第二話 拾われた子
キーツがまだ名前を持っていなかったころ。
彼女はよく市場の裏にいた。
そこには店から捨てられた木箱が積んであり、
雨の日には屋根の代わりになった。
残飯も出る。
子どもが生き延びるには悪くない。
ただし、先に取れれば、だ。
ある日、年上の少年がパンを奪おうとした。
少女は石で少年の額を撃った。
一度。
二度。
少年が逃げても後を追った。
「もうええやろ!」
少年が泣いた。
少女はパンを拾った。
泥を払う。
「あたしからとろうとするからや」
それだけ言った。
一部始終を見ているものがいた。
黒い衣を着た女だ。
老人と呼ぶには背筋が伸びすぎていて、
若いというには顔に刻まれた線が深すぎた。
女は少女に食べ物を与えた。
風呂に入れた。
服を与えた。
そして名前を与えた。
キーツ。
「私はおまえを選んだ」
女は言った。
キーツは食事をしながら聞いていた。
「特別な子だ」
特別。
その響きが気に入った。
愛されたいとは思わなかった。
そんなものが何になる。
市場の裏で腹が減ったとき、
愛はパンにならなかった。
「何になれるん」
キーツの問いに、女は笑った。
「望むものに」
その日から、キーツは女のことを
「おかあさん」と呼ぶようになった。
誰かにそうしろと言われた記憶が残っていた。
数年後。
地下の手術室で、キーツは同じ女を見上げていた。
天井灯が一つ切れていた。
壁の一部には染みがあり、
床には見慣れない器具が置かれている。
病院には見えなかった。
「ほんまに大丈夫なん?」
白衣のイシが答えた。
「安全とは言えない」
「おい」
キョウソが睨む。
イシはうつむいて口を閉じた。
キーツは台の上で鼻を鳴らした。
「失敗したら死ぬん?」
「可能性はある」
「成功したら?」
イシはキョウソを見た。
キョウソが答える。
「力を得る」
「どれくらい」
「普通の人間では届かないところに行けるくらい」
キーツは考えた。
市場の裏。
泥のついたパン。
殴った少年。
自分を踏みつけていった大人たち。
見下ろされたことなど数えきれない。
ならば今度はこちらが見下ろせばいい。
「やる」
イシが目を閉じた。
「後戻りはできない」
「戻るところなんかないわ」
麻酔が入った。
数を数えろと言われた。
十。
九。
八。
そこでキーツは意識を失った。
手術は予定より長引いた。
設備が足りなかった。
部品が適合しなかった。
一度、心臓が止まった。
イシは蘇生を続けた。
夜明け近くになって、ようやくキーツは目を開けた。
右脚の感覚がなかった。
「動かへん」
イシは答えなかった。
「なあ」
違和感を感じて布団をめくる。
そこにあったものを見て、キーツは黙りこんだ。
人間の脚とは違う。
完全な機械でもない。
白い人工素材の隙間を、生きた組織が縫うように伸びている。
ところどころが欠けていた。
「失敗したん?」
誰も答えなかった。
キョウソが言った。
「その代わり、私の組織の一部を与えた」
キーツはもういちど脚を見た。
「これが?」
「祝福だ」
その言葉を聞いてキーツは笑った。
乾いた笑いだった。
なにもおかしくないのに。
なにもうれしくないのに。
「ほんなら、ええわ」
イシが振り返る。
「いい?」
「これで上に行けるんやろ」
「身体の話をしているんだ」
「身体なんかどうでもええ」
キーツは手すりにつかまり、
どうにか起き上がった。
痛みで顔が歪む。
それでも立ちあがった。
一歩。
人工の脚のさきが床につく。
二歩。
床に血が落ちる。
三歩目で倒れた。
それでも笑っていた。
「上に行けるんなら、安いもんや」
イシは何も言わなかった。
それからずいぶん長い年月
イシはその言葉を忘れることができなかった。




