と魔法、魔物、冒険者、ギルド、そして不思議な力。
どうして、これほど多くの人が似たような世界を想像できるのだろう。
もしかしたら、本当にどこかに存在しているのかもしれない。
「……面白い考え方ではありますな」
健三が腕を組んだ。
「拙者も異世界ものは好きですが、確かに似たような設定が多いのは興味深いですぞ」
「だろ?」
「でも、それって単に人間の想像力が似たような世界を生み出しているだけじゃないの?」
京子が冷静に指摘する。
「もちろん、その可能性もある。でも、俺はそうじゃないと思いたいんだ」
俺は二人の顔を見た。
「異世界が本当に存在するなら、そこへ行く方法だってあるはずだ。俺は、それを見つけたいんだよ」
一瞬、テーブルの周りが静かになる。
京子はストローを指先で回しながら、俺を見ている。
さっきまでの呆れた表情とは少し違う。
健三も眼鏡の奥の目を輝かせていた。
「知也殿、なかなか興味深い話ですな。実際に異世界へ行く方法を探すとなると、調べることは山ほどありそうですぞ」
「だろ? やっぱり健三は分かってくれるな!」
「ただし、まだ何も証明されていませんぞ」
「そこはこれからだ!」
俺は胸を張った。
なんだかいい感じじゃないか。
二人とも、少しは俺の考えを理解してくれたようだ。
これはいける。
もしかしたら、俺たちは歴史に名を残すことになるかもしれない。
「それで、知也は私たちに何をしてほしいわけ?」
京子が尋ねてきた。
「もちろん、一緒に異世界を目指す仲間になってほしい!」
「えっ、私たちも?」
「そうだ。俺たち三人で力を合わせれば、きっと何とかなる!」
「勝手に決めないでよ。まだ参加するなんて言ってないでしょ」
「まあまあ、京子殿。話を聞くくらいなら損はないでござるよ」
「健三まで……」
京子は呆れたように肩をすくめた。
でも、完全に興味を失ったわけではなさそうだ。
よし。
これは、いい方向に進んでいる。
俺は心の中で、ひそかに拳を握った。
こうして、俺の異世界計画は少しずつ動き始めた。
……とはいえ、まだ仲間が集まっただけで、具体的な成果は何もない。
それでも、俺は自分がリーダーになったような気分でいた。
まあ、リーダーというより、自称リーダーなのだが。
「ちょっとトイレに行ってくるでござる」
健三が席を立った。
「ああ、行ってこい」
健三が店の奥へ歩いていく。
俺はその後ろ姿を見送り、京子に向き直った。
「なあ、京子」
「何?」
「俺は行けると思うんだ。異世界に……」
「まだそんなこと言ってるの?」
「いや、これは本気だ。絶対に諦めない」
俺は真剣な表情で京子を見つめた。
すると、その直後だった。
ゴツン!
突然、後頭部に衝撃が走った。
「痛っ!」
「ちょっと! 何を呑気に話してるのよ!」
聞き覚えのある声が、頭の上から降ってきた。
俺は後頭部を押さえながら、ゆっくりと振り返える。
そこには、肩まで伸びた茶色の髪を揺らし、頬を膨らませた美少女が立っていた。
桜色のワンピースにデニムのショートパンツ。
可愛らしい服装とは裏腹に、吊り上がった目はまったく笑っていない。
……あれ?
なんだか嫌な予感がする。
「知也さん! 私、どれだけ待ったと思ってるの?」
「あ……」
その顔を見た瞬間、俺の頭の中に一つの記憶が蘇った。
そうだ。
今日は約束があったんだ。
しかも、相手は……。
「もしかして、約束忘れてた?」
「いや、その……」
「忘れてたんでしょ!」
「ご、ごめん!」
そうだった。
俺、遊びに行く約束をしていたんだった。
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